病院運営 2025.05.01
病院から地域を元気に――まちづくりから生まれた医療の充実
熊本県のほぼ中央に位置し、美しい自然に囲まれた熊本県上益城郡甲佐町。人口約1万人の小さな町でまちづくりに取り組んでいるのが、特定医療法人 谷田会 谷田病院です。地域包括ケア病棟と医療療養病棟の計85床、介護医療院14床を備え、地域において慢性期医療や在宅医療を提供しています(2025年3月時点)。各団体と連携しながらまちづくり事業を行う谷田病院の理事長・院長 谷田 理一郎(やつだ りいちろう)さんに、具体的な取り組みや、それによってもたらされた病院や地域の変化についてお話を伺いました。
病院にはない価値観に課題解決のヒントがあるかもしれない
まちづくりの取り組みを始めたとき、当院は人手不足に悩まされていました。過疎・高齢化が進む甲佐町では地域の人口が年々減少し、それに伴ってスタッフの確保が思うように進まない状況が続いていたのです。そのため、在宅医療や在宅ケア、リハビリテーション、高齢者救急など地域のニーズが高い医療を充実させたいと思っていたものの、それを行うだけの人的資源がなく、本格的に取り組むことができずにいました。
「この地域のためによりよい病院にするにはどうしたらよいのだろうか……」と試行錯誤しているとき、当院の事務部長であり、地元の有志と一緒に甲佐町のまちづくりに取り組んでいた藤井 将志(ふじい まさし)から「古民家を再生してホテルにする計画があるのでミーティングに顔を出してくれないか」と声をかけられ、参加してみることにしました。
ミーティングに参加して驚いたのが、若いメンバーたちがとても楽しそうに笑顔で話し合っていたことです。病院では会議中に笑いが起こることはないためミーティングの光景に新鮮な驚きを覚え、病院とは違う価値観がここにはあると感じました。何もない小さな田舎町に古民家ホテルを作るというアイデア自体も魅力的でしたし、病院にはない価値観の中に私たちが長年抱えてきた課題を解決するための大事なヒントがあるような気がして、当院もまちづくりに参画することを決めたのです。
まちづくりの取り組み
藤井は仲間と共にまちづくり事業を行う一般社団法人パレット(以下、パレット)を設立し、当院はパレットや甲佐町などと連携しながらまちづくりの取り組みを行ってきました。各団体と共同しながら古民家ホテル、古民家レストラン、キャンプ場、農園、やな場*などを通じて地域の魅力を高める活動を推進しているほか、イベント運営の手伝いもしています。
たとえば、古民家ホテル(NIPPONIA 甲佐 疏水の郷)では、身体的なサポートが必要な人にも宿泊してもらえるよう、当院から医療スタッフを派遣するプランを用意しています。古民家には多くのバリアがありますが、ご年配の人は現代的な家屋より、自分が住んでいたような古民家のほうが心地よいと感じることがあると思います。宿泊や食事、入浴を楽しんだり、2階に上がって星を眺めたりしたいと思うこともあるでしょう。手助けが必要な人がいれば、当院のスタッフがホテルに訪問してサポートできるようにしています。また、甲佐町にもともとあった“やな場”を引き継ぎ、当院の調理スタッフが出向する形で、パレットのメンバーと共に鮎を中心にさまざまな料理をふるまう取り組みも行っています。やな場には今後新たにレストランを作る計画も進んでいます。
特に当院が中心となり行っているまちづくり事業としては、みどり保健室(まちの保健室)があります。地域住民の皆さんの交流の場としての役割を果たしており、看護師・薬剤師・理学療法士・ケアマネージャーなどが無料相談に対応しています。そのほか、一度は解散した女子バレーボールチームのフォレストリーヴズ熊本の再生をスポンサーとして支援するとともに、働きながら選手として活動ができるように選手を介護職スタッフとして雇用する取り組みも行っています。
*やな場:竹で編んだ簀(す)に落ちる鮎を捕るやな漁や食事を楽しむ施設
まちづくりの取り組みで大切にしていること
ほかにもさまざまな取り組みを行っていますが、これらの事業内容は戦略的に決めているわけではありません。藤井から提案を受けて院内で検討し、私たちが少しでも力になれそうなことであれば行動に移しています。病院のスタッフには、その中で興味がある活動があれば自由に参加してもらっています。
