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非がん患者さんにもEOLケア・緩和ケアを――平原 佐斗司先生の決意とあゆみ【前編】

東京ふれあい医療生活協同組合 研修・研究センター長/東京都地域連携型認知症疾患医療センター センター長 平原 佐斗司先生

高齢化が進むなか、形を変えてニーズが高まってきている緩和ケア。がん患者さん向けのホスピスとして誕生した緩和ケアの概念が、今では認知症をはじめとする非がん疾患にも広まってきています。平原 佐斗司(ひらはら さとし)先生(東京ふれあい医療生活協同組合 研修・研究センター長/東京都地域連携型認知症疾患医療センター センター長)は、長年にわたり在宅医療を中心とした地域医療に携わってきた過程で、非がん疾患のエンドオブライフケア(以下、EOLケア)・緩和ケアを生涯のライフワークにすると決め、精力的に活動されてきました。平原先生がライフワークを決意するまでのあゆみ、EOLケアの歴史を振り返ります。

 

※本記事の内容は2022年10月1~2日に開催された日本エンドオブライフケア学会 第5回学術集会における学術集会長講演『非がん疾患のEOLケア』の前半をまとめたものです。


初めての看取り

私が緩和ケア・EOLケアに興味を持ったのは、医師免許を取得して10日目に経験した初めての看取りがきっかけです。人生で初めて、人が亡くなる瞬間に立ち会いました。35年前のことですが今でも鮮明に覚えています。

 

患者さんは希少がんを患っており、私が指導医と共に主治医として関わることになったときには、すでに末期の状態でした。指導医の教えは「看取りには必ず立ち会うこと」と「1日3回ベッドサイドへ行くこと」でした。その教えに従い1日3回ベッドサイドに行きましたが、型通りの診察しかできず、何もできない自分に無力感を覚えました。一方で、看護師は重苦しい空気を和ませるようなユーモアのある会話をされていて、看護師の力強さを感じたことが記憶に残っています。

 

そして患者さんが息を引き取られた直後、奥さんは激しく泣き叫び、過換気に。私はその様子を目の前にして涙が流れてくるのを止められず、ただ立ち尽くすことしかできませんでした。何もできない私に代わり先輩医師が死亡宣告をし、後で注意を受けたことは苦い経験です。病理解剖を終え、霊安室から出てきた父親を見送るお子さんたちの顔も、いまだに忘れることができません。これまでに数多くの看取りを経験してきましたが、初めての看取りがもっとも悲しい家族の姿を見た瞬間だったように思います。


在宅医療をライフワークにすることを決意

その後私は、消化器内科や呼吸器内科などがんを多く診る大学病院の医局で過ごしました。日々診察にあたる中、多くの患者さんが「早く家に帰りたい」と願いながらも、痛みに対する不安から自宅に帰れないことを知りました。そんな現状を目の当たりにして、「がん患者さんが家で安心して暮らすためのサポートをしたい」と考えるように。そして1992年、がん患者さんの在宅緩和ケアを始めることにしたのです。

 

しかし当時は「在宅緩和ケア」という概念はほとんどありませんでした。当然、学会もテキストもありません。がんの在宅看取り経験を研究会で発表するなどの活動を地道に続けていた1994年、在宅緩和ケアの実践に関する本を執筆されていた佐藤 智(さとう あきら)先生から「在宅医療を推進する若い医師の会(在宅医療を推進する医師の会)をつくろうと思う。よければ参加しませんか?」というお手紙を頂戴しました。そこでは、在宅医療のパイオニアと交流する機会や、ホスピスや緩和ケアの先進地を見学する機会に恵まれました。多くの刺激を受け「在宅医療をライフワークにする」と決めたのです。

 

イメージ:PIXTA


「ホスピス=がん」というイメージの払拭

「がん患者さんに在宅緩和ケアを」という思いで在宅医療の世界に飛び込みましたが、当時現場で診察していた患者さんのほとんどは高齢者の方で、多くはがん以外の患者さんでした。私は高齢者をどのように診ればよいのかまったく分からず、日々困惑していました。

 

そんななか、1997年に佐藤先生のもとで在宅医療をされていた辻 彼南雄(つじ かなお)先生の強いすすめで、アメリカのミシガン老年医学セミナーに参加することに。そこで見学したホスピスは、私に大きな衝撃を与えました。私が訪問した患者さんはがんではなく、アルツハイマー病末期の方でした。ホスピスが非がん患者さんも対象になることを、このとき初めて知ったのです。さらに、アルツハイマー病の第一人者であったピーター・ホワイトハウス先生の講演で「認知症は死に至る病である」という言葉を聞き、それならばがんと同様に緩和ケアを行うべきだと直感しました。

 

