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医療・ケアに必要な“倫理”の視点――医療倫理の四原則とは

東京大学大学院人文社会系研究科 死生学・応用倫理センター上廣講座特任教授 会田薫子先生

世界中で混乱を巻き起こし、日本では第3波が到来している新型コロナウイルス感染症。第1、2波の最中、海外の医療現場で人工呼吸器が不足した際に“命の選別”を余儀なくされたという話は、日本でも大きな議論となりました。医療にはなぜ倫理の視点が必要なのでしょうか。これまでの経緯を振り返りながら、医療における倫理の視点の重要性を紐解きます。東京大学大学院人文社会系研究科 死生学・応用倫理センター上廣講座特任教授の会田 薫子(あいた かおるこ)先生にお話を伺いました。


医療における“倫理”――なぜ医療の現場に倫理的な視点が必要か

今、医師の仕事に関わる倫理の領域には、医療倫理、生命倫理、臨床倫理という3つの領域があります。まずはそれぞれの成り立ちや違いについてご説明します。

 

生命に関わる倫理学の領域として、歴史上もっとも古くから存在していたのは“医療倫理(medical ethics)”です。医療倫理の分野では、医師の職業倫理を示した『ヒポクラテスの誓い*』が世界最古のものとして知られています。

20世紀後半に医学・医療技術の進展とともに社会が変化し、医療倫理だけではカバーしきれない問題について考えるために、“生命倫理(bioethics)”という分野が米国で成立しました。米国の生命倫理のポイントは、生命に関わる問題について、医学や看護学という医療に関わる分野だけでなく哲学・倫理学、宗教学、神学、法学、経済学、社会学、心理学、人類学、そのほか、多分野の叡智を結集し、学際的に検討することです。

生命倫理の源流の1つとなったのが、第二次世界大戦中のナチスドイツによる人体実験、大戦後に戦争犯罪を裁いたニュルンベルク裁判などに関連して巻き起こった、研究のあり方を問う動きです。研究は人に益をもたらす形で行わなければならない、残酷な方法で人を扱ってはならない、人の犠牲のうえに成立する研究はあってはならないという考え方が生命倫理の成立に貢献しました。ニュルンベルク綱領(1947年)には、“被験者の自発的な同意が不可欠”と明記されています。

このような生命倫理の考え方は、医療現場における医師と患者さんの関係性にも変化をもたらしました。1970年代までは、ヒポクラテスの時代から受け継がれてきたパターナリズム(父権主義)の考え方が主流でした。すなわち「医師は医学の専門家であるから、意思決定は医師に任せて患者さんは養生に専念しなさい」という関係性が当たり前だったのです。ところが1970年代の米国社会では、患者さんの意思を尊重し、自己決定の権利を確立するという考え方が現れました。これがパターナリズムを破る革命となったのです。今ではよく知られている“インフォームド・コンセント:IC(医療者から十分に説明を受けたうえで、治療やケアの選択に関して患者さんが医療者に与える同意)”という考え方もこの頃に定着し始めました。

 

そこから時代が進み、新たな課題が浮き彫りになりました。というのも、自己決定の権利を前提にした結果、医師は説明する、患者さんは医師の説明を聞いて自分で決めるという意思決定上の役割分担が生まれたのですが、患者さんは病気やけがで心身共に弱っている状態において、自分だけで決定することが難しいことが分かってきたのです。そこで生まれたのが“シェアード・ディシジョン・メイキング(shared decision-making:SDM”(共同意思決定)です。共同意思決定では、医療者は患者さんに説明するだけではなく、ご本人にとってよりよい意思決定ができるようサポートします。医療者側からは医学的な情報を患者さん側に伝え、患者さんは自分の価値観、人生観、死生観を含めた生活と人生の物語に関する情報を医療者に伝え、両者がコミュニケーションを取り、協力しながら意思決定プロセスをたどります。すなわち、ご本人の人生の物語の視点から適切な治療方針を選択するという考え方です。

こうして一人ひとりの患者さんの意思決定支援に際して、医療・ケア従事者が直面する倫理的な課題について職種を超えて具体的に検討するために必要な学問が“臨床倫理(clinical ethics)”です。そこにはたとえば、がんと診断された人が標準治療である手術と化学療法を受けるのか、残りの時間を穏やかに過ごすために緩和ケアを中核とする選択をするのかなどの問題があります。このようなときに多職種は医療・ケアチームとして、患者さんと、その人が大切にしている家族にとって、よりよい方針はどのようなものかを一緒に考えることが求められます。

 

写真:PIXTA

 

これまでご説明したように医療倫理、生命倫理、臨床倫理にはそれぞれの成り立ちがあります。いずれにせよ、医療という分野には倫理の視点や考え方は必要不可欠であり、倫理的な判断なしには医療・ケアを適切に行えない時代にあるといえると思います。

*ヒポクラテスの誓い:ヒポクラテスは紀元前5世紀に生まれたギリシャの医師で、科学に基づく医学の礎をつくった人物。彼の弟子たちによって編纂された『ヒポクラテス全集』の中には、医師の職業倫理について書かれた『ヒポクラテスの誓い』という宣誓文があり、現代まで語り継がれている。


“医療倫理の四原則”とは

医療倫理には、医療者が倫理的な問題に直面した際、どのように考えるべきかの道しるべとなる“原則”があります。ここでは、米国の哲学者トム・L・ビーチャム氏と宗教学者ジェイムズ・F・チルドレス氏が提唱し、世界的に知られる“医療倫理の四原則”および、岩手保健医療大学学長(東京大学大学院人文社会系研究科死生学・応用倫理センター上廣講座前特任教授)の清水 哲郎(しみず てつろう)氏が提唱している“人間尊重原則”を元にお話をしていきます。

