イノベーション 2024.09.30
“5つのM”から考える日本の高齢者診療の展望――山田悠史さんに聞く、幸せな老後へのカギ
マウントサイナイ大学病院 老年医学・緩和医療科 アシスタントプロフェッサー 山田 悠史さん
アメリカ合衆国(以下、米国)やカナダでは、高齢者診療の現場において“5つのM”という標語が活用されています。“5つのM”は臨床の現場で働く医療者をはじめ高齢者診療を学ぶ研修医や医学生にとって重要な指標であるとともに、一般生活者にとっても健康でよりよい老後を過ごすため必要不可欠な視点です。今回は、米国・ニューヨークにあるマウントサイナイ大学病院 老年医学・緩和医療科でアシスタントプロフェッサーを務める山田 悠史(やまだ ゆうじ)さんに、“5つのM”について解説いただくとともに、山田さんが注力している情報発信や、幸せな老後を過ごすためのアドバイスなどを伺いました。
“5つのM”とは――米国・カナダにおけるその効果や影響
“5つのM”とは
米国やカナダの医療機関では、米国老年医学会によって提唱された“5つのM”が、老年医学のエッセンスを分かりやすく伝える標語として活用されています。それは、以下の5つです。
1)Mobility(からだ/身体機能):“可動性”とも訳され、どのくらい動けるかを指す。身体機能に合ったサポートが必要。
2)Mind(こころ/認知機能・精神状態):脳や心の健康について、適切な評価のもと、できることがあれば予防することが大切。
3)Medications(くすり/ポリファーマシー):高齢になると多くの薬を服用するケースが増えるが、薬とうまく付き合うことも必要。
4)Multicomplexity(よぼう/多様な疾患):年齢を重ねると複数の病気を抱えるリスクが増加する。そうならないための予防が重要。
5)Matters Most to Me(いきがい/人生の優先順位):人生の中で大切なものの優先順位を決めること。治療方針を決めるうえで羅針盤ともなる。
山田 悠史著『最高の老後 「死ぬまで元気」を実現する5つのM』(講談社)より抜粋
米国における“5つのM”の活用
“5つのM”はキャッチーでシンプルな標語であるため、老年医学を専門としない医師にも意図が伝わりやすいと思います。このエッセンスが多くの医師に伝われば、高齢者診療をカバーする人材が増え、医療機関における高齢者診療の質を高めることにもつながるのではないかと考えます。
私が勤務するマウントサイナイ大学病院では、臨床現場に加え、研修医や医学生への教育でも活用されています。この“5つのM”に沿って評価して治療計画を立てていけばよいので、その分かりやすさゆえに急速に浸透していったのだと思います。
米国と日本の現状を比較すると、老年医学領域の専門医の数は米国のほうが多い状況にあります。また、米国の大学の医学部においては9人以上の老年医学の専門医を在籍させることが推奨されています(2024年9月現在)。加えて、米国においては“5つのM”に沿った診療が提供されているかどうかが、医療機関に対する評価の1つにもなっており、老年医学の分野は、国として力を入れている領域だと感じます。
日本における高齢者診療の展望
日本で高齢者診療を充実させていくためにすべきことは、必ずしも老年科専門医の数を増やすことではなく、高齢者診療において最低限押さえるべきポイントを浸透させることだと考えています。
すでに高齢化が進んでいる現在の状況では、今から専門医を増やそうとするよりも、米国のようにほかの領域を専門とする医師が高齢者診療にもあたれるようにするほうが現実的でしょう。決して“5つのM”である必要はありませんが、老年医学のエッセンスを広めるためにはこのような標語が効果的だと考えています。日本でも標語のようなものを作りたいと思っていますし、それを活用して高齢者診療のスキルを持つ仲間を増やしていきたいです。
また、高齢者診療に携わる者として、医療者側にも患者さん側にも、年齢によって画一的に物事を決めつけるエイジズム(年齢差別)が浸透していることは、とても残念なことだと感じます。決して簡単なことではありませんが、これからの高齢者診療を発展させていくには、人々の意識を変えていくことも必要だと考えています。
日本の高齢者診療にはほかにも大きな課題がたくさんありますが、イノベーションを起こせるよう私も日々尽力しています。
幸せな老後を過ごすために――医療情報の発信に注力
私は、『最高の老後 「死ぬまで元気」を実現する5つのM』(講談社)、『健康の大疑問』(マガジンハウス)など書籍の出版をはじめ、“NewsPicks”やポッドキャストを通じて日頃から医療情報の発信に力を入れています。
私は3つの思いを抱いて情報発信に取り組んでいます。まず1つめは、皆さんの健康に貢献したいという思いです。現代は、さまざまな情報が巷にあふれ、その中から正しい情報を取捨選択することが難しくなっています。正しい情報にたどり着けるか否かが、その人の健康を左右する要因になっていると感じます。また、年齢を重ねた患者さんを日々診療していて感じるのは、ご自身のこれまでの生き方に後悔の念を抱いている人が少なからずいらっしゃるということです。その人の時間を戻すことはできませんが、健康に関する正しい情報を多くの人に届ければ、後悔する人を減らすことはできるのではないかと考えました。
2つめには、私は現在米国で診療していますので、“日本のために何か恩返しをしたい”という思いがあります。“NewsPicks”のユーザーの多くは、働き世代で忙しく、健康にまで意識を向けることが難しい人です。健康情報が届かない層にも介入できるのではないかと思い、あえてこのメディアを選びました。一方、ポッドキャストのリスナーは、健康に不安がある、あるいは興味がある30~50代の介護や子育て中の人が多い印象です。介護や家事、育児などで手が離せなくても耳を傾けるだけでよいため、音声メディアが生活にフィットしているようです。あらゆることで忙しい世代に向けて健康情報を発信し、私を育ててくれた日本へ貢献できればと思っています。
3つ目は、老年医学について皆さんに知っていただきたいという思いです。老年医学という専門領域があり、高齢者のための診療スタイルがあることを一般の人にも知っていただきたいと考え、書籍を出版しました。さらに、老年医学に従事して楽しく働いている姿を発信していくことで、老年医学に興味を持つ後輩の医師が生まれるかもしれないという期待も抱いています。
“最高の老後”を過ごすために――山田さんからのメッセージ
病気を抱えながら老後を過ごしている人へ
病気を抱えている人は、それによって日常生活におけるさまざまな選択の幅が狭められるかもしれません。だからこそ、自分が大切にしたいことの優先順位を決め、できればそれを家族やかかりつけ医に話しておくことをおすすめします。家族と過ごす時間なのか、それとも病気の症状の緩和なのか、優先順位を決めておくと、万が一、何かあったときに自分を助けることにもつながります。
これは現在健康な人にも言えることですが、病気を抱えている人の場合には、特に大事なことだと思います。
これから老後を迎える人へ
若いうちは健康がいかに自身の幸せに影響を与えるのか、実感が湧きにくいかもしれません。しかし、年を重ねれば重ねるほど、健康が幸せに及ぼす割合は大きくなっていきます。健康のことばかり考える必要はありませんが、正しい健康情報を選び、将来のために何か小さなことでも健康のために心がけていただくことが、10年、20年と経過したときに大きな差となり、幸せな老後につながると思います。