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病気だけでなく、一人ひとりの全体像を捉えてケアすることの大切さ――新田國夫先生のあゆみと思い

医療法人社団つくし会 理事長 新田國夫先生

医療法人社団つくし会(以下、つくし会)は、地域で支え合う“やさしい町”を目指し、1990年に東京都国立市に新田クリニックを開設。現在は同エリアで在宅医療や高齢者複合施設などの事業を展開しています。商学を専攻していた大学時代、医学部入学、外科分野から在宅医療への転身など、つくし会 理事長の新田 國夫(にった くにお)先生にこれまでのあゆみと思いを伺いました。


生涯の伴侶との出会いがきっかけで、医師の道へ

もともとは、早稲田大学第一商学部(現 商学部)に通っていました。1960年代後半、当時はちょうど全共闘時代の真っ只中で、世の中的に哲学や新たな思想表現を好む傾向が強く、私自身も大学院に行って哲学を勉強しようと考えていました。ところが、大学在学中に生涯の伴侶と出会いました。その女性が病院経営者の一人娘だったことから、私は医学部に入り直すことにしたのです。こうして振り返ってみると、人生どこでどうなるか分からないものですね。


“技術が物を言う世界”だと思い、外科医になることを決めた

医学部を卒業後、10年ほど外科の分野で働きました。外科を選んだ理由は、技術が物を言う世界だと感じたから。変な言い方ですが、“患者さんとできるだけ遠いところ”にいたいと思ったのです。私は元来、人々の思いや思想的な部分に強い興味があったため、患者さんの近くでいろいろな思いに触れることで、社会的な運動に再熱しそうな自分を予感していました。だからこそ、手術の世界でひたすら治すことに徹しようと思ったのです。


病院で提供できる医療と外科的治療の限界を感じ、診療所の開業を決意

当時勤務していた病院の救命救急センターには脳出血で搬送されてくる方が多数いて、手術後に経管栄養(消化管内にチューブを挿入して栄養剤を注入し、栄養管理を行う方法)を必要とする患者さんをたくさん目にしました。また、高齢化の進展とともに、急性期治療後の高齢の患者さんをどこで診るのか、介護はどうするのかという問題が少しずつ浮き彫りになっていきました。このようななかで、私は徐々に、病院で提供できる医療と外科的治療の限界を感じるようになりました。これが、診療所の開業を決意した大きなきっかけです。

 


患者さんやご家族と接するなかで築き上げてきた在宅医療のかたち

しかし、当時はまだ“在宅医療”という概念や言葉はない時代でしたから、その分野の恩師や先輩と呼べる存在もなく、本当に手探りでしたね。ふり返ると、当初は自分の中に“在宅医療と病院で差があってはいけない”という考えがあり、病院の医療をそのまま持ち込もうとしていた気がします。たとえば、胸腔ドレナージ(溜まった空気などを抜くために胸腔内にチューブを挿入する)やお腹を開ける手術、中心静脈栄養(中心静脈内に挿入したチューブを介して水分や栄養の補給を行うこと)などを在宅で行うこともありました。

 

しかし、在宅医療でさまざまなケースに直面するうち、徐々に、“病気を治すことだけの医療では、患者さんや家族は幸せになれないのではないか”ということに気づきました。患者さんが抱える病気や障害のみならず、その人につながる家族、生活、社会、そのような“全体像”を含めてケアすることの大切さを実感したのです。患者さん一人ひとりが心豊かに過ごすためには何が必要かを考え、提供する。そのような在宅医療のあり方にたどり着いたのは、実際にたくさんの患者さんやご家族に接した経験があってこそだと思っています。


在宅医療は、患者さんの人生に一歩踏み込み、喜びも悲しみも分かち合える

2000年に介護保険制度が始まるまでは、診療報酬点数に加算されない部分もありましたので、そこに関しては半ばボランティアのつもりでニーズに応え続けていました。なぜなら、そこに在宅医療を必要とする方がいたからです。

大変なこともありますが、やはり在宅医療は面白いです。患者さん一人ひとり抱えている病気は異なりますし、生活スタイルや家族構成、そしてそれぞれの人生があります。病気というのは、その人の一部でしかない。病院で働いていた頃、自分は患者さんの“病気”しか診ていなかったのだなと実感しますね。患者さんの人生に一歩踏み込んで、喜びも悲しみも分かち合えることは、在宅医療の大きな魅力だと思います。

 

患者さんとの思い出は、本当にたくさんあります。最近では、クラシックの音楽家だった女性の患者さんがいらっしゃいました。膵臓がんを手術したあとにお電話をくださり、「手術ではお腹を開きましたが、がんの切除は困難だったようです。どうしたらいいですか」とおっしゃるので、「では、もう帰ってきますか」とご提案しました。翌日から在宅療養をされていました。その後、無事にお看取りを行い、葬儀にはお子さん3人と、私、婦長の5人だけが呼ばれました。驚くことに、ご自身で葬儀の内容をプロデュースされていたようで、事前に選んだ棺の上に庭の真っ赤なバラが飾られ、さらに、彼女が用意したシャンパン、会場に流れるクイーンの音楽、という具合に、彼女の大好きなものが詰まったお別れの時間でした。ご家族と共に葬儀に呼んでいただけたことは非常に嬉しく、また、ご本人とご家族が満足してくださったことが何より幸せです。


地域に根付いた医療を目指し、最後まで生きがいを持てる人生を支えたい

記事1でお話ししたように、医療法人社団つくし会は、地域で支え合う“やさしい町”の実現を目指しています。私たちは、これまでと同様に、支えを必要としている人々の思いにグループ全体、そして地域で協力し合い、応え続けたいと思っています。

 

また、最近では、どんなに高齢になっても生きがいを持って暮らせる環境をつくりたいという目標ができました。普段の生活に支障がないようにサポートすることはもちろん必要ですが、支援を受けるだけでなく、「活躍したい」「誰かの役に立ちたい」と思っている高齢の方は、実は多いように思います。

このような考えに基づき、 誰もがいつでも過ごせる交流スペースをつくりました。この交流スペースは、居場所のない方をなくす目的があり、認知症でデイサービスに通えない方などを含めてどなたでもふらりと立ち寄っていただけます。月に1回、くにちゃん食堂、オリーブの食卓、駄菓子屋を開催しています。また、子どもが勉強と気づかずに楽しく学べる教材を使ったワークショップなどさまざまなイベントを開催しています。子どもや高齢の方など幅広い年代が集まって交流し、子どもの居場所、そして多世代、多文化交流の場として機能することを目指しています。最近では、外国の方も参加されるようになりました。このような活動を通して、高齢の方を含めて地域住民の皆さんが生き生きと暮らせる環境をつくっていきたいです。

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