病院運営 2022.09.01
組織の成長を助けた哲学の浸透「愛生館フィロソフィ」――現場にもたらされた変化とは
愛生館コバヤシヘルスケアシステム 名誉理事長 小林 武彦先生
愛生館グループは、ケアミックス型の小林記念病院を中核として、介護・福祉施設や在宅介護サービスの運営を行っています。さらに2022年には、幼保連携型認定こども園を含む複合施設CORRINを開設しました。まさに地域包括ケアシステム*構築をリードする存在となった同グループですが、その裏には経営指針として全従業員が会議などで必ず携帯する「愛生館フィロソフィ」の存在があります。作成者である愛生館コバヤシヘルスケアシステム 名誉理事長 小林 武彦先生に「愛生館フィロソフィ」に込めた思い、組織に与えた影響についてお話を伺います。
*地域包括ケアシステム:住み慣れた地域で自分らしい生活を最期まで続けることができるよう、医療・介護・予防・住まい・生活支援が一体的に提供される体制のこと
愛生館のバイブル「愛生館フィロソフィ」
愛生館コバヤシヘルスケアシステム(以下 愛生館)では、全従業員に経営指針となる書籍「愛生館フィロソフィ」を配布しています。「フィロソフィ」は哲学・人生観などと訳されますが、「愛生館フィロソフィ」全6章71項目には、従業員のあるべき姿や目指すべき方向性が示されています。愛生館では、日々の業務における全ての判断が、この愛生館フィロソフィに基づいて行われるため、全従業員のベクトルを合わせることが可能です。実際、愛生館フィロソフィを作成して以降、当院の経営内容は年々改善され、今では順調に推移するようになりました。現場でも従業員の表情が明るくなったと実感しています。
愛生館フィロソフィはいかに組織に浸透したか
愛生館では各部署で朝礼を行っており、その日の担当者が愛生館フィロソフィの中から印象に残った項目を1つ選んで読み上げます。選ぶ項目は人によってさまざまですが、「感謝の気持ちを持つ」という項目を選ぶ人が多いですね。毎日忙しく働いていると、感謝の気持ちを口にすることをついつい忘れてしまいがちですが、私たちが今日あること、そして十分に働くことができることは、サービス利用者や職場の仲間、家族といった周囲からの支援があるからこそのことです。特に子育て中で、どうしても勤務に制限が出てしまう従業員などは「仕事を代わっていただき、ありがとうございます」という感謝の言葉とともに、この項目を読み上げる人が多いです。
さらに、部署の垣根を越えて、法人内のさまざまな施設、職種の職員を集めて2時間ほど議論を交わすコンパの機会を設けています。愛生館フィロソフィについて話し合うのですが、現場の課題や今後の取り組みを共有するよい機会になっていますね。私自身も、病院内の各部署を回り歩いて気付いた課題をコンパの場で発表しています。たとえば、私が就任して初めて病院を訪れた際、見ず知らずの私に挨拶をしてくれる人はいませんでした。しかし今では挨拶の習慣が定着し、初対面の人にも挨拶するようになりました。こうした取り組みの積み重ねによって、愛生館フィロソフィは着実に組織に浸透してきたのです。
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“飾り”と化した病院理念を目の当たりにして――使命・理念の浸透
病院には使命や理念が立派な額に飾られていることが多いのですが、その内容について覚えている従業員はどのくらいいるでしょう。私は以前、日本医療機能評価機構 病院機能評価の評価調査者(サーベイヤー)を勤めていました。そして多くの病院を見て回る中、額縁の中で黄ばみ、従業員にも忘れ去られた病院理念・使命を幾度となく見てきました。実際に従業員に聞いても答えられる人はほとんどいませんでした。どれだけ立派な文言を掲げても、浸透していなければ当然実行に移すこともできません。
私は使命・理念を全従業員の心に留めて欲しいという思いで、愛生館フィロソフィの見開きの1ページ目に非常にシンプルな使命・理念を示しました。時間がかかりましたが、朝礼などをきっかけとして少しずつ広まり、今ではほぼ全員が暗唱できるようになっています。
全従業員が持つべき「経営の心」
利益を出すことの重要性
愛生館フィロソフィの第Ⅰ章には、「経営の心」を記しました。医療の世界においては、利益度外視であるべきだという考え方があります。実際、病院や介護・福祉施設には、それぞれ公的施設と民間施設がありますが、それぞれどのようなイメージを持っているでしょう。利益を追い求めない公的施設のほうが利用者さんに寄り添った善良な施設でしょうか。
しかしながら現実として、非営利組織の運営する公的施設は、その特徴ゆえに赤字に陥りやすいともいわれています。そして、その状態に慣れてしまったことで劣悪な環境・サービスが改善されていない施設が数多く存在するのも現状です。たとえば、そうした施設では、必要のない資材が買いだめされて大量の在庫を抱えても、問題意識を持つ人がいません。改善の見込みがない施設を希望する人はいませんから、当然入居者も減ってしまう。黒字化させるという発想を捨てた病院や介護・福祉施設では、このような負の連鎖が往々にして起こるのです。
利益を上げることは、恥ずべきことでもなければ人の道に反したことでもありません。利益を出すことで、病院の改築・改装や、古い医療機器の更新、従業員の昇給も可能になります。医療においても民営化によって品質を追求し、利益を出すことが必要だと感じます。ただし民営化には、利益を追求するあまり不正を働く危険性があるという問題があるでしょう。そのため民間企業が経営を行い、公企業は不正が行われないよう定期的な視察を行うなど、お互いの得意分野を生かした役割分担ができれば理想ですね。
従業員に収支情報を全て公開――ガラス張り経営の効果
愛生館が公明正大に事業を行い、正しい利益を追求して社会に貢献する経営を行うために、全従業員に収支情報を公開しています。売上や利益だけではなく、今まで医療界で公表されていなかった借入金額までをオープンにして、それぞれの数字にはどのような意味があるのかを解説したのです。たとえば、以前は銀行からお金を借りて従業員のボーナスを支払っていました。それが、環境改善によって少しずつ利益が生まれたことで借入金が減少し、今では借りることなくボーナスを支払っています。このように具体的な経営状況も都度公表することで、従業員も利益の重要性を理解し、愛生館が抱える課題を自分ごととして真剣に考えるよう変化しつつあります。
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従業員は十分な給料と休日、そして知識や技術を習得できる職場を求めるでしょう。しかし、たとえばリハビリテーションでは休日を作ってしまうと、拘縮(関節が正常な範囲で動かなくなってしまった状態)が進み入院期間が延びてしまいます。入院は、期間が長くなるほど一日当たりの入院料が下がる仕組みになっているため、長期での入院は利益減少を意味します。そこで従業員の休みと病院の利益、両方のバランスを取るためにはどうするべきなのか、各々が自ら考えてくれるようになりました。私たちは利益を求めるために医療・介護・福祉サービスを行っているのではありません。ただ、利用者が求めるサービスを提供し、多くの方々に支援された結果生まれた利益は、正しい利益です。