• facebook
  • facebook

コロナ禍で進んだ“時計の針”――顕在化した医療・介護の課題とは

上智大学総合人間科学部社会福祉学科 教授 香取照幸先生

世界中で混乱と変容を起こした新型コロナウイルス感染拡大。「新型コロナのような災害は、社会の時計の針を大きく進める」と話す香取 照幸(かとり てるゆき)先生(上智大学総合人間科学部社会福祉学科 教授)に、今回浮き彫りになった医療・介護の課題とそれらへの対応策について伺いました。


浮き彫りになった医療・介護における“リダンダンシー”の欠如

2020年に始まった新型コロナウイルスの感染拡大。このような災害は、社会の“時計の針”を20年、30年という単位で進めます。なぜなら、それまで見えていなかったさまざまな問題が顕在化し、社会が大きく変容するからです。

日本では、医療の現場がギリギリの状態で回っているという事実が明らかになりました。 “redundancy(リダンダンシー:余剰)”という言葉をご存知でしょうか。ダムや水道など公共インフラを整備する国土計画の世界ではリダンダンシーの確保は重要な概念で、施設の一部が機能しなくなったときに全体が機能不全とならないよう予備の施設やシステムを用意しておくのが通例です。しかし、日本の医療・介護には残念ながらリダンダンシーの概念はありませんでした。そのため医療資源や人材の余裕が少なく、新型コロナの感染者増によって医療が逼迫してしまう事態に追い込まれてしまいました。

 

写真:PIXTA


教訓を生かして平時からの地域包括ケアネットワーク構築を

1995年の阪神・淡路大震災では災害医療の体制構築が不足していたことにより兵庫エリアの医療体制が崩壊しましたが、その反省を生かしてDMAT(災害派遣医療チーム)が発足しました。これにより大規模災害や多数の傷病者が発生した際にはその現場に迅速に医療チームが駆け付けるシステムができ、2011年の東日本大震災の発生時にはDMATが大活躍したのです。

これからは、疾病構造や患者像の変化に応じて病院・病床の機能分化を進めて最適化すること、それぞれの機能に応じた医療資源の再分配を行うこと、そして、建前ではなく実態として医療と介護を連続的・一体的に提供できる「地域包括ケアネットワーク」を各地域で構築することが重要と考えています。

今回のコロナ禍は、医療が抱える多くの課題を明らかにしました。今後日本はさらなる高齢化(高齢者の高齢化)が進みます。高齢の方の大半は高齢夫婦のみ世帯か独居世帯で暮らすようになります。今でも入院患者の7割近くは65歳以上の方です。今回のコロナ禍でも、基礎疾患を持つ高齢の新型コロナウイルス感染者の対応が大きな問題になっています。このままだと20年後の日本では、基礎疾患を持つ高齢の方への医療提供がますます困難になるでしょう。

人口が減少するなか、医療や介護に割ける社会的インフラや専門人材にも限りがあります。有限の医療資源をいかに効率的・効果的に活用して生活に必要な医療・介護サービスを地域できちんと確保していくのか。提供体制改革、医療・介護ニーズに合わせた医療・介護の機能分化、選択と集中、そして建前ではなく実態として医療と介護を連続的・一体的に提供できる「地域包括ケアネットワーク」を各地域で構築することが重要と考えています。


“医療崩壊”の意味すること

新型コロナウイルス感染症にかかり、入院待ちで自宅待機していた患者さんが適切に診療を受けられずに容体が急変して亡くなってしまうという例もありました。この背景にはもちろん医療提供システムの持つ構造上の問題があるのでしょうし、実際、医療の現場は逼迫しているだろうと思います。

しかしながら、欧米で実際に起こったことと比較すれば、同じ意味での“医療崩壊”が日本で起こっているとはいえないでしょう。これまでにも、救急患者さんのたらい回しという問題はありました。もし入院待ちの方が死亡してしまうのを「医療崩壊」と呼ぶなら、そのような状況は今までも起こっていたことになります。