2004年には、ホスピスの国際大会である第5回アジア・太平洋ホスピス大会に参加しました。大会をとおして、海外では非がん患者さんの緩和ケアが大きな課題になっていることを理解しました。
その後2005年に、第7回日本在宅医学会大会で非がん疾患の緩和ケアに関する発表をした際、同じ考えを持っている先生と「やはり日本でも非がんに対する緩和ケアの研究をする必要がある」と意気投合し、本格的に取り組むことにしたのです。


7割の医師が終末期に緩和すべき症状ありと回答

非がん疾患にも緩和ケアのニーズがあることは認識しながらも、我が国ではまだその実態もつかめていない状況でした。そこで、242人の在宅非がん疾患死亡例を対象とした「非がん疾患の在宅ホスピスケアの方法の確立のための研究」を実施し、緩和ケアが必要とされる 非がん疾患および緩和ケアが必要な苦痛について明らかにしました。

 

非がん患者さんの在宅看取りは、▽脳血管障害22.7%▽認知症19.4%▽神経疾患11.6%▽老衰11.2%▽呼吸器疾患10.7%▽心不全5.8%▽慢性腎不全5.0%▽膠原病(こうげんびょう)2.9%▽肝不全1.2%――という結果でした。

 

主治医は非がん疾患の約7割に終末期に緩和すべき症状があると判断、具体的な症状として、呼吸困難や食思不振、嚥下障害(えんげしょうがい)などが挙げられました。がんの緩和ケアで中心となる疼痛(とうつう)コントロールとは異なる課題があることが、あらためてデータで示されたのです。


先が見通せない状況で、いかに意思決定支援をするか

さらに非がん疾患では、がんのように月単位での予後予測が困難な現状も浮き彫りになりました。つまり、いつ病状が悪化し死が訪れるのか、主治医はおろかご本人やご家族にも見通せないのです。そうした前提があるなかで「どのようなタイミングと手順で意思決定支援をすればよいのだろうか」という新たな疑問が自分の中に浮上しました。

 

そこで非がん疾患に関するいくつかの論文を読み、まずは医療者が目の前の患者さんの緩和ケアの必要性に気付くことが大切だと考えました。そのためには、医療者が非がん患者さんの予後を推察できるような指標が必要だと感じ、2009年から指標作成に関する研究を行いました。この時期に、「非がん疾患のEOLケアをもう1つのライフワークにしよう」と決意したのです。

 

イメージ:PIXTA


EOLケアの歴史

ここで、EOLケアの歴史を振り返ってみます。EOLケアの原点であるホスピスの誕生は、19世紀までさかのぼります。当時のホスピスは、主に結核やらい菌などの感染症患者さんを対象としたものでした。20世紀前半まで死因の中心は感染症であり、死に至る際の苦痛がそれほど大きくなかったことから、緩和ケアのニーズは限定的だったといえます。

 

1960年代には、最初の近代ホスピスであるセント・クリストファー・ホスピスがイギリスに設立されました。その後1990年代にかけて、イギリスで緩和医療学の講座ができたり、緩和ケア病棟や緩和ケアチームができたりと、欧米での緩和ケアが発展していきました。

 

緩和ケアニーズが高まり始めた頃、「苦痛を和らげる」という点でもっとも優先度が高かったのが末期がんでした。しかし、1990年以降に欧米で高齢化が進むとともに、非がん疾患の緩和ケアニーズが現れ始めます。イギリスのRSCD研究およびアメリカのSUPPORT研究で、非がん患者さんも死亡前に多くの苦痛を経験していることが明らかになったためです。また1990年代に北米では、緩和ケアと高齢者ケアが融合したEOLケアの概念が誕生しました。


これから緩和ケアの中心は「非がん疾患」に

今後、非がん患者さんの緩和ケアニーズがさらに高まると予測されています。ランセット委員会の報告によると、今後およそ40年間で、認知症の緩和ケアニーズは世界中で4倍に増加するそうです。非がん性呼吸器疾患や神経難病、腎不全における緩和ケアニーズも増加する見込みです。

 

日本は世界でも類をみない高齢社会を迎えています。がんで亡くなる方の約6割は75歳以上の後期高齢者であり、今後は高齢者特有の疾患を合併したがん患者さんがさらに増加するでしょう。また、90歳以上の超高齢者が増えるにつれて心不全や老衰死も増えており、老衰死は10年間で約3倍にもなりました。これからの緩和ケアは、非がん疾患の高齢者が中心となっていくでしょう。

 

時代とともに緩和ケアのニーズは確実に移り変わってきましたが、今後100年はこの傾向が続いていくことが予想されます。しかしながら、これに対応できるだけのEOLケアや緩和ケアの体制は十分とは言えません。今後、これらの体制を構築していくことが大きな課題となるでしょう。

 

*講演の続きはこちらの記事をご覧ください

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