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食べる、話す、笑う――生きるために必要な口の健康維持のため訪問歯科診療が担う役割

医療法人 幸創会 むとう歯科医院 理事長・院長 武藤 直広さん

愛知県中部に位置する東郷町は、名古屋市近郊のベッドタウンとして1965年以降急速に発展してきました。この町で父の跡を継ぎ、地域の人々の「口の健康」を守るむとう歯科医院の理事長・院長、武藤 直広(むとう なおひろ)さんは、訪問歯科診療にも精力的に取り組んでいます。高齢者にとって口腔(こうくう)ケアが重要な理由や、訪問歯科診療に取り組んだ理由、やりがいなどについて、武藤さんにお話を伺いました。


口腔ケアが重要な理由

特別養護老人ホームや介護老人保健施設などの高齢者施設にいらっしゃる人たちにとって、食べることは大きな楽しみになっています。口腔ケアは、単に口の中をきれいにするだけではなく、かんだり飲み込んだりするための機能回復を目指す摂食嚥下(せっしょくえんげ)リハビリテーションなども含まれ、それによって食べる、話す、笑うという、生きていくうえで重要な口の機能を守る医療行為です。

健康の維持という面でも、口腔ケアは重要な意味を持ち、日本人の死亡原因6位(2024年人口動態統計月報年計)の誤嚥性肺炎(ごえんせいはいえん)の予防や、誤嚥性肺炎の背景にあるとされる摂食嚥下障害の緩和にもつながります。また、かむ・飲み込む機能が回復すると食事量が増え、低栄養の回避なども期待できます。

こうした知識には、訪問歯科診療を続けるなかで得られたものもあります。


本格的に訪問歯科診療に取り組んだ動機

むとう歯科医院は私の父が1979年に開業し、この場所で46年間続いています。父が診療しているときは、依頼があれば出向くという形で訪問歯科診療をしており、私が2006年に地元に戻ってからもしばらくは同様の頻度でした。訪問歯科診療に本腰を入れるようになったのは8年ほど前です。

父の代から40年以上同じ場所で医院を開いているので、私が小学校に入る前からずっと来院してくださっている患者さんもいらっしゃいます。そうした人たちがお年を召して通院できなくなるという事態も出てきたため、こちらから出向くこともしています。そのような経験から、高齢化が進むこれからの社会に訪問歯科診療は絶対に必要とされるだろうという思いを強くしました。また、小学校から大学まで自宅から通っていたので、育ててもらった地域への恩返しをしたいという思いもあります。

周囲で訪問歯科診療をしている歯科医師からすすめられ、ケアマネジャーの資格を取ったことも、その後の仕事に生きています。

また、2006年の介護保険制度改定で「口腔機能向上加算」が創設されるなど、高齢者介護における歯科医師や歯科衛生士の役割が制度としても認められたこともあり、さまざまなことが重なって「やらなくては」という思いが強くなりました。


訪問歯科診療の難しさとやりがい

院内で治療する際は、たとえば照明や椅子の背もたれの角度といった環境を自由に調整できますし、必要な医療資源はそろっています。一方、訪問先ではベッドで横になった状態で治療をする場合もあります。訪問の前には入念に準備をしていますが、予期せぬ出来事で予定通りにいかないこともあります。そうしたときでも手持ちの道具である程度は応急的な処置をしなければならず、自分の持てる“武器”や引き出しを総動員する必要があるのが訪問歯科診療の難しさであると同時に面白さでもあります。
また、院内では患者さんとしかお話ししませんが、訪問だと主治医や訪問看護の担当者、ケアマネジャーなどとの多職種連携がさまざまな場面で必要になりますので、コミュニケーション能力も必要だと感じています。
現在、訪問先の9割以上は高齢者施設で、在宅の患者さんはわずかです。それも波があって在宅への訪問が立て続けに増えることがあると思えば、患者さんが亡くなることで在宅訪問がなくなるということもあります。施設に関しては、私1人で回るのではなくチームで対応しています。
訪問歯科診療では「スピード感」を特に重視しています。高齢の患者さんが相手ですから、人生の残り時間が少なくなっているかもしれないと思われる人もいます。困っていることがあればその場で改善できないか、痛みや不快感を早急に取ってあげられないかと、常に意識しています。
混同している人がいるかもしれませんが、訪問診療と往診は違うものです。計画して行くのが訪問診療で、往診は急患、急変時に予定外に赴いて治療することを指します。私は、求めがあって依頼者がよければ、通常の診療時間が終わってからでもまず往診をして状況確認や応急措置をしたうえで、できるだけ早い段階で訪問できるよう予定を調整しています。
認知症の患者さんなどは、たとえば入れ歯が合わなくて痛みや不快感があると忖度(そんたく)なくすぐに外してしまいます。そうしたストレートな反応が自分のレベルアップ、スキルアップにもつながり、相乗効果で外来診療にも生きてくると思っています。