私自身がまちづくりに関わるうえで心がけているのは、取り組みに参画してくれる人たちを大切にすることです。他県からわざわざ来てくれている人もいれば、これまでのキャリアから転職してくる人もいます。志と決意を持って参画してくれる皆さんの気持ちは大事にしなければいけないと思いますし、信頼関係を築くことが重要だと考えます。
まちづくりを先導している藤井は、誰かの提案に対してNoから入るのではなくYesから入ることを大切にしていると言います。最初に否定してしまうことで、次からはもう提案してくれないかもしれない。そのため、実現が難しそうなことであっても「本当にできないだろうか」とまずは考え、実現できる方法を模索するようにしていると言っています。
これからも協力してくれる仲間たちと一緒に、トライアンドエラーを重ねていきながら新しい価値を生み出していきたいと思っています。
人の増加により、在宅医療が動き始めた
まちづくりの取り組みが広がり、甲佐町の人通りが増えた印象があります。以前はごく普通の田舎町でしたが、おしゃれなホテルやレストランができて新しいファッションの若い人の姿が目立つようになりました。人の流れが増えたことで、多様性への理解が町に広がっているように思います。また、病院には地域の皆さんから病気のことに限らずさまざまな困り事について相談されることが増え、これまで接点のなかった患者さんやご家族以外の人々とのつながりが生まれました。見学や研修に訪れる人も増え、院内もよりオープンな雰囲気になってきています。
予想外の変化は、当院のまちづくりの活動やビジョンに共感してくれた入職者が増えるようになったことです。最近では、緩和医療を専門にする女性医師と総合診療科の女性医師が当院に入職してくれました。まちづくりから始まった人の動きによって、院内の医療の質も向上し、一歩前進することができたと感じます。
がん患者さんのための在宅医療に関するカンファレンスも、毎週、定期的に開催できるようになりました。そのカンファレンスの際、スタッフから1枚の写真を見せてもらって私はとても衝撃を受けました。そこには、身体的に非常につらい状態にあるはずの患者さんが、当院のスタッフたちと笑顔でピースサインをしている姿が写っていました。在宅医療の持つ力を感じ、ずっとやりたかったことはこれだと確信しました。これまで人手不足でできなかった在宅での緩和ケアが、やっと動き始めたと感じた瞬間でした。まちづくりによって人の流れが増え、志のある仲間が加わったことで、ようやく少しずつ実現できるようになってきたのです。
カンファレンスの様子
病室で1人過ごすより、慣れ親しんだ環境の中で親しい人に囲まれて療養するほうが患者さんにとっては快適でしょう。そして、在宅医療を支える力はまちづくりと直結していると思います。町が魅力的になって人が増えれば、その結果として在宅医療を支える力も強まることをこれまでの取り組みを通して実感することができました。慢性期医療の質を高めたいと願う私たちのミッションとまちづくりのミッションは相通じるところがあり、今後もこの取り組みを推進していくことで医療も甲佐町もよりよく変わっていくと感じています。
今後について――孤立・孤独を甲佐町からなくすことを目指して
今後は甲佐町にとって欠かせない存在だと思ってもらえる病院になるために、院内での医療提供で完結させず、地域を巻き込みながら人々の困り事を解決するコミュニティ・ホスピタルを目指して邁進していきたいと考えています。現在は、公園を併設した複合施設の建設を進めています。複合施設には、高齢者向けのデイサービス、障害のある子どもを対象とした放課後等デイサービス、児童発達支援センター、就労支援のレストランが入る予定です。あらゆる立場の人々が交流できる場をつくることで、孤独を感じる人が甲佐町からいなくなることを目指しています。
異なる視点を持つ人が共に活動することによってもたらされる効果を、まちづくりを通じて改めて確認することができました。今後も、さらに多様性を地域に定着させていきたいと考えています。