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医療・介護領域のパーソナルデータ利活用――実例と今後の可能性

東京大学大学院情報理工学系研究科附属ソーシャルICT研究センター 教授 橋田浩一先生

今は健康診断を受けたとき、結果を電子的に受け取ることができるようになってきました。健診結果はPHR(Personal Health Record:個人の医療・介護・健康データ)の1つで、本人が活用できるような体制構築が厚生労働省で進められています。このように近年本格化するパーソナルデータ*(以下、PD)利活用の推進の流れのなかで、AMED(日本医療研究開発機構)などで研究開発を推進してきた橋田 浩一(はしだ こういち)先生(東京大学大学院情報理工学系研究科附属ソーシャルICT研究センター 教授)に、医療分野におけるPD利活用の実例と今後の可能性を伺いました。

*パーソナルデータ:個人の属性情報、移動・行動・購買履歴、ウェアラブル機器から収集された個人情報を含む、個人に関するさまざまな情報。このうち個人を識別できる氏名・生年月日・住所などを個人情報と呼ぶ。


ポイントとなるのはPLR(個人生活録)の実用化

先の記事でお話ししたように、PDの利活用においてはデータポータビリティ(データの可搬性・持ち運びやすさ)が重要です。データポータビリティに基づくPDの分散管理を生かすために提唱したのが、PLR(Personal Life Repository:個人生活録)です。

PLRの実用化に向けて、これまでにAMEDやNEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)などでいくつかの研究を進めてきました。医療・ヘルスケア領域では、PLR導入に向けた実証実験を進めている案件がいくつかあります。


PD利活用の実例――電子母子手帳の運用

実際に進んでいる案件の1つが、兵庫県の市立伊丹病院における“電子母子手帳”の運用です。同院の産婦人科と小児科の電子カルテに登録された情報をPLRアプリに共有したうえで、妊産婦さんがご自分やお子さんの日々の健康状態などを記録できるようにする仕組みです。さらに必要に応じて本人の同意の下で医療者(主に看護師)にデータが開示され、緊急時の対応にその情報を役立てることも可能です。

2018年頃から準備をスタートし、ようやく技術的な仕組みが完成しました。カルテの二重入力をしないので正確なデータが共有でき、妊産婦さんや医療者の負担が抑制できます。また、お母さんが妊娠中から蓄積したPDはそのままお子さん本人のPDに移行されるため、健診や予防接種の詳細なデータを将来にわたって本人が保管できるのも大きなメリットといえるでしょう。

 

写真:PIXTA


佐渡島の医療・介護ネットワークとの連携

“さどひまわりネット”は、新潟県佐渡島内の医療機関・歯科医院・調剤薬局・介護福祉施設をネットワークで双方向につなぎ患者さんの情報を共有する仕組みです。さどひまわりネットができた背景には、住民の高齢化が進むなかで医療・介護のニーズが高まり、その一方で医療・介護人材が不足する状況がありました。離島であるため、可能な限り島内で医療・介護の提供を完結できる体制の構築が急務だったのです。

PLRとさどひまわりネットを連携させて機能を拡張するプロジェクトが現在進行中です。これにより各個人が本人のデータを管理・活用するPLRの機能と医療健康データベースとしてのさどひまわりネットの機能が組み合わさり、各個人に応じて健康寿命を延伸させるキメ細かい支援を実現できると期待されます。


大学病院や総合病院などへの導入例

大学病院や総合病院などにPLRを導入し、電子カルテのデータをPLRアプリとクラウドでつなぐ実証実験も計画されています。これにより多様な医療情報システムがPLRクラウドを介して連携可能になり、これまでは医療機関や薬局が保有していた個人の医療データ(PHR:Personal Health Record)を本人が管理できる状況が実現します。また、複数の医療機関にわたって共通のクラウドを使うため、医療機関の間を結ぶ電子健康記録(EHR:Electronic Health Record)としての役目も果たすという利点もあります。


ポリファーマシーの改善

こちらも実証実験の段階ですが、レセプト(診療報酬明細書)のデータを基にポリファーマシー(多剤処方)の状況を分析し、主治医に減剤を要請する取り組みを行いました。

高齢になると複数の医療機関にかかることでたくさんの薬を処方・服用されている場合があり、問題とされてきました。多いと10~20剤ほど飲んでいる方もいて、中には不適切な処方や併用禁忌とされている薬の組み合わせも見受けられます。これは本人にとっても大きな不利益であり、医療費の無駄遣いという意味でも見過ごせない問題です。

そこで、民間の健康保険組合と連携し、レセプトデータから不適切処方のケースを抽出したうえで、主治医に手紙で不適切な処方である旨を知らせ、そのエビデンスとなる論文の情報を一緒に提示しました。この実証実験では発見された25件全てにおいて、主治医が減剤に対応してくれました。

この結果を受け、ポリファーマシーの可能性を抽出する過程と、エビデンスとなる論文をデータベースから抽出して主治医宛の手紙を作成する作業をAIで自動化するシステムを開発しました。上記の実証実験では、1件減剤すると年間に医療費が14万円ほど削減できるという試算が出ました。その合計は全国では数兆円に達し、医療費削減の大きな一助になるでしょう。

 

写真:PIXTA


早期の全ゲノム解析によるがんの個別医療

そのほかにも、検討段階ではありますが、がんに対する早期の全ゲノム*解析を普及させる計画もあります。近年、がんゲノム医療(がんの組織から遺伝子変異を調べ、一人ひとりの体質や病状に合わせて治療を行う医療)の一部が保険収載されました。ただ、一通り標準治療を施した後とするなどの条件があり、個別医療を行う間に手遅れになってしまうケースがしばしばあります。この課題を踏まえ、確定診断が出たらなるべく早く全ゲノム解析を実施し、現在よりもはるかに大きな割合で個別医療につなげることが構想されているのです。また、もし個別治療に到達できないとしても、ゲノム解析した結果を踏まえて無効果な抗がん剤の投与を避けて患者のQOL(生活の質)の低下と医療費の無駄遣いを防ぐことが可能になります。

その中でPLRは患者さんの治療やゲノムのデータを本人が管理し、必要に応じて医療機関などに開示するツールとして活用されます。さらにはがんゲノムのビッグデータが収集・分析されることで、新薬や治療法の開発に役立てられるでしょう。

*ゲノム:遺伝子をはじめとした遺伝情報の全体。体をつくるための設計図といえるものであり、ゲノムの違いが一人ひとりの個性を生んでいる。


コロナ禍における家族介護でのPLR活用

新型コロナウイルス感染症の影響によって訪問介護やデイケアの利用が難しくなり、家族が自宅で介護せざるを得ないケースが増えています。そのような慣れない家族介護の状況で介護者が疲弊し、精神的に落ち込んでしまう例が多く見られます。

この状況を打開するために、ご家族を自宅で介護する方をサポートするPLRを活用した仕組みが構想されています。PLRを組み込んだアプリによって、自宅での介護に関して困っている方と、介護に詳しい方(看護師や介護士など)をマッチングするわけです。専門家がリモートでアドバイスをしてくれるので、介護のスキルや知識を学べると同時に、疑問や質問に答えてもらうことができ、介護者の精神的な負担を軽減することが可能です。

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