• facebook
  • facebook

法人として患者さんの人生に長く関わり、応援できる存在でありたい――医療法人 博仁会 鈴木邦彦理事長の思い

医療法人博仁会 理事長 鈴木邦彦先生

茨城県常陸大宮市を中心に、医療、介護、在宅医療など複数の施設を運営する“志村フロイデグループ”。 その根幹を担う医療法人 博仁会で理事長を務める鈴木邦彦(すずきくにひこ)先生は、中央社会保険医療協議会(中医協)委員や日本医師会常任理事を歴任し、現在は、地域包括ケアを支える法人経営に加え、常陸大宮市のまちづくりにも尽力されています。

鈴木先生に、これまでのあゆみや現在の思いについてお話を伺いました。


茨城県で生まれ、医師に。現在は、地域を支えるために日々尽力する

生まれは茨城県です。志村大宮病院近くの借家で生まれましたので、私は生まれてから100mも動いていないことになりますね。ちなみにその借家があった土地は、現在、病院の敷地の一部になっています。

父が医師だったこともあって「将来は自分も医師になるのだろう」と思い、ほかの職業を考えた記憶はありません。高校時代、理系よりも文系の成績のほうが圧倒的によく、そのときには一度、迷いましたね。しかし周囲の方に説得され、最終的には医学の道に進むことを決意しました。

臨床医としての経験よりも経営や医療政策に携わる時間が圧倒的に長いことを思えば、結局は文系寄りの人間なのかもしれません。

 

1980年に秋田大学医学部を卒業しました。その後、仙台市立病院、東北大学、国立水戸病院(現 独立行政法人国立病院機構 水戸医療センター)を経て、1996年に志村大宮病院の院長に就任。1998年からは医療法人博仁会の理事長を務めています。

現在、志村フロイデグループは1951年に開設された“志村大宮病院”を母体として、医療法人 博仁会、社会福祉法人 博友会、学校法人 志村学園、有限会社いばらき総合介護サービスの4法人で構成されており、地域の方々を支えるべく日々の業務に尽力しています。このように、さまざまな角度から地域の方々に関わり、可能な限りそのニーズに応えることが、当法人の使命であると捉えています。


自法人でのミクロな実践が、日本医師会でのマクロな取り組みに活用された

2009年には中央社会保険医療協議会の委員に選出していただき、6年にわたり委員を務めました。また、2010年から2018年までは日本医師会常任理事を務めました。任期中には医療保険および介護保険を担当し、かかりつけ医や在宅医療、地域包括ケアシステムの推進などに携わりました。

記事1でもお話ししましたが、もともと志村フロイデグループは、地域の高齢化や公的急性期病院の誘致計画などを受け、志村大宮病院が地域を支える病院となるよう、リハビリテーション(以下、リハ)、緩和ケア、認知症ケアを中心に、かかりつけ医機能を備え、また、介護施設や訪問看護ステーションなどを展開することで、介護や在宅医療を必要とする地域の患者さんの受け皿を整えてきました。このような試みは、地域のニーズに応え、来たるべき将来に向けた改革だったのです。

しかし、結果的には、グループ単位のミクロな視点で実践していたことが、日本医師会におけるかかりつけ医や在宅医療、地域包括ケアシステムの推進というマクロな視点での取り組みに通じ、その経験を生かすことができました。日本医師会での日々は、多忙ながらも非常に充実したものでしたね。


訪問調査を通じて、海外における医療の実態を知る

私は、先進的な取り組みをされている施設の話を聞くと、すぐに実際に訪問して勉強したいと思います。それは日本国内にとどまらず、海外でも同じです。

2000年代に小泉政権下での医療改革が起き、日本の医療にアメリカ型の市場原理を導入しようとする一つの流れがありました。しかし私はその流れに危機感を覚え、日本が参考とするべき実例を見つけるべく、2008年から毎年、医療関係者と学者で調査団を構成し、海外の国々における医療の実態を把握するための訪問調査を行いました。対GDP比の保健医療支出が日本と近かったイギリスや、日本と似た社会保険制度を採用しているドイツ、フランスを始め、これまでにオランダ、アメリカ、韓国、台湾、オーストリアなど、いくつかの国で医療、福祉の実態を調査しました。

 

これまでの訪問調査を通じて、世界各国の医療の実態を知り、日本における医療提供体制の改革に向けたエッセンスを抽出することができたように思います。また、一方で、日本の国民皆保険制度がいかに平等であるかを実感しました。「保険証1枚で平等に医療を受けられる日本のシステムはすごい」とあらためて思いました。実際、調査活動のなかで、少子高齢化が進む韓国では日本の介護保険制度を参考にしているといった話も聞きました。

ここからは私見ですが、“日本が世界に向けて輸出できるものは何か”と考えたとき、一つの可能性として、我が国の医療保険制度や介護保険制度、地域包括ケアシステムがあるかもしれません。特に、アジアでは急速に少子高齢化が進むと予測されていますので、それぞれの国に合わせた形でそれらの制度やシステムを輸出することができたら、その価値は高いでしょう。そして、日本の医療機器や介護機器、医薬品なども合わせて輸出することができれば、それは日本が世界に誇れる輸出産業になるのではないかと希望を抱いています。


留学をきっかけに、ドイツという国が大好きになった

お世話になった方はたくさんいらっしゃるのですが、なかでも、東北大学大学院での研究を指導してくださった恩師、光岡知足(みつおかともたり)先生との思い出は印象的です。光岡先生が理化学研究所にいらっしゃった頃に内地留学をして、腸内細菌叢の研究に携わり、大いに刺激を受けました。

また、1989年には、光岡先生に紹介していただき、ベルリン自由大学へ留学する機会を得ました。ドイツでの日々は非常に濃密でしたね。実は、渡独後にちょうどベルリンの壁が崩壊しまして、私にとっては激動の半年間でした。すっかりドイツびいきになり、子どもが幼い頃には家族でドイツのさまざまな地域を巡りました。お気づきかもしれませんが、志村大宮病院の病棟には、エーデルワイスやチロルなど、ドイツに関連する名称がつけられています。

*内地留学:現職のまま、国内にある自己所属以外の研究機関などに派遣され、研究を行うこと

 

2014年、恩師のロイター夫妻と


志村フロイデグループ 理事長としての思い、これからの展望

常陸大宮市は私たち志村フロイデグループ発祥の地でもあるので、なんとか守り抜きたいと思います。しかしながら常陸大宮市の人口は、2015年から2040年までに3割以上減少すると推測されていますので、すでに当グループの拠点がある水戸市やひたちなか市など近隣のエリアでも地域のニーズに応えられるよう、さらに体制を整えたいですね。

 

病院というのは主に病気やけがのときに患者さんに関わる場所ですが、介護やリハビリなどを提供する施設は、患者さんやご家族の生活に深く関わります。このように、慢性期医療は患者さんと“長いお付き合い”があります。これからも私たちは、グループとして患者さんの人生に長く関わり、応援できるような存在であり続けたいと思います。

記事一覧へ戻る

あなたにおすすめの記事

詳しくはこちら!慢性期医療とは?
日本慢性期医療協会について
日本慢性期医療協会
日本介護医療院協会
メディカルノート×慢性期.com