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健康長寿社会の実現を目指した“医工看共創”への取り組み

東京大学大学院 工学系研究科マテリアル工学専攻 教授 一木隆範先生

2022年10月25日、公益財団法人川崎市産業振興財団(KIIP)が運営するナノ医療イノベーションセンター(所在地:川崎市川崎区殿町、略称:iCONM)の構想が文部科学省/JSTの“共創の場形成支援プログラム(COI-NEXT)共創分野・本格型”のプロジェクトに採択されました。本プロジェクト「レジリエント健康長寿社会の実現を先導するグローバルエコシステム形成拠点」は超高齢社会における看護の課題に焦点を当て、誰もが手軽に扱うことのできる医療製品の研究・開発と、その製品を扱ううえで必要なケアリテラシーの醸成を行います。プロジェクトリーダーとして取り組みを進める東京大学大学院 工学系研究科マテリアル工学専攻 教授 一木 隆範(いちき たかのり)先生に、プロジェクトの概要や目指す未来像についてお話を伺いました。


COI-NEXTの新規プロジェクトに採択

ナノ医療イノベーションセンターは、世界中の人が自律的に健康になれるスマートライフケア社会の実現をミッションとして誕生しました。現在の目標は、2028年度を目安にiCONM発の医薬品・医療機器等を上市させ、iCONMが設置されているキングスカイフロント地区の価値を高めていくこと、そして2045 年度に“体内病院”を実現させることです。体内病院とは、ウイルスサイズの病院(スマートナノマシン)が体内の微小環境(がん細胞の周囲に作られる特殊な環境)を自律巡回し、24 時間診断を行いながら、異常時には即座に治療する仕組みです。突飛な印象を受ける方もいるかもしれませんが、今や多くの人が使っているコンタクトレンズも眼球内にレンズを入れるわけですから、開発時には相当な勇気を必要としたでしょう。医療技術の変遷を鑑み、私たちは“体内に医療技術が存在する”ことこそ究極の未来だと考えました。

 

今回私たちのプロジェクトが採択された“共創の場形成支援プログラム”とは、未来のありたい社会像(拠点ビジョン)の実現に向けた研究開発や産学官共創システムの構築を、国(文部科学省/国立研究開発法人科学技術振興機構)が支援する取り組みのことです。ウィズ/ポストコロナ時代を見据えて策定される拠点ビジョンは、国連の持続可能な開発目標(SDGs)に基づいている必要があり、私たちは“医工看共創が先導するレジリエント*健康長寿社会”を掲げました。さらに4つのターゲットと5つの研究開発課題を策定しています。

 

*レジリエント:病に対して“しなやかな復元力”を有する状態のこと

 

【ターゲット】

  1. 1.みまもり技術でどこでも診断
  2. 2.在宅で手軽な看護・治療
  3. 3.老化制御で健康回復
  4. 4.社会基盤をつくる

 

【研究開発課題】

  1. 1.健康みまもりセンシングシステムの開発
  2. 2.生体I/Oデバイスによる優しい医療介入技術の開発
  3. 3.老化を診断・制御するスマートナノマシンの開発
  4. 4.長寿イノベーションの実現に向けた市民啓発と実証フィールド構築
  5. 5.長寿イノベーションの社会実装


プロジェクト発足の経緯

日本における高齢化の問題は疑うまでもありません。高齢化社会ではケア(看護・介護)の需要が格段に上昇します。しかし技術の進歩が著しい医療現場とは異なり、看護の現場には、まったくといってよいほど技術革新がありません。看護師の人手不足が問題視されているなかにあっても、変化が起こっていないのです。

 

看護の現場は私たちが想像する以上に過酷です。特に在宅看護では、患者さんの状態を判断する際、自分の手と目と経験が頼りで、そこに科学技術はありません。しかし本当は、医師がバイオマーカーなどの数値を頼りに判断しているのと同じように、看護師にも客観的判断を行うためのツールが必要です。ほかにも、血管がもろい高齢者への注射や採血、薬剤管理など在宅看護には多くのニーズが存在していました。

 

国は在宅医療の強化を訴えていますが、看護現場での本質的な課題解決がなされていないことから考えると、医療崩壊が起こると言っても決して大げさではないでしょう。看護現場におけるイノベーションを実現し、質・量ともに十分な看護の提供体制を構築する必要があります。


イノベーションがもたらす新しい医療の形

私たちのプロジェクトは、在宅医療における診断から治療までを簡便化することで、患者さんと看護師両方の負担を減らすことが目標です。

 

また慢性疾患を持つ患者さんは、老化が原因で起こる病気が積み重なっていく傾向にあるため、医療・ケアシステムの構築と並行して、エイジングコントロールに着目した研究も行っています。私たちのグループはもともと医薬品を作る技術を強みにしているので、レジリエンスを高めて身体機能の低下を遅らせ、健康寿命を延ばす取り組みにも力を入れています。

 

