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日本の社会保障制度の特徴とは?――社会保障の意義、諸外国との比較

キヤノングローバル戦略研究所 研究主幹 松山幸弘先生

日本は、“全ての国民が健康で文化的な最低限の生活を営む権利を有する”という生存権に基づき、戦後から社会保障の政策を含めた福祉システムの構築を進めてきました。社会保障とは、傷病や失業、労働災害、退職などで生活が不安定になった際、健康保険や年金、社会福祉制度などの公的な仕組みを活用し、生活を保障することです。日本の社会保障制度の特徴、現状の課題とはどのようなものでしょうか。日本や世界の医療経済/医療政策を見つめてきた松山 幸弘(まつやま ゆきひろ)先生(キヤノングローバル戦略研究所 研究主幹、豪州マッコーリー大学オーストラリア医療イノベーション研究所 名誉教授)にお話を伺います。


社会保障制度の意義

格差の是正――日本の所得再分配は適切に行われているか

人は誰もが、人生の中で病気、障害、失業、生活苦などにより“弱者”になるリスクを抱えています。社会保障制度の目的とは、このような弱者となった人々を救済すること、別の言い方をすれば格差是正です。格差を是正する方法、その柱となるのが、税制と社会保障制度を通じた所得再分配です。

 

では、日本で所得再分配は適切に行われているのでしょうか。政府が発表する最新のデータ(2017年)を見ていきましょう。所得格差の程度を示す際、“ジニ係数”という指標を使います。ジニ係数は0から1の間の値で示され、0であれば全国民の所得が均等、1であれば1人が全所得を独り占めしている社会を意味します。日本では、所得再分配前の国民全体のジニ係数が、1981年の0.3491から2017年の0.5594に上昇しました。その理由として2つのことが考えられます。第1に、非正規雇用の割合の上昇などにより、勤労者世代の中の所得格差が拡大していること。第2に、所得格差が大きい高齢の方の割合が上昇を続けていることです。このようななかで、税制と社会保障制度による所得再配分により所得再配分後のジニ係数が0.3721に抑えられているのは、評価に値します。

 

所得再分配の恩恵をもっとも受けているのは高齢者層

なお、2017年における高齢者世帯の所得再分配前のジニ係数は0.7828と高くなっています。これは、リタイアした高齢の方の多くが年金収入に依存している一方で、自営業者や農業者、医療機関のオーナーなど、年金以外の収入を維持する人々の存在を反映しています。そして、ジニ係数が0.7828から所得再分配後に0.3688と大きく改善していることから、所得再分配の恩恵をもっとも受けているのは高齢の方であると分かるのです。

 

ジニ係数の弱点は、フロー所得しか考慮しておらずストック面での格差を反映していない点です。貯蓄から負債を差し引いた純貯蓄で見た場合、リッチなのは高齢の方です。一方、コロナ禍で混乱が続く経済の中でもっとも困窮するのは勤労世代です。したがって、財源を高齢の方から勤労世代にシフトさせる政策が求められており、75歳以上の高齢者医療費の患者負担割合を1割から2割に引き上げるのは当然といえます。さらに言えば、本来は年齢に関係なく原則3割負担にすべきです。それにより、“本当に困っている人を助ける”システムを構築・実行していかなくてはいけません。


日本の社会保障制度の特徴とは? ――諸外国との違い

財源を赤字国債に依存し大盤振る舞いを続ける日本

諸外国と比して日本の社会保障制度の最大の特徴は、財源を赤字国債に依存しながら大盤振る舞いを続けていることです。

社会保障制度の根幹である“給付と負担のバランス”は国民の選択であり、これがベストという理論上の最適解は存在しません。しかしながら、社会保障制度の優劣を決める際の判断基準は“レジリエンス(苦境からの回復力)”、すなわち制度設計の前提条件が構造的に変化したときの改革による復元力なのです。この考え方において、日本の医療制度は赤字国債に依存しているわけですから、レジリエンスは0点という評価になってしまいます。

なお、年金については財源が不足した場合に年金額を自動的にカットする法改正が完了しているため、制度改革が必要なのは医療・介護です。

 

写真:PIXTA


“世界に冠たる国民皆保険”?

