キャリア 2025.01.29
稲葉俊郎さんが考える“いのちを呼びさます場”とは
慶應義塾大学大学院 システムデザイン・マネジメント研究科 特任教授 稲葉 俊郎さん
“いのち”や健康の本質と向き合い続け、医療と芸術の融合を目指す医師・稲葉俊郎(いなばとしろう)さんは、現在、大学に所属しながらウェルビーイングの場の研究と実践に取り組まれています。「湯治場を“いのちを呼びさます場”に生まれ変わらせたい」と語る稲葉さんに、今回は芸術監督を務める芸術祭“山形ビエンナーレ”での活動、今後の目標やキャリアを重ねていくうえで大切にしていることについてお話を伺いました。
※稲葉さんのインタビュー前編はこちらのページをご覧ください
芸術祭“山形ビエンナーレ”の芸術監督に就任
軽井沢病院在職中からの大きな出来事の1つに、日本で唯一、大学主体で開催している芸術祭である“みちのおくの芸術祭山形ビエンナーレ”の芸術監督に就任したことがあります。きっかけは、山形ビエンナーレの主催団体である東北芸術工科大学の学長、中山(なかやま) ダイスケさんからのお誘いでした。私はかねてより、現代美術家の猪熊 弦一郎(いのくま げんいちろう)さんが大切にされていた“美術館は心の病院“という考えが素晴らしいと感じていました。そのことを著書『ころころするからだ』で述べたほか、猪熊さんが創設したMIMOCA(丸亀市猪熊弦一郎現代美術館)で開催されたシンポジウムに登壇した際にもお話ししました。すると、シンポジウムに参加していた中山さんから「“芸術や医療の役割は人間の全体性を取り戻すことである”とのテーマで、芸術監督をやってもらえないか。どこにもない芸術祭を共に創りませんか」と光栄にもお声がけいただき、お引き受けすることにしました。私は医療では扱えない人間の深い解決し難い問題も、芸術という通路を介して扱えるのではないかと感じていたのです。
2019年に芸術監督に就任し、初めての芸術祭は2020年9月で開催が決定していました。しかし、2020年初頭から新型コロナウイルス感染症の流行が拡大し、次々に芸術関連のイベントが中止になりました。山形ビエンナーレも開催が危ぶまれましたが、私は「このような状況だからこそやらなければ」と訴え続けました。当時は“芸術は直接リアルで観賞しなければ意味がない”という考えが一般的でしたが、検討を重ねた結果、開催することそのものに意義があるとの結論に至り完全オンラインで実施しました。共にディレクターとして創り上げたみなさんの決断があったからこそ実現できたことで本当に嬉しかったです。その後、オンラインと現地のハイブリッド開催の時期を経て、2024年9月には念願かなって山形県の蔵王温泉で“いのちをうたう”芸術祭として開催することができました。
湯治場を“いのちを呼びさます場”に
蔵王は修験道の聖地でもあり、蔵王温泉は約1900年の歴史があるといわれている湯治場です。私は湯治場をとても重要な場所だと考えています。湯治場は、はるか昔から農作業で疲れた体を休め、再び農作業をする力を得るために人々が集う場でした。温泉という地球のエネルギーには、その人の中にある“いのちの力を呼びさます力”があるのだと思います。ある意味、湯治は日本の医療の原点だと思います。
私自身は西洋医学の病院に行って検査をしたり薬をもらったりしても、“いのちが呼びさまされた”とは感じません。むしろ芸術や音楽、文学や物語に接したときに“いのち”が活性化するのを強く感じます。最近は病院の中に素敵なレストランやカフェを設置するところが増えています。誰もが、病院では得られない安らぎやくつろぎ、幸せな気持ちをこういった場所では得られると感じているのでしょう。これはとても重要で本質的なことです。
2024年の山形ビエンナーレ・“いのちをうたう”芸術祭では、蔵王温泉そのものを人々の魂が休息できる“魂の療養所”に見立て、その空間の中で芸術作品を選び組み立てました。歩いて巡りながら、美術作品だけではなく自然も共に鑑賞できるような空間設計です。そのため、芸術祭でありつつも、療養所や保養所のような世界観を実現できたと考えています。
“放てば手に満てり”で次のステージへ
軽井沢病院の職を辞した直後、慶應義塾大学の友人からの誘いを受け、2024年5月からは慶應義塾大学大学院 システムデザイン・マネジメント研究科(SDM)の特任教授に就任しました。持続可能な未来社会の実現に向けた研究に取り組む山形 与志樹(やまがた よしき)先生の未来社会共創イノベーション研究室に所属し、ウェルビーイング(well-being)*の場の研究と実践に関わっています。
また、武蔵野大学では世界初のウェルビーイング学部も立ち上がり、以前対談での共著も出させていただいた前野 隆司(まえの たかし)先生にもお声がけいただき、こちらの客員教授も兼任しています。2024年に設立された新しい学部ですが、将来的には大学院構想もあり、これまでのキャリアを生かして人材育成にも力を入れていきたいと考えています。
