イノベーション 2025.03.13
“重症麻痺”を治せる未来を目指して――麻痺した手を動かせるBMIの可能性
慶應義塾大学 理工学部 生命情報学科 教授 牛場 潤一さん
これまで、脳卒中で損傷した脳は機能回復が難しく、麻痺した手の場合は特に治療的なアプローチが難しいと考えられていました。慶應義塾大学 理工学部 生命情報学科 教授の牛場 潤一(うしば じゅんいち)さんは、そのような常識を疑い、脳の持つやわらかさ(可塑性:かそせい)に着目し研究を続けています。脳と機械をつなぐリハビリテーションで麻痺の改善を目指す実験を繰り返し、開発したBMI(Brain Machine Interface:ブレイン・マシン・インターフェース)機器は2024年3月に国内で医療機器としての認証を取得し、医療現場にも取り入れられています。なぜBMIによって、麻痺した手を動かすことができる可能性があるのでしょうか。今回は、牛場 潤一さんにBMIを用いたリハビリテーションで麻痺を改善する仕組みや、その可能性についてお話を伺いました。
BMIとは? 麻痺した手の改善につながる理由
脳の信号を外部の機器へ伝達するプログラム
BMIとは、脳(Brain)と機械(Machine)を機能的に連携させるインターフェースであり、脳科学とAIが融合した技術の総称です。
たとえば、体に麻痺があり手を動かすことが困難な人でも、頭の中で「手でコンピューターのカーソルを動かそう」と考えると脳波に変化が生じます。このような脳の信号を外部の機器に伝達してAIが分析し、本人の代わりにロボットやコンピューターが動くようにつなぐプログラムがBMIなのです。
麻痺の改善を目指すことが可能に
我々は脳卒中による麻痺の改善を目指すため、BMIの持つ可能性に注目し研究を進めてきました。たとえば、脳卒中で脳の神経細胞が傷つくと、脳の運動シグナルが筋肉にうまく伝わらなくなるため麻痺が起こります。脳の傷ついた部分を避ける形で新たな経路を使うことができれば、麻痺した場所であっても動かせるのではないかというのが、我々の研究のコンセプトです。
BMIの仕組みを使い、計測した脳波をワイヤレスでタブレットPCに転送し、脳の中で運動に関連する脳領域が活動したと判断できたときだけロボットが麻痺した手の動きをサポートします。筋肉への電気刺激によって筋収縮を促すことで、体が動いた感覚は脳にもフィードバックされます。このように神経情報が循環することで脳の回路の組み替えを誘導し、麻痺した部分のリハビリテーションが進むと学術的には考えられています。この仕組みを応用し、薬機法に適合した形で我々が研究開発した機器は、2024年3月に日本国内で医療機器の認証を取得しました。2024年6月より複数の医療機関に導入が開始され、診療に利用されています。
脳に関心を抱いたきっかけとBMIの持つ可能性
私が脳やAIに関心を抱いたのは、小学生のときの経験がきっかけです。コンピューター教室で、プログラミングやAIに初めて触れた私は、会話を重ねることでAIが賢くなっていく様子を見て、人間が学習するのと同じ能力をプログラムで作れることに驚き興味を抱くようになりました。
中学時代には、有名な脳科学者の先生から、てんかん治療のために脳の半分を切除*した人についてお話を伺う機会に恵まれました。脳の半分を失っても残りの脳が機能を補うことで、ほかの人と変わらない生活を送っていると聞き、とても驚くとともに強い興味を抱いたことを覚えています。
また高校に進学後に祖父が脳卒中で倒れ、手の麻痺と失語の後遺症が残り車いす生活を送ることになりました。家族として介護の大変さを身をもって知ることになったのです。この経験をきっかけに芽生えた「医療に携わりたい」という思いと、少年時代から抱いてきたAIや脳への関心とが混ざり合って、いつしか「脳とAIをつなぎ医療に貢献したい」と考えるようになりました。
大学は理工学部に進みましたが、医学部で医療について勉強する機会をもらいました。患者さんや医療従事者の本音を聞ける場で学び続けたことで、これまでの研究成果を論文にまとめるだけではなく、新しい医療サービスとして実際に患者さんへ届けたいと考えるようになったのです。そのような思いが、リハビリテーション機器の開発・製造・販売につながりました。
リハビリテーションによって手を握ったり開いたりする動作ができれば、調理器具や食器を支える、電話の受話器を取るといった生活動作を取り戻すことができますし、握手やハグで愛情を表現することもできます。手の麻痺の改善は、生活を便利にするだけではなく、人間としての尊厳を取り戻すことにもつながるのではないかと考えています。
*大脳の片側半分にわたる広汎な障害がある難治性のてんかんに行われる手術。半球切除術。
なぜBMIを用いたリハビリテーションに効果が期待できるの?
