病院運営 2022.06.20
IMSグループのはじまり――中村哲也先生のあゆみと転機
医療法人IMSグループ 会長 中村 哲也先生
IMSグループは関東・東北・北海道・ハワイで全134施設、総病床数12,285床を持つ総合医療・福祉グループです(2022年4月時点)。そんな巨大医療グループは、たった5床の病院からスタートしました。これほどまでに成長した背景には、一体どのような努力と取り組みがあったのでしょうか。今回はIMSグループ会長の中村 哲也(なかむら てつや)先生に、IMSグループの原点から現在に至るまでの経緯、中村先生のあゆみについてお話を伺いました。
IMSグループの原点――商人の子どもだった父のビジネス感覚
IMSグループの原点は、私の父が5床の病院を開業したところからスタートします。そこから次第に病院が発展していき父の跡を継ぐことになった当時、私はアルバイトとして病院の仕事をしたり、会議に参加したりしていました。大学病院と市中病院の違いなどいろいろなことを感じながら働いていたある時、ふと「なぜこの病院はここまで成長したのだろうか」という疑問が湧き、過去を紐解いていったことがあったのです。
父が板橋区小豆沢に開業したのは1956年(昭和31年)、第二次世界大戦の終戦からまだ10年ほどしか経っておらず、東京には空き地がたくさんありました。開業するにあたってこの地を選んだのは、これから日本経済の復興や医療の拡充が進んでいくことを見越しての判断だったそうです。私の祖父は商人であり、父は子どもの頃から「自分で起業して社会に貢献する」という親の姿を見て育ちました。
また、父が子どもの頃に兄弟の1人が大きなけがを負ったのですが、その地域には診療できる病院がなく、遠く離れた病院まで通院を余儀なくされる母と兄弟の様子を見ていました。こうした経験から「医師として社会に貢献したい。そして地域で医療を完結させたい」と考えるようになったそうです。
父は診療報酬で得た収入を蓄えることなく、医療施設の投資に充てることで事業を拡大していきました。そこにも商人の子どもとしてのビジネス感覚が影響していたのだと思います。
父から与えられた2つの本「徳川家康」と「宮本武蔵」
私は子どもの頃読書があまり好きではありませんでしたが、父に与えられた「徳川家康」と「宮本武蔵」の本は夢中になって読んだことがありました。徳川家康は250年以上も続いた江戸幕府の礎を築いた、いわゆる組織構築のプロフェッショナルです。宮本武蔵は言わずと知れた武芸の達人であり、真っ直ぐに前を向いて進んできた男の生涯が描かれていました。
父はきっと、将来の跡継ぎとなる私に組織の基盤作り、仕事への向き合い方などを伝えたかったのでしょう。それから私は歴史に興味を持ち始め、多くの書物を読むようになりました。そして現在、グループの経営者として医療の趨勢(すうせい)を見極めたり、自分の考えを発信したりするなかで、多くのことを歴史上の人物から学び、参考にしています。
提供:PIXTA
病棟の力は「掛け算」――人材面に注力する理由
私が大学病院で循環器内科医として勤務していた当時、IMSグループの病院を掛け持ちするなど、あちこちで忙しく働きまわっていました。そんなある日、父から「君が一人で頑張って何人の患者さんを助けられる? もし君が優れた医師を多く雇えばその何倍の患者さんを助けられるのか、一度考えてみたほうがよい」と言われたのです。これが、その後人材面に注力していくきっかけとなった一言でした。
病棟の稼働能力というのは「掛け算」であり、足し算ではありません。たとえば、一人前の看護師と一人前の看護師がいたならば、その病棟の能力は1×1=1になります。片方の看護師が二人前の仕事ができれば病棟の能力は2×1=2になりますが、もし半人前であれば病棟の能力は0.5×1=0.5になってしまいます。
毎年4月など新人が多く入職してくる時期は、どうしても一時的に病棟の能力が下がります。そのため、いかに一人ひとりの能力を上げて病棟全体の能力を向上させるかが重要であり、それが結果として患者さんの利益につながります。座学も大切ですが、まずは病棟での仕事に慣れて覚えてもらい、その後で感染対策や医療安全などをフィードバックしながら教えていくオペレーションを取っています。
若さは障壁ではない――31歳で板橋中央総合病院院長に就任
私が板橋中央総合病院の院長に就任したのは、31歳の時でした。父が開業したのが31歳だったので、息子である私にも31歳になったら院長になるよう言われていたのです。若いなりの不安なども多々ありましたが、実際に院長になってみて感じたのは「若いからこそいろいろな挑戦ができる」ということです。若ければたとえ失敗したとしても、元に戻れる道がたくさんあります。若さが何かをするうえで障壁になるとは思っていませんし、私の息子にも31歳になったら継いでほしいという話はしています。
病院を経営していくうえで厚生労働省の職員と話をする機会もありますが、30〜40歳代と若い方が多いです。同じ年代のほうが物事の考え方やスピードについていきやすいですし、年齢を重ねると自分の考えの方向性を変えるのもそう簡単ではなくなります。そうした思考の柔軟性含め、経営するにあたって年齢はまったく関係ないと思っています。
多くの事業を展開してきた経緯――医療ニーズのキャッチアップ
IMSグループは医療・介護・福祉などの事業を展開していますが、開業当初は病院しかありませんでした。現在のように幅広い事業展開に至った背景には1つの出来事があります。
ある高齢男性が急性心筋梗塞(きゅうせいしんきんこうそく)で入院され、数週間の治療で回復して退院することになりました。しかし退院のことをご家族に説明すると、患者さんの部屋を別のことに使ってしまい、戻ってこられる場所がないと言うのです。その時「急性期病院に入院したその日から退院後の生活を考え、トータルケアしていかなければならない」と痛感したのです。高齢者がある程度の期間入院してしまうと、退院後に元の状況に戻るのが容易ではなくなることを知り、それをサポートするための施設が必要だと考えました。
それと同時に思ったことが「患者さんは自分が住み慣れた地域からは出たくないだろうな」ということです。そこで各病院の周囲に施設を作って整備していった結果、現在のような形となりました。今でこそ地域包括ケアシステム*という言葉がありますが、私はこの言葉が生まれるだいぶ前から同様の考えを持って地域医療に取り組んでいたのです。
ゆりかごから墓場までと言われてきたように、生まれた時から最期まで自分が住み慣れた場所で過ごし、家族や知人に見守られながら人生の終焉を迎えるのが一番幸せだろうと考えています。医療の必要性に応じた段階的な施設をいくつも持っている理由はそれに尽きます。シンプルに地域の医療ニーズに応えていくうちに今の事業形態になっていきましたが、ニーズのキャッチアップというのは時代が変わっても常に行っていく必要があります。患者さんの声を直接聞くために、私は今も外来診療を続けています。
*地域包括ケアシステム:医療・介護・予防・住まい・生活支援が一体となり提供される体制のこと。人々が可能な限り住み慣れた地域で自分らしく暮らしていけるよう、団塊の世代が75歳以上となる2025年に向けて、各地の自治体により地域包括ケアシステムの構築と推進がなされている。