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“最期は家で暮らす”と自然に思える社会を――「どこで生きるか」の選択を支える病院づくり

おうちにかえろう。病院 院長 水野 慎大先生

日本国内における看取り(死亡)場所の割合は病院がもっとも高く「自宅で死を迎えたい」と希望する患者さんの願いの全てはかなえきれていない現実があります。そのような思いを抱く患者さんやご家族のために、地域包括ケア病棟を有して急性期病院と在宅医療の橋渡し役を担う医療機関「おうちにかえろう。病院」が、2021年4月、東京都板橋区に設立されました。今回は院長の水野 慎大(みずの しんた)先生に、水野先生が地域医療の道に進むと決めた背景や、患者さんらしい生活を続けるための病院の取り組みについてお話を伺いました。


水野先生の医師としての歩み

医学部卒業時から抱いていた地域医療への思い

医師である父が母に仕事の話をしていたのを側で聞いていて、純粋に楽しそうだなと思ったことが医師を目指した最初のきっかけです。医学部卒業時には、父が市中病院の勤務医であったことや医学生時代に見た医療過疎地での活動に共感したことなどから、将来は地域医療に携わりたいという思いを持っていました。また、初期研修医時代に訪問診療の機会があり、その経験を積むなかで、地域医療の中でも特に在宅医療が自分にとって軸になる領域であると強く感じました。

初期研修を終える頃には「将来は病院と在宅の両軸で医療に関わりたい」と決意し、まずは急性期医療の現場で勉強をして、一人前になってから地域医療に軸足を移すという計画を立てました。

 

やまと診療所との出合い、急性期医療から在宅医療へ

大学病院に所属して急性期医療の現場で働きながら、次は在宅医療を一生懸命勉強して、その先に病院と在宅の両軸を実践している施設へ行きたいと考えていました。次のステップへ移るチャンスを探していた時、初期研修医時代の先輩であり当法人代表の安井 佑(やすい ゆう)が在宅医療に取り組んでいることを知り、安井が開設したやまと診療所に入職して在宅医療を学びました。そして2021年、「おうちにかえろう。病院」の院長となり、現在に至ります。


日本における地域医療の課題とは

これまで地域医療に携わってきたなかで感じる課題の1つは、急性期医療と在宅医療の間にギャップがあり、在宅医療に使えるはずの資源を有効活用できていないために、自宅で亡くなりたい、という思いを叶えられない患者さんが少なくないことです。これは当院がある板橋区でも顕著に感じられる課題だと思っていますし、我々が板橋区で活動する意味にもつながっていると考えています。

急性期医療と在宅医療は同じ地域の中にあっても、それぞれの言葉や文化を使って別々に活動し、お互いが相手の文化に興味関心を持つ機会が持てていない状況です。私たち地域包括ケア病棟が両者をつないで、お互いの環境や考え方、思いなどを通訳し、伝えられるような存在になれれば、その状況は変わるのではないかと考えています。


急性期病院と自宅の架け橋――「おうちにかえろう。病院」の役割と取り組み

急性期病院と自宅をつなぐ医療機関として両者のことを考える

私たちは急性期病院と自宅での在宅医療をつなぐ医療機関として、“知ろうとすること”を一番大切にしています。急性期病院と在宅医療がそれぞれ今どのような環境に置かれているのか、何を軸に考えているのか、どういった結果を出しているのかなど両方向に興味と関心を持ち、考え続けることに努めています。

“命を守る”急性期医療において、ガイドラインは非常に重要です。一方で在宅医療の場合、“命を守る”医療から“暮らしを守る”医療へ視点を切り替える必要があり、ガイドラインを順守した治療だけが正解とは言い切れません。患者さんやご家族の暮らしはそれぞれ違うため、ケースバイケースで考えていくしかないときもあります。ただ、そこには一定の戦略が見えてくるはずなので、医療機関としての正解を出せるようになっていくことも大事です。暮らしを守り日常生活につないでいくための戦略を見つけつつ、それを考えるうえで急性期病院と在宅医療の両方を知っておくことが大切だと思っています。

 

医療者と患者さんではなく、人と人のコミュニケーション

 

当院のスタッフは患者さんと接する時に、“相手を知ること”、“会話を通して患者さんに「自分がこれからどのように生きていきたいか」を思い出してもらうこと”を意識しています。

医療の現場では患者さんの話をするときに、「○○病の□□さん」と表現するのが一般的です。一方、当院では「□□さん」と、過去や現在の病歴ではなく患者さんその人を主体にして、その方がどのような人生を歩んできた方なのか、趣味は何かなどを共有しています。これは医療従事者としてではなく、同じ“人”の目線で患者さんとコミュニケーションを取ることを重視しているためです。別のスタッフが話を聞いただけで、その患者さんの雰囲気が思い描けますし、こうしたやり取りをして初めて、私たちも患者さんを“人”として見た会話ができると考えています。

また、患者さんにこれからの生活をどのように暮らしていくのかを考えてもらうために、これまで何をして、何を考え、何を大切に生きてきたのかをお伺いしています。第三者であるスタッフが問うことで患者さんは頭の中を整理することができ、自分らしさに気付いてもらうきっかけになります。

このほか、退院後のご自宅での生活を患者さんが自分らしく生きるための支援策として、家屋調査という手段を用いて、当院スタッフと一緒に一度ご自宅に帰り、ご自宅での生活をどう感じるかを体感してもらっています。ご家族と場所や時間を共有して以前の感覚を思い出してもらい、今の自分にとっても違和感がないかを考えていただく機会です。

