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人生の最期を迎える人へ看護師・僧侶の玉置妙憂さんが行うスピリチュアルケア

医療法人社団永生会 みなみ野病院 看護師・僧侶 玉置 妙憂さん

大学病院の外科で看護師をしていた玉置妙憂(たまおき みょうゆう)さんは、ご主人の“自然な死”をきっかけに出家。現在、東京都八王子市にある医療法人社団永生会 みなみ野病院などで、看護師資格を持つ僧侶として、人生の最終段階にある人へのスピリチュアルケアを行っています。玉置さんが行うスピリチュアルケアとはどのようなものなのでしょうか。玉置さんのこれまでのあゆみとともにお話を伺います。


枯れるように美しく亡くなった夫

夫はがんを患っていました。一度は治療を受けて経過観察をしていましたが、数年後に再発が疑われる腫瘍(しゅよう)が見つかり再手術。ところが、術後の抗がん薬治療に進むタイミングで夫に「もう治療を受けたくない」と言われました。私は相当困惑しましたが、その意志は非常に固く、夫の希望どおり治療をせずに過ごすことに。そして、最終的には自宅で“自然な死”を迎えました。私の考える“自然な死”とは、無理をしていない、我慢していない、よい意味で諦められている――の3つがそろった死のことです。医療が介入していようと、最期を迎える場所がどこであろうと、この3つの条件がそろえばそれは自然な死ではないかと考えています。夫は医療も介護も受けていましたが「積極的な治療をしたくない」という本人の意思を全うすることができたので、夫にとってはごく自然な死だったのではないかと思っています。

最後は飲めなくなり、食べられなくなり、ほどよく枯れるように亡くなっていきました。点滴をしていなかったので、余分な水分が体に残っていなかったためです。私は大学病院の外科で看護師をしていたので、最後の最後まで点滴をしているのは当たり前で、なかには亡くなった瞬間にも抗がん薬を投与していた患者さんもいました。人間はひどく浮腫んで亡くなっていくものだと思っていたので、夫の死にゆく姿を見たときに「本来、人間はこんなに美しく、綺麗に亡くなることができるのだ……」と大きな衝撃を受けました。そして、自分の体をきちんと枯れさせて亡くなってゆくことは、人間に与えられている能力なのではないかと思ったのです。もちろん点滴がだめということではありません。点滴をして助かるのであればするべきです。考えるべきは、もう本人が必要としていない水分を入れる必要があるのか、ということです。自分で自分の体の後始末をするという仕事を、もしかすると医療が邪魔しているのではないかというのを感じさせる死でした。


ごく自然と「僧侶になろう」と思った

夫の介護をしているとき、私は言葉では何とも表現しようのない心のしんどさを抱えていました。夫がこの世からいなくなることへの不安ともまた違う虚しさのようなものです。夫の死後「あのしんどさって何だったのだろう」と考えたときに、それが自分自身のスピリチュアルペイン*だということに気付きました。

夫は訪問診療、訪問看護、訪問介護といったあらゆるサービスを利用していましたし、ケアマネジャーも介入していました。私たちを支えてくれる両親もいて、自身も専門知識を持った看護師です。周りには「これだけ恵まれていて、何も大変なことないわね」と言われていました。ただ、それでも何とも言えない心のしんどさを吐き出したり、うまく受け止めてくれたりする場所はどこにもありませんでした。

あのしんどさがスピリチュアルペインであることに気付いた私は、スピリチュアルケアについて勉強をし始めました。そしてそのとき、何か自分自身を支える背骨となるような考えが欲しいと思い、ごく自然と「僧侶になろう」と思い立ったのです。そこには大きなひらめきがあったわけでも、大きな決心があったわけでもありません。なぜ僧侶になったのか、と行く先々で聞かれるのですが、これといった理由はなく、ごく自然に、そして迷いなく出家をしました。

*スピリチュアルペイン:人生の意味や死への恐怖など、生死について考える際に生じる心の痛みや苦しみ。


看護とスピリチュアルケアは両立できない

出家後、最初に戻ったのは在宅医療の現場です。看護師の仕事をしながら、僧侶としてスピリチュアルケアもするつもりでしたが、始めてみてすぐに看護とスピリチュアルケアは両立できないと思いました。看護師の仕事を全うしようと思うとスピリチュアルケアが疎かになり、逆もまた然りであることに気付いたのです。

たとえば、このようなことがありました。ALS(筋萎縮性側索硬化症)の女性で「眠れない」と訴えていました。眠れないと言われた場合、看護師であればなぜ眠れないのかを評価(アセスメント)して原因と解決策を探り、眠れるようにケアを行います。この患者さんの場合、最終的には医師と相談のうえ、睡眠薬を変更して眠れるようになり、ご本人も「眠れるようになった、ありがとう」とおっしゃっていました。看護問題としては解決です。

