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地域に貢献し、「共に生きる社会」を実現したい−仲井培雄先生の思い

芳珠記念病院 理事長 仲井培雄先生

石川県能美市で芳珠記念病院をはじめとする医療・介護サービスを幅広く展開し、地域共生型社会を目指すほうじゅグループ理事長の仲井培雄先生。2014年より地域包括ケア病棟協会の会長を務め、2018年には地域共生型施設「G-Hills」を開設されました。仲井先生のこれまでのあゆみと現在の取り組みにかける思いについて、お話を伺います。


仲井培雄先生のこれまでのあゆみ

  • 父が建てる病院を継ぐことを覚悟し、医師を志す

小さい頃から乗り物が好きで、本田宗一郎さんに憧れていました。あるときまでは、本田技研工業に入ってエンジニアになるのが夢でした。一方で、祖父が眼科医、父が外科医という環境に生まれたこともあり、幼い頃から「ますおちゃんも医者になるんでしょ!」という周囲の期待を受けて育ちました。その期待に応えるように、漠然と「将来は医師になる」という思いを持っていたように思います。そして、父が「新しい病院を建てるぞ」と言い出したとき、当時、高校生だった私は、息子として、病院を継ぐ覚悟をしました。

 

高校時代、数学や物理、化学、生物など理系分野が得意で、工作などの手仕事も好きだったので、医学は自分に合っていると思いました。このまま医学部へ入れば、苦手な文系の分野にはあまり触れずに、得意分野を活かせる、などと目算していました。

ところが、実際には、医学部の勉強や患者さんとのコミュニケーションには文系の力は非常に大切で、たいへん苦労しました。特に、要点をまとめて話したり、論文を書いたり、学会で発表したりするときには、うまく言葉が出てこない自分に苦しみながら、自身の限界に向き合ったものです。

 

  • へき地医療への従事や留学経験が、地域医療にかける思いの礎を築き上げた

自治医科大学を出てからは、舳倉島(へぐらじま)や白峰村などに赴き、へき地医療に携わりました。舳倉島は離島で、白峰村は山奥にあります。大きく異なるふたつの環境での医療を経験したことで、医師としても、人としても、大きく成長することができました。

 

その後、金沢大学の第二外科に入局し、消化器外科医として腕を磨き、1999年からはオーストラリアのRoyal Brisbane Hospitalへ留学しました。多民族国家であるオーストラリアでは、さまざまな背景を持つ人々の文化融合に、大いに刺激を受けました。多種多様な文化に触れたあの頃の経験が、さまざまな背景を持つ人同士が「共に生きる」という、私の地域医療における根本的な目標につながっているのかもしれません。


現在、精力的に取り組んでいること

  • 地域包括ケア病棟協会 会長としての使命−「ときどき入院、ほぼ在宅」を実現するために

2014年の診療報酬改定で地域包括ケア病棟が新設されたことに伴い、同年5月に「地域包括ケア病棟協会」が発足しました。さまざまなご縁があり、発足当初より、会長を務めてきました。

 

会長としての使命は、地域包括ケア病棟の4つの機能(ポストアキュート、サブアキュート、周辺機能、在宅・生活復帰支援)を充実させることで、「ときどき入院、ほぼ在宅」をしっかりと実現し、地域の方の医療ニーズに応えることです。

そのためには、アウトカム評価の仕組みを、地域包括ケア病棟に導入する必要があると考えています。つまり、生活支援の程度を、入院契機となった疾病の発症前、発症後、退院後という段階で評価することができれば、改善の経緯を導き出すことができます。

 

しかし、現状は生活支援の程度をアセスメントする基準がありません。このようなアセスメントのためには、リハビリ、栄養、認知症、ポリファーマシーなどあらゆる要素を調べる必要があります。このような視点から、今後は医療、介護、福祉のデータベースを連携し、人工知能(AI)を使ってアウトカム評価を構築する方法を進めるという夢があります。

 

在宅復帰支援のアウトカム評価が構築されれば、在宅・生活復帰支援に力を入れて平均在院日数を短縮するインセンティブが高まり、地域包括ケア病棟が、より質の高いケアを提供できるようになると考えています。

 

  • 地域医療にかける思い−ヘルスケアサービスで能美市をひとつにしたい

 

 

記事3でもお話ししたように、「能美市の地域づくりに貢献したい」という強い思いで、さまざまな取り組みを進めています。グループ全体で医療、介護、福祉を提供することはもちろん、共生型施設「G-Hills」において、多種多様な背景を持つ地域の人々が支え、支え合い、共に生きる社会の実現に向けて、尽力していきます。

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