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自らの闘病経験から医師へ――医療の課題解決に取り組む石井 洋介先生のあゆみ

おうちの診療所中野 院長 石井 洋介先生

おうちの診療所中野 院長の石井 洋介(いしい ようすけ)先生は、ご自身の闘病経験から医師を志し、外科医になりました。その後、厚生労働省医系技官を経て、現在は地域医療の都市型モデルの構築を目指して在宅医療に取り組んでいます。今回は石井先生に、これまでのあゆみや在宅医療に取り組む中で感じていること、これからの在宅医療の重要性についてお話を伺います。


医師を志した理由――患者としての闘病経験

15歳で潰瘍性大腸炎を発症、緊急手術で人工肛門に

闘病時の石井 洋介先生

 

15歳のときに潰瘍性大腸炎(かいようせいだいちょうえん)になりました。当時の治療は厳しい食事制限もあったため、放課後に遊ぶこともままならず、友人関係を失いました。通学中も、トイレに寄るために何度も途中下車して遅刻や欠席が続いたことから、だんだん不登校気味になり、高校卒業後はいろいろなことを病気のせいにして自暴自棄になってしまいました。

19歳のときに病状が悪化して大出血が起こり、緊急手術で大腸を摘出し人工肛門(じんこうこうもん)となりました。手術しないと死んでしまうような状況で、初めて“生きること”“死ぬこと”について真面目に考え、ふと「もし手術でよくなるなら、何か世の中の人の役に立つことがしたい」と思いました。

 

ネット情報を頼りに尋ねた医師のもとで人工肛門閉鎖術を受け、医師の職に憧れる

手術を受けた病院では「人工肛門は一生閉じることができない」と説明を受けていましたが、インターネットの掲示板で、閉じられる術式(造設されていた人工肛門を取って、小腸とパウチで大腸の代替機能をつくり小腸を肛門につなぎ、自然排便ができるようになる手術)があることを知りました。当時は2、3か所の病院しか行っていない手術だったようです。横浜市立市民病院で手術を受け、再び自力排便ができるようになりました。

私は自分で調べて情報を得たことで手術を受けることができましたが、情報にたどり着かなければ“人工肛門は閉じることができない”という認識のまま一生を過ごしていたと思います。そのとき、情報の格差で人生が変わってしまうことがあると実感しました。そして、横浜市立市民病院で手術をしてくれた医師に憧れ、私も外科医になりたいと思いました。

 

合格することだけ考えた受験の日々

画像提供:PIXTA

 

20歳から医師を目指して猛勉強を始めました。受験する大学は高知大学医学部一本に絞り、そこを受験して合格すること以外は何も考えませんでした。久しく勉強から離れていたために、最初は“机に向かって座る練習”が必要なほどでしたが、病気を経験して、自分のこれまでの人生では最底辺にいると思っていて、ほかに失うものがなかったからこそ集中して勉強できたのだと思います。落ち込むときもありましたが「人生を変えるためにはやるしかない」という気持ちを胸に抱き勉強を続けました。

2年間かけて医学部に合格し、高知での研修期間を終えて、憧れの医師のいる横浜市立市民病院で外科医として勤務することになりました。


外科医として手術手技を学ぶ日々、そこで抱いた“無力感”

外科勤務時代の石井 洋介先生

 

横浜市立市民病院では、大腸がんをはじめとする多くの手術に携わりました。しかし、発見が遅れたため、手術をしても助からない状態の患者さんを診ることも珍しくありませんでした。

また、ステージが進行した患者さんで手術は成功したものの入院中に体力が低下してどんどん具合が悪くなり、自宅に帰る時期が決まらないうちに認知症が進んだ方もいらっしゃいました。“外科医としてどれだけ腕を磨いても助けられないことがある”と無力さを感じることもありました。もちろん、手術で病気を治すのはとても大切なことで、外科医としてあるべき姿です。ただ、自分が病気を経験しているからか、私は手術の結果だけでなく、患者さんのその後の人生が幸せになっているか、本当に手術すべきだったのかを考えることが多かったです。


