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池端病院が地域に根ざした「かかりつけ病院」となるまで−池端幸彦先生のあゆみ

池端病院 院長 池端幸彦先生

福井県越前市南部、王子保(おうしお)地区にある池端病院は、地域に根ざした「かかりつけ病院」として、住民のニーズに応え続けてきました。ご尊父より池端病院を継ぎ、院長を務める池端幸彦先生は、「慢性期医療こそ、最先端の医療」と話されます。池端病院のこれまでの変遷と、池端先生の思いを伺いました。


池端病院のポリシー

地域に根ざした「かかりつけ病院」として

当院は、1病棟30床という規模の小さな病院です。地域に根ざした「かかりつけ病院」として、地域で必要とされることであればどんなことでも取り組み、人々のニーズに応えてきました。現在では、訪問診療や在宅・通所サービス、訪問看護、訪問リハビリテーションのほか、通所リハビリテーション、通所介護なども展開しています。

 

当院が、保健・医療・介護の複合体として一体的なサービスを提供するようになるまでには、さまざまな変遷がありました。


池端病院、池端幸彦先生のあゆみ

1959年、父が池端病院を開院

池端病院はもともと、1959年に父がはじめた無床診療所が原点です。父は、インターンを終えて病院に2年間勤務したのち、診療机1つを置いて自宅で開業しました。ここ王子保地区(旧南条郡王子保村)は当時から医師が不足していた地域で、周囲からの要望を受け、開院を決意したと聞いています。その後、6床の入院設備を備え、現在に至るまで病院としての機能を少しづつ拡充していきました。

 

 

当時、福井の冬は雪深く、1〜2メートルの雪が積もりました。夜中に患者さんから電話がかかってくれば、重たい往診カバンを手に、看護師さんと共に雪のなかを出かけて行く父の背中を見て育ちましたから、幼い頃から自然に「医師になりたい」と思うようになりました。小学校に上がるくらいの時期には、父が手術する姿を初めて見て、感動したのを覚えています。

 

 

医師になって6年目、池端病院を継ぐことに

1980年、医学部を卒業し、外科に医局に入局しました。「外科医としてバリバリ働こう」と思い、当時は寝る間も惜しんで日々の診療にあたっていました。しかし、医師になって6年目の頃、父が本格的に政治の道に進むことになりました。そして、池端病院の今後について、「無理強いはしないが、戻るなら、今戻れ。おまえが戻らないなら、病院はたたむ」と私に言ったのです。

 

当時は自分が一人前である実感がなく、あと10年くらい大学の関連病院などで外科医としての腕を磨きたいと考えていましたから、父からの打診を受けて非常に悩みました。しかし、いずれは病院を継ごうと思っていましたし、地域医療への興味は以前から頭の片隅にあったので、継ぐなら今しかないと決心しました。

 

提供したい医療と地域で求められる医療にズレが生じていることに気付く

 

 

病院を継いでから10年ほどは、外科医としての使命感に燃え、積極的に手術を行っていましたが、患者さんから「大きな病院を紹介してほしい」と頼まれることが、徐々に増えていきました。患者さんは申し訳なさそうに「先生を信頼していないわけではないのですが、設備が整った大きな病院で手術をしてもらおう、と家族がすすめるので」と言います。そのようなことが幾度か続き、「どうやら、自分が提供したい医療と地域が求めている医療にズレが生じているようだ」と気付かされたのです。

 

来院される患者さんの多くは高齢で、「風邪を引いた」「腰が痛い」「頭が重い」「下痢になった」「便秘だ」という日常的な症状の訴えが多くありました。「急性期医療ばかりに目を向けていた医師としての使命感を、変えなくてはいけないのかもしれない」と思い始めました。ちょうどその頃、地域の保健師さんからの「このエリアで、ぜひデイケアを始めてほしい」という一言が、私に大きな転機をもたらしました。

 

地域のニーズに応え続け、今の池端病院がある

1995年、当時はちょうど新しく介護保険制度ができるという話が検討されていた頃でした。私は「デイケアってなに?」という状態でしたが、このエリアにこれからもっとも必要なサービスは介護だという保健師さんの熱意に押され、デイケアを勉強してみることにしました。

たまたま日本医師会が主催する制度発足前の第1回目介護保険研修会に自ら手を挙げて参加すると、なんと福井県医師会から参加したのが私だけで、そこから県医師会の介護保険委員会の委員に指名され、あれよあれよという間に委員長、担当理事、担当副会長となってしまい、完全にのめり込んでしまいました。

 

 

それからは、地域に根ざした「かかりつけ病院」としての役割を担うべく、地域のニーズに応えながら、さまざまな取り組みを行ってきました。たとえば、急性期病院での手術後に、もう少し入院が必要な方を受け入れたり(今でいう地域包括ケア病棟としての役割)、病院として在宅復帰機能を強化したり、興味を示した職員と共に自らもケアマネジャーの資格を取り、訪問看護や訪問リハビリを開始したりしたことも、その一環です。


池端先生が語る慢性期医療、在宅医療の魅力

患者さんやご家族と目線が近く、ダイレクトに反応が返ってくる

慢性期医療や在宅医療は、患者さんやご家族と目線が近く、よいときも悪いときもすぐに反応が返ってきます。提供した医療・ケアに満足していただければ患者さんに喜んでいただけますが、不満があれば遠慮なく意見をぶつけられる。ある意味で逃げ場のない現場ではありますが、真摯に向き合い続ければ、患者さんやご家族とかけがえのない関係を築くことができます。

 

幅広い疾病を診て、医師としての知見が広がる

また、慢性期医療や在宅医療は、診療科の枠を超えて、患者さんの状態を幅広く診る必要があります。そして、逃げたい気持ちをおさえつつ専門外の疾患についても悩みながら向き合い経験を積んでいくと、医師としての知見も徐々に広がり、どんな疾病にでも一定程度の対応できる力が身についてきます。

私自身、手術の世界から転身して、はじめは苦労も多く、正直「逃げたい」と思ったこともありました。けれども、なんとか逃げずに一人一人の患者さんに向き合ってきたおかげで、今ではどんな患者さんでも、ある程度自信を持って患者さんを迎え入れることができます。


医療従事者(特に若手の医師)へのメッセージ

「慢性期医療こそ、最先端の医療」という意識を持ってほしい

医師として専門分野に特化することも大切ですが、慢性期医療は患者さんを総合的に診る必要があり、また、ポリファーマシー(多剤併用)や在宅医療など、さまざまな分野にかかわりを持つため、医師として大きく成長できる領域で、急性期に比べても決して「楽な」領域ではありません。「慢性期医療こそ、最先端の医療」という意識を持って、慢性期医療に携わっていただきたいと考えます。

 

現在、地元の大学の医学教育のなかで「地域包括ケア講座」の実践と講義を担当する計画を、大学教育担当者と進めています。そのなかで、学長以下「地域包括ケアシステム」の奥の深さを少しずつ理解していただけてきたことが嬉しい限りです。この取り組みの根底には、医学生や研修医のうちに地域包括ケアや慢性期医療について知る機会を設け、未来の慢性期医療を担う医師を育てたい、という思いがあります。


日本慢性期医療協会 副会長としての思い

良質な慢性期医療が日本の医療を支える

今、慢性期医療という言葉や概念が社会に浸透しつつあるのは、時代のニーズに合致していたことが大きな理由でしょう。ここからが、慢性期医療の真価が問われる本当の勝負だと思います。私たちはこれからも、「良質な慢性期医療が日本の医療を支える」という使命感を持って、慢性期医療のレベルを向上させていきたいと思います。

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