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“活動を育む”リハビリテーション医学・医療の普及が私の使命――久保 俊一先生のあゆみ

日本リハビリテーション医学教育推進機構 理事長・機構長 久保俊一先生

京都府立医科大学教授・副学長、日本リハビリテーション医学会理事長、日本股関節学会理事長、日本整形外科学会学術総会会長、京都地域医療学際研究所(がくさい病院)所長、京都中央看護保健大学校長などを歴任し、日本の医学・医療の発展に貢献してこられた久保 俊一(くぼ としかず)先生。2018年10月より日本リハビリテーション医学教育推進機構理事長・機構長に就任し、現在はリハビリテーション医学・医療の教育体制の整備にも尽力されています。

今回は、久保 俊一先生のあゆみとともに、リハビリテーション医学・医療への思いを伺いました。


幼少期の近医への憧れが医師を目指すきっかけに

小さい頃は体が弱くて、家の前にある医院によくかかっていました。診察のとき、医師が聴診器を体にパッと当てただけで「あなたは〇〇ですね」と診断を下す姿を見て、「なんで分かるんだろう」と思っていました。幼少の私にとっては、見えないものを診ることができるのが不思議で、だんだん自分でもやってみたいと思うようになりました。

中学生のとき“心願成就”という言葉に出会いました。医師になりたいという願望を強く持ち続けたことが、夢をかなえることにつながったと思います。


整形外科とつながりの深い、リハビリテーション医学・医療に興味を抱く

医学部を卒業して整形外科の道を選んだのは、結果が目に見える診療科で分かりやすかったことと、可能性を感じたからです。40年も前のことですから、整形外科の治療といえばギプスを装着するか、一部の手術があるくらいで、治療を行っても完全な治癒につなげることが困難なことがほとんどでした。脊髄損傷や重度の股関節疾患はその代表例で、障害が残った状態で治療を続ける必要がありました。

リハビリテーション医学・医療はその障害に対処できるということを知り、大きな興味を持ちました。そこで、整形外科の医師になって2年目の1979年に日本リハビリテーション医学会に入会しました。会員数がまだ400名に満たない頃です(2020年2月現在は約11,500名)。当時、脳血管障害の患者さんは亡くなることが多かったので、リハビリテーション医学の主な対象となる疾病は、脊椎損傷や切断、脳性麻痺、関節リウマチなどでした。それらの疾病で障害のある方々をリハビリテーション医学で何とか社会復帰させようとしていた時期だったのです。


二度の海外留学が医師としての転機に

医師として転機となったのは、二度の海外留学の経験です。最初は大学院を修了した直後の1983年に、アメリカのハーバード大学へ留学しました。ハーバード大学で過ごした日々は刺激的でした。私は研究中心のフェローでしたが、同じ教室にはレジデントが14人いて、前期・後期でチーフレジデントが2人選ばれるとき、その役職を巡って熾烈な争いをしていました。レジデントの休みは月1日程度で、夜12時まで仕事をし、朝の3~4時に起きて、6時半からブレックファーストカンファレンスを行うのが通例でした。教授はいつも穏やかににこにこ笑っている方でしたが、突然に容赦なく「You are fired(君はクビ)」と宣告し、その日を境に大学へ来なくなる人もいました。アメリカのシビアさを肌で感じました。

私が日本から持参した論文も、その教授に「What’s new?」の一言でポイっと捨てられました。先行研究を正確に繰り返した、非常に手間のかかる再現研究だったので、悔しいというより、驚いてぽかんとしてしまいました。アメリカでは“オリジナリティのあるナンバーワン”でなければ生き残れないことを痛感した出来事でした。その後は、heat shock protein(HSP)というタンパクが軟骨に存在することを証明した研究を中心に、オリジナリティのある論文を継続的に作成することができました。

フランスに留学したのは1993年です。留学先はリヨン近郊のサンテチエンヌ大学でした。フランスでは“オンリーワン”であることの価値を学びました。もともと型にはまったタイプではない私にとってフランスは非常に居心地がよく、のびのびと仕事に取り組むことができました。ノンタッチオペレーションといって患者さんに一切手を触れずに行う手術も、このとき初めて経験しました。


医学・医療で大事なのは“独創性”“察する心”“継続”

フランス留学の途中で日本に呼び戻された私は、帰ってきたら助教授になっていました。フランスへ行くときは、大学の医局長を辞して留学したこともあり、「もう君の椅子はないよ」と言われていたのですが、腹をくくると別の方向へ向かうものです。しかし、何の準備のないまま39歳の若さで助教授になったことにより、そのあとは本当に苦労しました。周囲の先輩を差し置いての昇格でしたから、なかなかつらい日々でした。

私自身は後輩に対し、医学・医療で大事なこととして、次の三つのことを折にふれ伝えています。一つは“独創性”です。独創性を養うことでナンバーワン、オンリーワンが可能になります。人生はピンチの連続ですが、ピンチになってもチャンスに変えられる発想が必ずあり、そこに独創性が生まれます。

二つ目は“察する心”です。診察という言葉に“察”の字が入っているように、察する心があってこそ良質な臨床を実現できます。相手の心を察し、反応できる感性を磨くことで、責任ある態度が養われ、患者さんから安心や納得を得やすくなります。

三つ目は“継続”です。継続は必ず成功につながり、大きな達成感が得られると私は考えています。


理想のリハビリテーション医学・医療とは

 

社会の高齢化に伴い、重複的・複合的な障害が増え、手術などの専門的な治療では完結できない場合が多くなっています。リハビリテーション医学・医療は“活動を育む医学”という観点から、さまざまな方法でこれに対処できます。すなわち、生活の質を担保するうえで非常に重要な医学・医療分野といえます。

2018年10月、私は日本リハビリテーション医学教育推進機構理事長・機構長に就任しました。この機構の代表として、今後私にできるのは教育を通じた社会貢献だと考えています。リハビリテーション医学・医療の教材作成や教育体制の構築を通じて、障害のある方もない方も充実した人生を送れる、“寛容社会”の実現に貢献したいと思っています。

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