介護・福祉 2021.09.07
新たな介護の形に挑戦する「DAYS BLG!」で出会ったメンバーのお話
DAYS BLG! 理事長 前田隆行様
東京都町田市で2012年に創設された通所型介護事業所DAYS BLG!*(以下、BLG)。BLGはメンバーの「選ぶ自由」を尊重し、ボランティア活動を通じて社会参加するという新しい介護の形を採用しています。BLGの創設者・運営者の前田 隆行(まえだ たかゆき)さんは「何事も、認知症だから・高齢だからといった条件で決めつけないことが大切」と話します。同施設での活動で出会った印象的なメンバー(BLGでは利用者さんをスタッフと同じ場所で同じ時間を共有する「メンバー」と呼ぶ)とそのエピソードを伺いました。
*DAYS BLG!の由来:DAYS(日々)とBarriers(障害)、Life(生活)、Gathering(集う場)の頭文字、そして!(感嘆符、発信)。毎日の生活場面で生きづらいと思う社会環境が障害であり、その障害を感じている人たちが集い発信することで、生活しやすい社会をつくろう」という意味が込められている。
Iさんのエピソード――路上生活からキラリと光る人生へ
バブル崩壊とともに
Iさんは、現役時代にさまざまな会社を経営されていた方です。ところがバブル崩壊によって会社が倒産。また、友人の借金の保証人になっていたのですが、バブル崩壊とともにその友人が逃げてしまいました。Iさんは莫大な借金を抱え、うつ病と診断されてしまいます。さらにその頃、離婚を経験されて1人の生活になり、追い討ちをかけるように自宅が差し押さえられ、路上生活を余儀なくされてしまったのです。
イメージ 写真:PIXTA
生活保護を受ける生活に
路上生活をしている時に声をかけてきたのが、生活保護ビジネスを展開している法人でした。それまで散々人に裏切られてきたと感じていたIさんでしたが、「寝るところ、食べるもの、お風呂がありますよ」と声をかけられ、「最後の最後に人を信じてみよう」と思い、ついて行ったといいます。案内されたのは6畳1間のワンルーム。しかし2段ベッドが2つの、4人部屋でした。彼の居場所はベッドの上の空間だけで、持ち物といえば夏物と冬物の服1セットのみ。そんな場所でIさんはしばらく過ごしていました。
認知症との診断、BLGへ
ある日、言動におかしなところがあるということで病院を受診することに。そこで認知症と診断されました。ケアマネジャーさんと初めてつながり、その縁でBLGにやって来たのです。
ただ、当時のIさんはひどく人間不信で、「誰も信じない」という感じでした。ボランティア活動の1つであるディーラーでの洗車作業でも、初めの頃は端のほうで1人黙々と作業をしていました。しかしそのうち、ほかのメンバーから声をかけられ、仕事を認められ、徐々に心を開いていきました。ご自身の置かれている状況をポツリポツリと周囲に話すうちに、メンバーから「1人暮らしをしたらどうか」と提案されます。というのも、当時の生活はプライベートもなく生活保護費も本人が管理できない状況だったので、「それはおかしい」とメンバーが思ったようです。
BLGメンバーと地域の協力で1人暮らしをスタート
「俺たちがなんとかしてやるよ」――メンバーの思いとは裏腹に、高齢かつ認知症を持つ方の1人暮らしという条件で部屋を貸してくれる不動産屋はなかなか見つかりませんでした。10軒回ってようやく貸してくれるところが見つかり、引越しの準備をスタート。しかし、洗濯機や冷蔵庫など、家具は何もありません。そこでいろいろな方に声をかけ、少しずつ家具を集めていきました。さらには、地域の弁護士、行政、ケアマネージャー、地域包括支援センターなど多くの方の協力を仰ぎ、生活保護ビジネスの施設からIさんを連れ出すことに成功したのです。
Iさんの手記に記された思い
それから3〜4か月後、Iさんは脳出血を発症し、この世を去ってしまいました。Iさんのお兄さんからは「彼は晩年、仲間と共に非常に充実した時間を過ごしていたようです。ありがとうございました」という感謝の言葉をいただき、BLGのメンバーとしてとても嬉しく感じたことを覚えています。
また、Iさんが残した手記には、このようなことが書いてありました。
「私は認知症という病を得てから、人生観が変わりました。それは決して自分を捨て去るということではないと悟ったのです。友と共に生き、共に楽しみ、共に苦しみ、友らと共に語ること。このような人生を送ることこそ、キラリと光る人生のような気がするのです。決して諦めないでください。諦めることは何も生み出しません。いつかまた語り合える時間があれば、素晴らしいことではありませんか」
一人ひとりが素になれる場所をつくりたい
人間不信になり自分の殻に閉じこもっていたIさんですが、BLGで認知症を持つほかのメンバーと喜びや苦しみを共有し、一緒の時間を過ごして、心を開くことができたように思います。Iさんのエピソードのように、仲間と時間を共有し一人ひとりが「素」になれる場所がBLGです。そして、今後10年20年先には、社会全体がそんなふうに温かい場所になっていたらと思い、私はBLGの活動を続けています。
Mさんのエピソード――決めつけないことの大切さ
沖縄で行方知れずに
もう1人、Mさんのお話をしましょう。
ある時、MさんはBLGのメンバーと共に沖縄のマラソン大会に参加しました。元気なMさんは無事に完走。夜に皆で打ち上げに行きました。盛り上がってしまい、皆で泡盛をしこたま飲みました。宴の後は全員でホテルに戻り「ではまた明日」と言って別れました。
しかし、Mさんはリタイアするまで営業職一筋の方で、飲み会の後は1人で飲み直す習慣があったようです。いつものようにMさんはふらっと出掛けてしまったようで、翌朝、Mさんが部屋にいません。
「これは大変だ」とマラソンの実行委員の方や地域の介護事業所の方などの協力を得て、捜索を開始。すぐに500枚のチラシをつくり、空港や主要な駅、那覇市の繁華街の土産店などに配布しながら、SNS上で情報を集めました。那覇警察署にも行きました。日曜日だったため重大な犯罪を扱う捜査一課に通されて、ビクビクしながら事情聴取を受けたことを覚えています。
国際通り 写真:PIXTA
1日かけて捜索した結果
那覇警察署にも捜索にご協力いただき、1日かけて一生懸命探しました。そしてようやく、夕方には那覇で一番高級なホテルのフロント前でMさんが発見されたのです。「まさかそこには行かないだろう」と思うような場所でした。
話を聞くと、飲み直しに出掛けた後、店を出たら自分が泊まっていたホテルがどこか分からなくなってしまったようです。とりあえず一番近くにあるホテルに泊まろうとチェックインしたのが、その高級ホテルだったのです。しかしチェックアウトの際にお金が手元になく、困っていたところでした。ちょうどホテルのフロント前を行ったり来たりされているMさんを捜索協力いただいていた介護事業所の方が見かけ、連絡をくださったことで発見に至りました。
認知症だからと「決めつけない」
SNSを使って情報提供を呼びかけたので、日本中の仲間たちが協力してくれました。
まさかそんな高級ホテルにいるとは思わなかったので驚きましたが、よく考えたら眠いから近くのホテルにチェックインして寝る、というのは自然なことのように思えました。
認知症があるからといって「きっとこうだろう」とか「これはしないはずだ」と決めつけないことが大切だと実感した出来事です。それは、カテゴライズせずにフラットな関係を築くことにもつながると思います。
次の記事では、BLGを全国に広げる取り組みや「認知症にやさしいまちづくり」についてお話しします。