若手も「この世界」に飛び込んで

団塊ジュニア世代が高齢者(65歳以上)になる2040年に向け、老年人口は増え続けると予測されています。そのようななかで、訪問診療の社会的ニーズが増えるのは明白で、歯科もその現実に対応していかなければなりません。

介護報酬が見直されるなかで、口腔衛生管理加算など口腔ケアにまつわる項目が増えています。ところが、そうしたことを知らない歯科医師も多くいるようです。そのような状況のままでは、社会福祉の大きな枠組みの中で、歯科だけが“置いてけぼり”になりかねないと危惧しています。

最期までおいしく口から食べる機能維持を支えるのは、歯科が得意とする分野です。多職種の人たちと連携し、誤嚥性肺炎予防やオーラルフレイル(口の機能低下、食べる機能の障害などの「口」に関する衰え)対策など、歯科が担える役割のすそ野を広げられればよいと思っています。私自身はケアマネジャーの資格を持っているので、介護・福祉に携わる人たちと歯科の橋渡しとして、積極的にかかわっていこうと考えています。

若手や訪問歯科診療に関心がある歯科医師は、最初から完璧に全てをこなすことを目指さなくてもよいと思います。たとえばかかりつけの患者さんのご自宅や施設に行って状況を見たうえで、入れ歯の調整など自分で対処できることであればやり、難しければ近隣の「訪問歯科診療のベテラン」につないだり、歯科医師会に相談したりといった「歯科―歯科連携」で、高齢者の口の困り事を解決して差し上げるといった入り方でもよいでしょう。

私が学生だった頃は、歯学部では高齢者歯科学や摂食嚥下などについて学んでおらず、自分で学会や勉強会に参加し、現場で経験をしながら少しずつ訪問歯科診療に必要な知識とスキルを身につけました。ですが、今の学生は歯学部で学び、これからは訪問歯科診療などもやらなければならないという考えを持っている人も増えているのではないかと思います。

経験が少ない若い先生にとっては、少し大変な部分もあるかもしれません。しかし、最初は外来を中心にしながら「ちょっとだけ訪問歯科診療をやってみる」という形でもよいので、他では得られないやりがいがあるこの世界に、ぜひ飛び込んでほしいと思っています。


訪問歯科診療を通じて高齢者が安心して暮らせる一助に

介護にかかわる人は口腔衛生アセスメント(評価)が的確にできていないケースがあり、「自立しているから口腔衛生も問題ない」といった評価が散見されます。ところが、実際に口の中を見せてもらうと、確かに自分で歯磨きはしているのですが、まったく磨けておらず汚れが取れていないという状況もみられます。介護に携わる人には、口腔衛生アセスメントの重要性を認識し、問題があれば歯科医師などにつなぐという意識を持っていただきたいと思っています。

移動にかかる時間は診療ができないこともあり、医業収入だけを考えれば自院でずっと患者さんを診ているほうがよいかもしれません。それでも訪問歯科診療に取り組むのは、時代のニーズがあるからです。重度の要介護状態となっても、高齢者が住み慣れた地域で人生の最期まで生活を続けることができるよう、住まい・医療・介護・予防・生活支援が一体的に提供される「地域包括ケアシステム」は、団塊世代が後期高齢者(75歳以上)になる2025年をめどに整備することになっていますが、現実はまだ進んでいません。歯科の力を理解してもらい、訪問歯科診療や歯科・口腔ケアに関する高齢者や介護関係者からの相談にもできるだけ応えることで、私はこれからも、高齢者が地域で安心して暮らしていく一助になりたいと思って活動しています。

 

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