病院運営 2019.03.11
橋本康子先生の挑戦−地域を守る病院からリハビリの世界へ
医療法人社団和風会 理事長 橋本康子先生
医療法人社団和風会の理事長を務める橋本康子先生は、地元香川県で病院を運営し、地域のニーズに応えるなかでリハビリテーション機能の重要性を感じ、2007年には大阪に「千里リハビリテーション病院」を開設しました。
橋本病院−成り立ちと経緯
「地域の人々が安心して暮らせる町」を支えるために
橋本病院は、香川県で父が開設した病院です。私は1987年まで大学病院で呼吸器内科医として働いていましたが、父の具合が悪くなり、跡を継ぐ形で地元に戻ってきました。
もともと橋本病院は、香川県の西端、豊浜町にありましたが、私が病院を継ぐタイミングで、少し離れた山本町に新築移転しました。その背景には、近隣の町長に「病院を建て直すなら、私たちの町にきてほしい」とお願いされたことがあります。
当時、山本町の人口は7,000人ほど、その隣の財田町は5,000人ほどでした。合わせて12,000人もの町民が住むエリアには1つだけ診療所があったのですが、院長が高齢のため療養予定であり、無医村になる危機が迫っていました。「町に医療の機能がなければ、人口がどんどん減ってしまう」と、町長たちはたいへん困っていたそうです。
幸いにも、豊浜町のエリアには三豊総合病院という自治体病院がありました。そこで、父と私は山本町と財田町を無医村にせず、医療に困る人が出ないようにと、山本町への新築移転を決めました。このように、橋本病院は地域のニーズに応え、「地域の人々が安心して暮らせる町」を支えるための病院として発展してきた経緯があります。
病院として、リハビリテーションの重要性に気づく
新しい橋本病院は、1989年、山本町に114床で開院し、1999年には154床に増床しました。当時は、必要に応じて訪問診療も行っていました。
呼吸器内科が専門でしたから、肺炎の高齢患者さんを診る機会が多くありました。そのなかで、何人かの患者さんが、それまでは自力で歩いて外来通院していたのに、肺炎治療による数週間の入院を経て、その後、車椅子で生活していることに気づきました。
つまり、入院中に安静にしすぎることで、患者さんのADL(日常生活動作)が低下するという望ましくない結果がもたらされていたのです。
この変化に気づくことができたのは、訪問診療で患者さんの生活ぶりを見ることができたおかげかもしれません。それまで自力で歩いていた方が、寝たきりになり、車椅子が必要な生活を送っている。そのようなケースを目の当たりにして、私は愕然としました。病気を治すことはもちろん大切ですが、患者さんがもとの生活に戻れなくなるようでは、意味がない。どうにかしなければいけない、と強く思いました。
病院として、病気を治す機能のほかに、「できるだけ患者さんの体の状態を回復して、もとの生活に戻す機能」が必要だと思いました。それが、リハビリテーションという分野に携わるようになったきっかけです。
しかしながら、それまであまり縁のない分野だったこともあり、リハビリが必要なことは漠然とわかるけれど、実際どのようにしたらよいのかは見当もつかず、一念発起してリハビリの勉強を始めました。
勉強を進めるうちに、リハビリは、あらゆる診療科に「診療科+リハビリ」という形で必要であることがわかってきました。
一般的には、リハビリは外科や整形外科、脳神経外科とのかかわりが多く、特定の患者さんに必要なイメージがあると思います。しかし、実際には、病気を治すだけでなく患者さんをもとの生活に戻すという医療の役割を考えたとき、そこにはリハビリが少なからず関与してくるものだと知りました。
橋本病院に回復期リハビリテーション病棟を開設
2000年には、橋本病院に回復期リハビリテーション病棟を40床開設しました。
リハビリの必要性を強く感じて始めたリハ病棟でしたが、先に述べたとおり、橋本病院は地域を支える一般病院としての役割があり、入院施設を備えた病院がエリア内唯一という状況は変わらずにいたため、リハビリだけに特化することは困難でした。
そんなとき、大阪で病院整備計画の公募がありました。その公募内容がちょうど、療養病床+回復期リハビリテーション病棟というポストアキュートを担う病院だったのです。
リハビリに特化した「千里リハビリテーション病院」を開設
このような経緯があり、2007年、大阪に千里リハビリテーション病院を開設しました。
「リハビリテーションリゾート」をコンセプトに、居心地のよい空間を目指してつくった当病院は、2008年に『グッドデザイン賞(社会領域)』、2009年に『医療福祉建築賞』などを受賞しました。
*次の記事では、千里リハビリテーション病院について、ご紹介します。