人々の心を惹きつける言葉でがん啓発を――“うんコレ”開発までの経緯

手術したのに幸せとは言えない事態を招く理由の1つが大腸がんの発見が遅いことであり、それを防ぐためにはがんの早期発見が大事だと考えました。よい方法がないか考える中で、“うんこ”にいきつき、病院勤務時代から便の状態を記録することでがんを早期発見するためのアプリゲーム“うんコレ”の開発を開始しました。真面目な医療情報には興味を持てなかった患者時代の私のような人にも届くよう、あくまで“ゲームとして面白い”ことを目指し、結果的に便の状態を観察する習慣がつくような仕組みを考えていました。リリース当時、メディアに取り上げられる機会も多く、アプリに触れる機会の少ない年代層の方にも「がん早期発見について見直してほしい」という私の伝えたいことが届いて嬉しく思っています。

現在アプリは、便秘やIBS(過敏性腸症候群)など、日常的な排便の悩みを持つ方々にも寄り添いながら運営しています。


外科時代の課題解決の糸口を探るため“病院の外の医療”へ

医系技官時代を経て在宅医療の道へ

手術では助けられない患者さんとも多く出会っていた外科医時代、患者さんの問題は病院の中で起こっているのではなく、受診する前や退院後の生活の中など病院の外側で起こっているのではないかと漠然と思っていました。そのような思いをセミナーなどで話していたところ、病院の外、すなわち”地域”で起こっている問題に取り組む部門で働かないかとお声がかかり、厚生労働省の医系技官にキャリアチェンジしました。

厚生労働省ではモデルケースを前提に地域医療構想の議論を進めていたのですが、モデルが少ないため理想論になってしまい、中身となる現場をどのように作っていくかが課題でした。そこで、今後の政策にも生かせるような地域医療の都市型モデルを作りたいと思い、在宅医療の道へ進む決断をしました。

2019年に株式会社オムニヒールを設立し、翌年にはおうちの診療所 目黒を、2022年に同中野を開業し、現在は中野院の院長として活動しています。

 

在宅医療の面白さ

在宅医療の面白さはいくつかありますが、1つは患者さんの生活が見えることです。在宅医療を始めてから、病院で見る患者さんはよそ行きの姿だったのかと気付きました。家ではぐったりしている患者さんを見て、病院を受診する日は普段より気を張って身だしなみを整えていたのだと気付いたり、家の中に飲めていない薬が残っているのを見つけたり、ありのままの患者さんの日常が見えるのは在宅医療の魅力だと感じています。

 

また外科医時代は、在宅医療で急激な容体の変化が起こった場合は速やかに急性期医療につないでいるイメージを持っていました。しかし、在宅医療に携わったことで、在宅医療が急なアクシデントの発生自体を防ぎ、地域で患者さんを守る役割を担っていることを知りました。このことを知れたのもよかったです。

在宅医療の1番の魅力だと感じている点は、ACP(アドバンス・ケア・プランニング:今後の治療・療養について患者さんや家族と医療従事者があらかじめ話し合う自発的なプロセス)を進められることです。急性期医療では搬送されてきたその場で意思決定することが求められますが、在宅医療では患者さんとの関係性を築いたうえで、アクシデントが起こった際にどのような治療を受けたいかなど、事前に話し合いを進めることができます。


これからの在宅医療に大切なこと――持続可能な提供体制の構築

現在、医師1人で在宅医療を行っている医療機関もあるのが現状です。しかし、今後さらに高齢化が進み在宅医療のニーズは増えるため、このままの状況では在宅医療のさらなる質の向上・維持は難しいのではないかと思っています。患者さんが増えて医師がハードワークになると、診療の質の低下や、スタッフ間の関係の悪化が生じ離職者が増えていくことが懸念されます。それを防ぐためにも、誰かがハードワークをしなくても回せる仕組みづくりをしていきたいですし、属人性を廃止して再現性がある質の高い在宅医療を実現していきたいです。


未来の在宅医療を担う方々へのメッセージ

在宅医療はいつか最期を迎える患者さんと伴走する、支える医療です。治療のゴールを“残された時間をいかに豊かにするか”と考えると、患者さんを知ること、生活を知ることが重要になります。そのため、哲学やアートなど一見医療に直結しないようなあらゆる事象を学ぶことも、その患者さんの人となりや生活を理解するために役立っている感覚があります。

また、在宅医療では“幸せになること”を突き詰めていくので、人の幸福や人間とは何であるかを考えている方、公衆衛生的な視点を持っている方には面白い領域だと思います。そうしたことに興味を持つ方が飛び込んできてくれることを期待しています。

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