医療崩壊とは医療のシステムそのものが崩壊すること、システミックリスク、ということです。分かりやすく言えば、新型コロナウイルス感染症以外の普通の患者さんが通常受けられるはずだった当たり前の医療を受けられずに亡くなる、そして命を落とす必要のなかった人が次々と亡くなってしまうような事態を指すのです。実際にアメリカなどでは、新型コロナウイルス感染症の患者さんを受け入れるためにほかの病気で入院している患者さんを強制的に退院させることになり、それでもベッドが足りずに廊下に患者さんが溢れ、さらに亡くなった方を引き取るはずの葬儀屋の機能も追いつかず、防護袋に入れられた遺体が廊下などに並んでいる――そんな状況が起こりました。これこそまさに医療崩壊と呼ぶのではないでしょうか。

 

よく、「日本の新型コロナウイルス感染症患者は欧米よりも桁違いに少なくて、しかも日本のベッド数は欧米よりもたくさんあるのに、どうして医療崩壊するのか」と疑問を呈する人がいます。これはもっともな疑問です。確かに欧米で起こったような医療崩壊は起きていません。しかし、別の意味で、新型コロナウイルスによって日本の医療は危機に瀕しています。

医療機関の機能分化と連携の弱さ、圧倒的に少ない現場の人員配置等々、日本の医療提供システムが持っていたさまざまな弱点が新型コロナウイルスによって一気に露呈しました。ギリギリの人的資源でなんとか回してきた日本の医療システムは、今回のように突発的な医療ニーズが集中的に発生し、局所的に負荷がかかるとそこから簡単に崩れてしまうのです。

今私たちにできるのは、新型コロナウイルス感染症の患者数が急激かつ集中的に増加し、局所的に医療に過剰な負荷をかける状況を回避することです。ですから、とにかく新規感染者数を減らすこと、そのことを最優先に考えるべきなのです。1人でも患者数を減らそうというときに、人々に旅行に行くことを促すようなGOTOキャンペーンのような施策を政府が推し進めるなど、私には理解できません。あのような施策を展開するのにはまだ早すぎるように思います。このような大変な状況の中で日々医療や介護に従事されている方々を心から尊敬します。


社会保障の分野で研究を続けてきて思うこと

素材:PIXTA


社会保障の分野で研究を続けてきて思うこと

これまで社会保障の分野で仕事を続けてきて思うのは、企業も個人も“当事者”として社会に参加することの重要性です。たとえば少子化対策について、企業の人は「これは国策ですから税金でやってください」と平気で言います。しかしよく考えてみてください。少子化対策として保育所をつくり、子どもを安心して預けられる環境や仕組みをつくったとき、益があるのは誰でしょう。その1つは企業ですよね。保育所がなかったら働けなくなる女性はたくさんいるのです。

それから、「女性の社会進出については女性が主体で頑張ればよい」と言う男性。それは違いますよね。自分たちが当たり前に働けているのは誰のおかげでしょうか。仕事の世界で男女共同参画なら、家庭でも私的生活の分野でも男女共同参画でなければ、そんな「女性の社会進出」は女性に二重の負荷をかけるだけのことです。私たちは社会の一員であり、何かしらの意味で当事者なのです。

その意味で、政治への参加も重要です。発信しなければその声は決して届かないし、投票しなければ今の政権・今の政治家・今の政策を支持していることと同じ。「どうせ何も変わらない」と言って何も行動しなければ、絶対に変わらないでしょう。

今の日本は、デモ1つ起きない“おとなしい市民社会”です。民主主義社会だったら、市民は当たり前に自分の主張を表現するために行動します。フランスでもイギリスでも、アメリカでも市民はデモをします。香港だってミャンマーだって、ロシアだって、やるべきときには市民はデモをします。ですから、私たち一人ひとりが社会の当事者であるという意識を持って政治に参加し、意思表示を続けていく必要があると思います。

記事一覧へ戻る

あなたにおすすめの記事

詳しくはこちら!慢性期医療とは?
日本慢性期医療協会について
日本慢性期医療協会
日本介護医療院協会
メディカルノート×慢性期.com