麻痺した手のリハビリテーションにBMIを活用
BMIを用いたリハビリテーションの研究を我々は黎明期から行っています。その間、世界的にも研究が進み、多くのエビデンスが蓄積されてきました。
日本脳卒中学会による『脳卒中治療ガイドライン2021〔改訂2023〕』では、「亜急性期以後の障害に対するリハビリテーション診療」の「2-4 上肢機能障害」に関する項目で、BMIを応用した訓練を「通常の上肢機能訓練に追加すること」を考慮してもよいと記載されています。推奨度は“C”で、これは5段階中の3番目にあたります。エビデンスレベルは“高”で3段階中もっとも高く、学術的なエビデンスは高いと評価されています。今後、全国のリハビリテーションを行う病院にBMIが普及し、使いこなされていくようになっていけば、推奨度は”B”や”A“になっていくのではないかと思います。
BMIで麻痺を改善する仕組み
BMIで麻痺が改善する仕組みを、学術的に推論してみましょう。BMIを使ったリハビリテーションで、脳卒中による麻痺の改善が期待できるのは、慢性期になっても脳の中に変化する性質(脳の可塑性:かそせい)が残っているためだと考えられます。
脳卒中のリハビリテーションに、頭の中で運動するイメージを描くという方法がありますが、患者さん自身はイメージしていることが正しいかどうか判別することができません。そこでBMIの技術を利用し、運動をイメージしたときに脳の回路が適切にはたらいているかどうかを画面に表示します。さらに、正しく脳が活動した場合は、制御用コンピューターから手指に装着した電動装具に信号が送られます。電動装具が動きをサポートすることで、手を動かすことができるのです。リハビリテーションを始めたときには適切なイメージが掴めず、うまく手を動かすことができなかった人も、BMIのフィードバックを参考にしながら試行錯誤を繰り返すことで、次第に正しい脳の使い方を理解し、手を動かせるようになると期待しています。これは1人では分からなかった正しい運動イメージを、BMIのティーチングを参考に反復練習することで、だんだんと確信させていく仕組みです。筋電図や鏡で正しい筋肉の動きを患者さん本人にフィードバックしながらリハビリテーションを行うバイオフィードバック療法という方法があります。筋肉ではなく、脳のバイオフィードバック療法と考えていただくと、分かりやすいかもしれません。
ただし脳のリハビリテーションは、以前使っていた正しい回路を思い出すだけではありません。脳卒中発症前は使っていなかった場所も含め、脳の運動野で傷ついていない部分を迂回し、脳と手指をつなげる新しい神経回路を使う方法を学習するという要素もあるのです。脳の回路を新しく組み替え、代償回路を獲得し活性化できれば、機器をはずしても指を動かすことが期待できます。
これまで行ってきた研究で、BMIを用いたリハビリテーションによって約7割の人に麻痺の改善がみられることが分かってきました。約7割という数字は、臨床的には十分利用してみる価値を感じられるものだと思いますが、裏を返せば約3割の人は、BMIを使っても改善できない可能性があるとも言えます。それは脳の可塑性の限界なのか、それとも装置性能に改善の余地があるのか、その理由についてはまだはっきりと分かっていません。今後BMIを使ったリハビリテーションが普及し、さらに多くのデータが集まれば少しずつ判明していくでしょう。
BMIの持つ可能性――適応範囲の拡大を目指して
脳の病気や障害は一般に、標準治療ではなかなか改善が難しいケースがあります。しかしそうした中枢神経の機能障害の中には、脳卒中の麻痺のリハビリテーションと同じような仕組みを使って改善できるものもでてくるのではないかと考えています。たとえば、小児に起こる脳性麻痺は、BMIを使ったトレーニングで改善が期待できるかもしれません。若ければ若いだけ脳がやわらかく、しなやかに組み替わる可能性が期待できるからです。これからは、BMIの適応範囲の拡大を目指していきます。
また、脳卒中による片麻痺で肩関節に障害が起こった場合のBMIを使ったリハビリテーションについても研究中です。手指は、右手指であれば左の脳、左手指であれば右の脳がコントロールを担っています。一方、肩関節は左右両方の脳と接続されています。片方の脳に障害が起こっても、神経細胞が傷ついていない側の脳につながる回路を鍛えることで、肩関節の動きの改善が期待できると考えています。このように、より大規模に脳の中の配線を組み替えることで麻痺の改善を目指す研究も行っていきます。
BMIが当たり前の未来へ――BMI機器を使ってみてほしい
現状では、BMIによるリハビリテーションを受けるには、医療機関に通院する必要があります。しかし、慢性期の患者さんには、在宅医療やデイケアで使用したいというニーズもあるでしょう。そこでヘッドフォン型の簡易的なワイヤレスの脳波センサーとタブレットを使用して、ご自宅でも練習できる環境づくりを目指したいと考えています。将来的には、血圧計や体温計のように気軽に家庭で使えるBMI機器を実用化できれば嬉しく思います。
私自身は、神経科学者として脳の可能性を諦めないことをコンセプトに研究に取り組んできました。『脳卒中治療ガイドライン2021〔改訂2023〕』にも掲載されたことで、急性期・亜急性期・慢性期と全ての段階において普及していくフェーズに入ると考えています。今後は医療従事者の先生方にご指導いただきながら、治療メニューや使い方について共同で研究していくことになるでしょう。BMIを用いたリハビリテーションが当たり前の治療になる未来がやって来ることを願っています。脳神経外科や脳神経内科、リハビリテーション科の先生には、ぜひBMI機器を手に取り、使ってみていただきたいと思います。