一方で、今度はその患者さんの話をスピリチュアルケアとして聞いてみると、別の問題が見えてきました。ALSは全身の筋肉がだんだんと使えなくなる病気です。彼女は「目を閉じたら明日の朝、自分の力で目を開けることができないかもしれない。そう考えると、怖くてたまらず眠ることができない」と話してくれました。しかし一度、医療的に不眠を解決してしまったがために、彼女はそれ以上何も言えなくなってしまったそうです。彼女が抱えていた何ともいえない恐ろしさ、まさにスピリチュアルペインは心の中に押し込められ、彼女自身が1人で対峙しなければならない問題になってしまったのです。

スピリチュアルケアでは患者さんが抱えている不安にフォーカスして、ただただ話を聞くという方法を取りますが「眠れない」という患者さんを目の前にして話を聞いているだけでは、看護師としては無能です。一方、看護師が科学的に問題を解決してしまえば、スピリチュアルペインは置き去りになってしまいます。両立は難しいと考えた私は、何とかしてスピリチュアルケアだけをする立場で仕事ができないか模索しました。そして現在は、スピリチュアルケアだけを行う看護師として雇われています。四苦八苦してようやく自身の立ち位置を見つけることができたと感じています。


アドバイスも評価も不要、本人の話にただただ耳を傾ける

現在はみなみ野病院の緩和ケア病棟で週に2回勤務しています。行っているのは、ご要望をいただいた患者さんの病室を訪問して、その人のお話に耳を傾けるスピリチュアルケアです。患者さんのお話は実にさまざまで、人生の思い出話を語られる人もいれば、死後の世界ってどうなっているのだろう、死ぬときに何が起こるのだろうと聞かれる人もいます。患者さんと2人、ただ黙って同じ部屋にいるだけのこともあります。みなみ野病院のほか、精神科デイケアを行っている病院で薬物依存の人やリワーク(職場復帰に向けたリハビリテーション)中の人などへのスピリチュアルケアを行ったり、個人の患者さんから依頼を受けたりすることもあります。

患者さんのお話を聞くときに大切にしているのは、本人の思いや考えを邪魔しないことです。私からのアドバイスや評価は全て邪魔になります。たとえば、患者さんの話に対して私が「偉いですね」と言ったとします。一見するとよい言葉がけのように思えますが、本人が命懸けで体験していることに対して、「偉いですね」などという言葉は全く必要のない上から目線の評価でしかありません。

また、常に平常心を保つことも意識しています。「あなたにだから話すのよ」と涙ながらに言われたら、ついついうれしい気持ちになってしまうのが人間です。しかしそれは、相手に話をさせることで自己肯定感を高めていることになります。反対に「あんたが来ると早くお迎えが来る気がするから帰ってくれ」と言われることもありますが、だからと言って落ち込むことはありません。相手の発言で一喜一憂するのは、スピリチュアルケアが自分事に置き換わってしまっている証拠です。


科学では応えられないニーズに応えられるかもしれない

医療が最後の最後までできることは苦痛を和らげる緩和ケアです。しかし、苦痛を100%取り除くことはできませんし、どれだけ頑張っても死を防ぐこともできません。医療ではこれ以上何もできることがない状態になったときに、スピリチュアルケアであればまだ何かできる可能性があると思うのです。

たとえば「死んだ先には神さまや仏さまが待っているのかな」「亡くなったお父さんがお迎えに来てくれるのかな」と聞かれても、それは科学では分かり得ません。しかし、宗教であれば答えられる可能性があります。なぜなら宗教は全て“たられば”だからです。誰も神さまにも仏さまにも会ったことはありませんが「仏教の教えではこのように言われていますよ」と言って患者さんが安心できるなら、それでよいのではないかと思っています。もはや科学では説明する必要のないことでしょう。

ただし「仏さまを信じれば安楽になれますよ」というのは間違った宗教の使い方だと私は考えています。決してこちらから無理強いするものではなく、教えを解くわけでもありません。あくまでも、患者さんの気持ちが楽になるかどうかです。もし患者さんから「何か元気の出るご真言があれば教えてください」と言われれば、私の知り得る範囲でお伝えします。

また、緩和ケア病棟で患者さんに接していると、多くの人が不思議なことを語り始めます。「部屋の隅に誰かいる」など、いわゆる“お迎え現象”といわれることです。医療的に言えば幻覚やせん妄ですが、私は「そうなのですね、どのような顔をされていますか?」とまるで本当にそこにいるかのように話します。患者さんが「迎えに来てくれたのかな」と言えば「迎えに来てくれたのであれば、ちょっと安心じゃないですか」と答えます。科学ではもはや応えられないニーズに対して、スピリチュアルケアなら応えられる余地があると思います。

※玉置さんのインタビュー後編はこちらのページをご覧ください

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