“放てば手に満てり”との道元の言葉がありますが、人生は何かを手放すことで新しいものが入ってきます。現在の目標は、寂れて廃業してしまったところも多い湯治場を、素晴らしい日本の医療の原点、日本が世界に誇るウェルビーイングの聖地と捉え、誰もが自ら健康増進に取り組むことができる場に生まれ変わらせることです。単にグルメや観光という文脈に留まらず、芸術や文学、山歩きや転地療養などを組み合わせ、人間の体や心、魂の治療としての温泉という新しい潮流を作れたらと考えています。大学に所属しつついろいろな人と関わりながら、志を同じくする友人と共に実現していきたいと思っています。
*ウェルビーイング(well-being):心身だけでなく社会的な面も含め満たされた「健康」と同様の意味を帯びた概念で、多面的・持続的に良好(満足/幸せ)な状態
キャリアを重ねるなかでは“楽しさ”を大切に
キャリアを重ねていくうえで私が大切にしているのは、自分が本当に楽しいと感じることをやってみるということです。私自身、病院で働いていたときにつらいことや大変なことも多い日々のなかで、音楽やダンス、演劇などを観に行っていたのは、自分がそれを必要としていたからでした。そういった自分自身の経験とキャリアをいつの日か結びつけたい、誰もやっていない、いまここに存在していないのなら自分が最初にそれを創る側に回らなければ、との思いでこれまでやってきました。今後、若い医師が後に続いてくれれば医療業界も新しい可能性が開け、もっと面白い社会になるに違いありません。
ほかの人がまだ歩んでいない道を切り開き進んでいくと、困難にぶつかることもあります。そのようなときは視点を変えて、これは人生において今取り組むべき課題であると受け止めるようにしています。人間には乗り越えられない困難は来ないと思います。それをどう乗り越えるか、どういう態度で人生を生きるのかという過程にこそ学びがあり、その学びが魂の成長につながっているのだと思います。登山でいえば、下手すると滑落してしまうような少々難しいルートを登るときのような気持ちで、自分の知恵でうまく行動し乗り越えていくのか、いったん引き返して別のルートを探すべきなのか、じっくりと考えながら進むことが大切なのかもしれません。
自分で自分の世界を狭めないで
さまざまな方面で活動してきた結果、村上 春樹(むらかみ はるき)さんや横尾 忠則(よこお ただのり)さん、野村 萬斎(のむら まんさい)さんなど、私が尊敬し心から憧れていた方々と関わらせてもらいながら仕事をする機会に恵まれたのはとても大きな喜びです。雲の上の存在だと思っていた方々と直接お会いし、共に仕事ができるのは決して夢物語ではないのです。人間は自分で自分の殻を作り、自分で自分の世界を狭めてしまうのかもしれません。思い込みはとても強いのでいったん殻を破ることも重要で、芸術にはそういった機能もあるのではないかと思います。偏見や先入観を打ち破るために。
最近の若い方は自分の中にある楽しいと感じる何かを封印して生きているように感じます。誰かの真似をする必要はありません。他者の評価に振り回される必要はありません。人生は一度しかありません。学生たちにはいつも「自分の中にあるわくわくする気持ちをもっと大切にしてほしい」と話しています。好きなことや楽しいこと、“自分のいのちが呼びさまされること”を人生の軸に据えながらキャリアを重ねるイメージを持ってほしいと思います。自分自身に嘘をつかず生きることが大切です。
これからの医療に携わる方へ――稲葉さんからのメッセージ
私たち西洋医学を学んだ者は、無意識に“病気が治れば健康になる”と考えているものですが、そうではない捉え方もあります。私は、“健康になれば病気が治る”、“健康になれば病気と共存できる”という考え方もあると思います。たとえば、慢性疾患はずっと付き合っていく必要がありますが、“病気が治れば健康になる”と考えると、いつまでも健康になれないと誤解してしまいます。そうではなく、むしろ“健康になる”ことをベースに考え、自分なりにトライアンドエラーし、創意工夫して取り組みながら、どのように病気と付き合っていくのかを自分自身で考え実践していくことが大事です。医療従事者はそのサポート役に徹する必要があるのではないかと思います。
医療に携わる者は積極的に社会とつながることも重要です。自分たちの世界に閉じこもらず、いろいろな業界・分野と接点を持ちながら、自分の医療の知識や技術をどのように社会に生かし貢献するかを考えていただけたらと思います。ある枠内で行うことに限界を感じたら、その枠組み自体を疑って、より拡張すればよいのです。私は学生時代から医師という職業にとらわれず、困っている方の力になりたいと考えていました。さまざまな分野で既存のシステムが急激に崩れ、混沌としている現代の社会情勢のなかでは、困っている方の力になるという思いそのものを大切にしていれば、必ずしも既存の形態にこだわる必要はないのではと思っています。愛や慈悲の思いさえあれば、きっと道は開けます。