「世界に冠たる国民皆保険」という言葉を時折耳にしますが、これを聞いて頷くのは、実は米国人だけです。ほかの国々の医療政策を研究する人々の反応は米国人のそれとは相反します。私が所属するオーストラリアのマッコーリー大学医療イノベーション研究所は、医療改革と医療イノベーションの国際比較を研究していますが、そこにいる研究者たちは日本の医療制度にはもはや興味がありません。

これは一体なぜでしょう。そこには3つの理由があります。第1に、米国以外の先進諸国では、“医療の皆保障(主たる財源を保険ではなく一般税収としている国が多い)”は当たり前であり、自慢することではないから。第2に、日本の皆保険が赤字国債で維持されていることを皆知っているから。第3の理由は、日本のように医療機関と保険者が激しく利害対立しているシステムの下では、医療イノベーションが進みにくいからです。

日本は高度経済成長期における成功体験があまりにも大きく、社会保障制度に関して海外から学ぼうとしていないように見えます。もはやその成功は“過去のもの”だと認識し、国民のセーフティネットとなる制度を抜本的に考え直すべきではないでしょうか。

 

全体最適化が難しい財源確保と医療提供体制の構造

米国以外の先進諸国における医療制度では、財源確保と核となる医療機関の両方が“公”中心です。さらに、米国でも医療提供体制の中心はIntegrated Healthcare Network(IHN:統合ヘルスケアネットワーク)と呼ばれる大規模なセーフティネット事業体が担い、非営利地域医療保険会社も兼営して財源と医療提供体制の全体最適の意思決定を行っています。

一方、日本の場合、財源確保は“公”、医療提供体制は“民間中心”であり、全体最適化が難しい構造になっています。そのなかで地域ごとの全体最適化を実現するには政治・行政の力が必要です。しかし、現状彼らにその意識はないように感じてしまうのです。


日本の医療経済/日本政策に携わる松山 幸弘先生の思い

生命保険会社に勤務していた1988年に、九州大学経済学部に設置された国立大学最初の寄付講座の客員助教授に任命されました。任期は2年でしたので本を1冊書くことを決め、テーマ探しに大阪市梅田にある紀伊國屋書店に行きました。そのとき、医療政策に関する本が西村 周三(にしむら しゅうぞう)先生(当時 京都大学経済学部 教授)の『医療の経済分析』(1987年、東洋経済新報社)のみであることに気付き、医療政策研究を選んだのです。

そして1990年に出版したのが『米国の医療経済』(東洋経済新報社)です。この本は米国の診療報酬包括支払いの仕組みを日本に初めて紹介したもので、厚生省(当時)での勉強会に呼ばれたり、同省官房長にレクチャーしたりした思い出があります。

 

また、1992年には『エイズ戦争:日本への警告』(東洋経済新報社)を出版しました。この本は、病気の解説ではなく主要国における感染症を巡る政治経済を比較分析したものです。その序文でODA(政府開発援助)予算の一部を割いてアジア諸国のエイズ対策を支援することを提言しました。一個人の提言ですから政府に相手にされなくても当然でしたが、政府は1994年1月に、アジアのエイズと人口問題のためにODAとして総額30億ドルを拠出すると発表。加えて米国政府も60億ドル拠出するとの報道がありました。後で知らされたのですが、クリントン大統領が1993年に来日する際のテーマに、米国大使館が私の提言を推挙してくれていたのです。この本を執筆する際にウイルス学とパンデミックの歴史を勉強した経験は、今回のコロナ禍を考察するうえで非常に役立っています。

 

1999年3月に、生命保険会社を辞して富士通総研経済研究所に転職しました。その背景には、バブル経済が崩壊した1991年以降続く失政を放置すれば日本の将来が危ぶまれるという危機感がありました。

 

1990年代の日本 写真:PIXTA

 

そして、日本経済・社会の崩壊を防ぐ政策提言として、2002年に『人口半減:日本経済の活路』(東洋経済新報社)を出版。その中でもっとも重要な提言は、国公立病院を広域医療圏単位で経営統合し、開業医と民間病院も独立性を維持しながら参加できるセーフティネット事業体を創るということです。その後の研究は、根幹となるこの提言をバージョンアップしてきたものです。また机上の空論ばかりでは進歩がないと思い、2005年7月から3年半、民間病院の事務長を経験しました。さらに、自治体病院の顧問になり、経営改革に反対する市議会で“サンドバック”になる経験をしました。このようにして医療の現場に身を置き、医療政策によって現場がどのように反応するのか体感できたことは、政策を研究するうえでの大きな財産になっています。

2009年4月にキヤノングローバル戦略研究所に職を得てからは、海外の医療政策研究者との交流を深め、日本の医療制度をより複眼的に評価できるようになりました。最近2年間は社会保障制度全体が近未来にどうなるのかを英文コラムで発信することに注力しています。残念ながら、このままではいずれ日本は財政破綻し、現在の社会保障制度は白紙になるでしょう。幕末の混乱や敗戦など未曾有の危機は政策研究者にとって重要なテーマですので、そのときまで生き延びて後生に記録を残すことが私の最後の仕事と考えています。

*松山幸弘先生による「コロナ禍と医療イノベーションの国際比較」についてはこちらをご覧ください。

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