 

自律尊重

“自律尊重(respect for autonomy)”の原則には、自分の法律・ルールで生きていくという意味があります。本人の主体的な意向を尊重するもので、自己決定権の核となりました。しかし先ほどお話ししたように、人は病気やけがによって脆弱(ぜいじゃく)になるので、現在では言語化された意思だけではなく、その背景にある本人の思いや事情を理解したうえで医療・ケアにあたることが重要と考えられています。これは、日本の臨床倫理の第一人者である清水 哲郎氏が打ち出した、“人間尊重原則”の考え方です。

人間尊重原則には、自律尊重の考え方も含まれます。つまり、本人が自律的に考えて意思決定可能な場合はもちろんそれを尊重しますが、そもそも人間には弱さがあり、傷病を抱えたときにはいっそう脆弱になるので、医療・ケア従事者はその人を人間として尊重しつつ、ケア的な精神で対応するということです。たとえば、普段は冷静な人であっても「あなたは膵臓(すいぞう)がんのステージ4(非常に進行した状態)です」と急に医師から告げられたら、いつもどおりの理性的な判断はできなくなりますよね。あるいは治療方法を選ぶとき、高額なAと安価なBがあったとしたら、患者さんは家族の経済的な負担を考慮して、「B」と答えるかもしれない。そのようなときに医療者は患者さんの本当の思いを理解しようとして、何が懸念材料になっているのかを伺い、それを解決するために医療費の公的サポートを紹介するなどして本人の意思を叶えることを目指します。

 

写真:PIXTA

 

与益と無危害

“与益(beneficence)”とは、本人にとって最善のことを促進するという意味の原則です。“善行”と訳されることが多いのですが、“医療者の視点からのよい行い”という意味に捉えられると、もっとも重視すべき患者さんの視点が見えにくくなるため、より適切と思われる“与益”を使っています。たとえば、医学的な標準治療であっても、それが患者さんの生活と人生の物語の視点からみて最善とは限りません。ですから本人にとってよい選択をする、つまり益をもたらすという意味の原則が必要なのです。

 

“与益”と合わせて考えるものとして、患者さんに危害を及ぼさないという“無危害(non-maleficence)”の原則があります。医療行為は、患者さんに益をもたらすと同時に害やリスクを伴うことも多いです。たとえば体に傷をつけて行う手術、重篤な副作用を伴う化学療法などは分かりやすい例の1つです。このように多少なりとも害やリスクを伴う医療を行うときには、それらを上回る益があること、そして本人が望んでいることが大前提となります。

仮に、AさんとBさんが医学的に同じような状態にあったとします。Aさんはできる限りの治療を受けたいと望んでいる、一方のBさんは痛みや苦しみなく穏やかに最期を過ごしたいと思い緩和ケアを選択する――。このようにその人が何を望み、大切にするかによって治療の選択肢は変わるということです。医療者には、治療によるメリットとデメリットをきちんと説明し、患者さんが全てを総合して判断したうえでよいと思うものを選べるようサポートする役目があります。

 

正義

“正義(justice)”とは、患者さんに公平・公正に対応すること、また、限りある医療資源を適切に配分することなどに関わる原則です。物的・人的な医療資源は有限なので、どう配分すれば公平・公正なのかを考える必要があります。

ただし、何を公平・公正とするかはその社会の基本的な思想に大きく左右されます。たとえば日本には国民皆保険制度があり、その原資は国民から集めたお金です。これが公の資金となり医療・ケアが提供されます。ですから、配分も公平・公正であることが求められます。一方、米国は基本的に自由主義であり、自己責任・自助努力が是とされているため、自費で保険商品を購入したり勤務先の企業などが民間保険に加入させてくれたりしなければ医療・ケアを受けられないこともあります。

また、日本では江戸時代に儒教が基本的な思想とされた影響で、社会には儒教の思想が浸透しています。儒教には“長幼の序”という考え方があり、年少者は年長者を敬い、年長者は年少者を慈しみ育てる文化が現代の日本にも高齢者層を中心に色濃く残っていると思います。また、親に尽くすことを大切にする“孝”も儒教の根本的な価値であり、これも現代の日本で重視する人が多いと思います。このような価値観が私たちの社会の文化に浸透していることを考えると、医療資源が限定的なときには高齢の方には配分しないという西洋的な考え方が受け入れられるかどうか疑問です。

 

西洋では“fair innings argument”、すなわち限りある医療資源を若い人々に多く配分すべきだという考え方が生命・医療倫理学において有力な考え方の1つとなっています。野球にたとえると、50歳代前半の人は5回表、80歳代後半の人は8回裏、それくらい生きてきた時間に差があるので、医療資源が不足しているときには、まだ短い時間しか生きていない人に資源を優先的に配分しましょう、それを公平・公正とする文化ということです。このように基盤となる思想・文化によって公平・公正の基準は異なりますが、その基盤に準じて限りある医療資源を適切に分配するための方法を考えることは非常に重要なことです。特に、現在進行中のコロナ禍においては、人工呼吸器やECMO(人工肺とポンプを用いた体外循環による治療)などの限定的な医療資源の配分問題を考えることは、先送りのできない課題となっていると思います。

*次の記事では、医療における倫理をめぐる問題や議論について解説します。

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