 

“かえる”“かえらない”どちらも選択できるように

当院は今後も一定水準以上の在宅復帰率の維持を目指していきます。

現在はサブアキュート*の方を中心に受け入れています。病院運営の観点ではポストアキュート**の方とサブアキュートの方の受け入れ割合は意識する必要がありますが、どちらの患者さんに対しても“かえる”“かえらない”の選択をいずれかに誘導する、あるいは自宅に帰ることを強制することは一切ありません。家に帰るよりも人の多い場所に残りたいと感じる患者さんには、残るという選択をしていただいて構わないと思っていますし、患者さん本人やご家族にもそう伝えています。患者さんには“かえる”“かえらない”、両方の選択肢のうちどちらが自分の人生にとってしっくりくるかを考えて選んでいただけたらと思います。

また、スタッフにも一人ひとりの患者さんと関わるときに在宅復帰率のことを意識しなくてよいと伝えております。

 

*サブアキュート:在宅や介護施設などでの療養者の症状が急性増悪した状態

**ポストアキュート:急性期後に引き続き入院医療を要する状態


患者さんと医療従事者が混ざり合う空間づくり

“曖昧さ”を残した施設――立場や職種に規定されない院内風景

 

当院を作るにあたっては、ここで何をしたいのか、どういう場所にしたいのかを考え抜いて全てのことに意味を持たせた施設にしました。ナースステーションや院長室は作らず、スタッフと患者さん、ご家族がいる場所の区切りを曖昧にして混ざり合う空間作りにこだわりました。病棟内の各所には座って話をしたり、立ったまま作業したりできる止まり木のようなスペースを配置して、スタッフと患者さんが気軽に対話できるような設計になっています。

また、職種を規定する要素も曖昧にするという意図でスタッフには制服や服装のルールもありません。医療資格を持った者と患者さんではなく、“人と人”として向き合っていきたいと考えているためです。

 

コミュニケーションによって患者さんに変化が生じたエピソード

80歳代の男性で、活気がなく食事を取ることもほとんど拒否してしまうような患者さんが当院にいらっしゃいました。患者さん自身もご家族も今後の生活のことを決められずに悩んでいたのですが「生まれや育ちが富士山の近くだから最後に富士山を見せたい」というお話がご家族からあり、それを聞いたスタッフが帰省の際に富士山の写真を撮ってきて患者さんに見せました。するとその後から食事を取り始め、心身が回復して富士山を見に行くこともできるようになっていき、最終的にはご家族とご自宅に帰りました。

来院時、患者さんはこの先のことは諦めるしかないと思っていたのかもしれません。しかし、故郷である富士山の写真を見て感情が動き、自分の家に帰りたいという能動的な思いが高まったことが、食事を取ることや気力の回復につながったのでしょう。また、本人の意欲の変化を見ていたご家族も、外出から病院に戻った際に迷いなく「自宅に帰ります。帰って体が弱ったとしても、それでよいと思います」とおっしゃっていたのが印象的でした。

 

コミュニケーションによってスタッフに変化が生じることも

患者さんたちと一緒に自分らしく生きるためにはどうすべきか悩むなかで、自分の人生や自分の家族との関係について考え直し、その結果退職するスタッフもいます。院長としては一緒に働けなくなってつらい部分はありますが、決意したスタッフの背中を押したいと思っています。コミュニケーションが多いことは、医療従事者側も自分の人生を考える機会につながっています。


これからの目標

私たちの最終目標は、最期を家で迎えるという選択肢が患者さんやご家族、医療従事者の中で当たり前のように浮かぶ世の中になっていくことです。

現在の日本社会では、まだまだ“おうちにかえる”ことが選択肢として上がりにくい現状があります。この状況を変え、患者さんとご家族が「おうちにかえろう。」と自然に思える文化を成熟させるために、当院はこれからも取り組みを続けていきます。

また、そのためには同じ思いを持ち、行動できる人を増やしていく必要があるため、当院が地域医療の担い手となる人材を育てていきたいと考えています。地域医療を志す医療従事者にとって当院が学校のような存在になり、ここでの経験を生かして各地で自分なりのチャレンジをしてもらえると嬉しく思います。

一方、患者さんとご家族にとっては、“どこで・誰と・どのように残りの人生を過ごすか”を自然に考えられる場所と時間を提供し続ける施設であることを目標にしています。


水野先生からのメッセージ

慢性期医療に関心を抱く医療従事者へ

慢性期医療というフィールドのチャンスやポテンシャルは皆さんの想像以上に大きいと感じます。慢性期医療や在宅医療の質を追求することで世の中を強く動かす力が生まれると思っていますが、関わっている人がそのポテンシャルを信じなければ体現できないでしょう。慢性期医療に興味を抱く若い方々には、眠っているチャンスをどんどん掘り起こしていってほしいですし、そうすることでこの領域はさらに楽しく、やりがいのあるものになるのではないでしょうか。

 

患者さんを支えてきたご家族の方へ

患者さんの死後、それを受け止めてご家族は生きていかなければなりません。ただ、身近な人の最期と向き合うなかで苦しみ、悩んだご家族には、十字架のようにその事実を背負わないでいてほしいと思います。ご家族が背負いきれないものは医療従事者が背負えることもあると思います。患者さんの死が負の経験になってしまわないように、死をあたたかく、その後を生きる人たちがお互いを責め合わないように、私たちもできる限り支えてまいります。

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