そして最終目標は、看護の知識がない患者さんの家族でも、自宅などで手軽に使うことができるケアテクノロジーを生み出すことです。


プロジェクトチームが行う具体的な取り組み

冒頭で取り上げた4つのターゲットに対する研究開発について、その具体的な取り組みをご紹介します。

 

みまもり技術でどこでも診断

血液や尿、唾液などの体液に含まれるマイクロRNA (miRNA) は、さまざまな病気の診断に役立つバイオマーカー候補として注目されています。そのmiRNAを始めとする核酸関連物質を安定的に体内で運ぶ細胞外小胞(エクソゾーム)が私の研究テーマで、がんをはじめとする難治疾患の早期検出や治療効果判定に利用できる疾病マーカー候補、さらには治療への応用が期待されていますが、その分析・同定技術はいまだ確立されていません。そこで、この問題に取り組むべくナノ粒子解析装置の開発を始めました。ほかにも、呼気によって健康管理ができるシステムやパッチ型デバイスなどの研究・開発を行っています。

 

在宅で手軽な看護・治療

高齢者への“注射”に関する課題は、採血という“診断”だけでなく“治療”にも存在します。そこで私たちは、定期的なインスリン注射を必要とする糖尿病領域に注目して、血糖値依存的にインスリンが自動で供給されるマイクロニードル技術を確立しました。このほか、AIを使った服薬管理システムの開発も行っており、今後は病院のような専門施設でないと管理が難しいとされているワクチンなどの高度医薬品を自宅でも管理できるような技術開発も目指したいと考えています。

 

老化制御で健康回復

医療・ケアシステムの構築と並行して、老化の抑制に着目した研究も行っています。慢性疾患を持つ患者さんは、老化が原因で起こる病気が積み重なっていく傾向にあり、レジリエント健康長寿社会を目指すうえでは、身体機能の衰えを遅らせるエイジングコントロールが重要となるためです。私たちのグループはもともと医薬品をつくる技術を強みにしているので、老化制御医薬品等の開発によって身体機能の低下を遅らせ、健康寿命を延ばす取り組みにも力を入れています。

 

社会基盤をつくる

iCONMの拠点ビジョンである“医工看共創が先導するレジリエント健康長寿社会”は、決してiCONMと医療現場のみで完結するものではありません。アイデアの種をくださる看護協会や看護大学、ビジネスとしてのチャンスを感じて協力してくださる企業、そして何よりケアリテラシーを高める意欲がある市民の協力が必要です。市民向け広報イベントや看護協会との意見交換会の実施をとおして、共感・実証フィールドの設立にも取り組んでいます。

在宅医療では、看護師が24時間患者さんに寄り添うことはできません。患者さんの家族を含む一般市民が、ケアテクノロジーを活用するうえでも重要なケアに携わるための知識と理解力(ケアリテラシー)を習得していく必要があります。

 

そこで私たちは、人生の中で生じ得るさまざまな健康課題を学び、自分自身や周囲の人々へのケアについて学習するプログラムの開発も行っています。そして「そもそもケアとは何か」「なぜ必要なのか」「どれだけ大変なことなのか」という基本を学ぶことは、新しい技術を知っていただく以上に価値があると考えており、東京大学大学院医学系研究科 健康科学・看護学専攻 高齢者在宅長期ケア看護学/緩和ケア看護学分野 准教授の五十嵐 歩(いがらし あゆみ)先生が本研究開発課題を先導しています。そして、“ケアリテラシー認定制度”を設けることによって、ケアに対する理解を深め、当事者意識を持つきっかけを作っていく機会も検討しています。

五十嵐 歩先生(写真左)、一木 隆範先生(写真右)


未来の医療・ケアシステムを社会に浸透させるために

本来は大人が担うと想定されている家事や家族の世話を子どもが日常的に行う“ヤングケアラー”の問題は、聞いたことがある方もいるかもしれません。しかしまだまだヤングケアラーの存在は浸透していないため、当事者が自分だけで問題を抱え込んでしまうケースも少なくありません。私たちの研究が、ケアに取り組む若者の一助となることを願っています。そして若い方々には、ぜひ早いうちからケアに興味を持っていただき、その重要性と課題を認識してほしいですね。

 

先日学生を主な対象に、高齢化社会の解決策について考えるワークショップを行いました。冒頭で今後の日本医療について解説した際には未来に怯えていた学生たちでも、ワークショップが進行して「科学で何ができるだろうか」と当事者意識を持って考えられるようになってくると、さまざまなアイデアが生まれたのです。このように行政や病院、そして市民が一緒になって、やがて訪れる未来は今からでも変えられるということを実感することが大切です。

 

画期的な技術は、浸透までに時間がかかります。しかし皆が当事者意識を持って捉えることができれば、浸透までのスピードを速めることも可能です。「皆さんで変えましょう、未来は変えられますよ」という認識を、まずは看護師と共有して、最終的には川崎市民の方々に広げていきたいですね。

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