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急性期医療から慢性期医療へ——“患者第一”の精神を胸に

定山渓病院 名誉院長 中川翼先生

1999年に“抑制廃止宣言”を公表し、病院をあげて抑制*ゼロへの取り組みを続けている定山渓病院。記事1では抑制廃止の取り組みについてご解説いただきました。本記事では同院 名誉院長の中川 翼(なかがわ よく)先生に、医師としてのあゆみや抑制廃止に取り組むきっかけについてお話を伺います。

*抑制:身体拘束などにより患者さんの自由を制限する行為。


幼い頃から身近だった“医療”の世界

両親共に医師で、父は精神科医、母は眼科医でした。彼らの背中を見て育った私は、中学生の頃くらいから「将来は医師になる」という確信にも似た思いを抱いていました。ですから、医師以外の職業はまったく考えませんでしたね。私を含めた兄弟6人のうち、4人は医師、あとの2人は薬剤師になりました。両親から受けた影響が大きかったのだと思います。


脳神経外科医として多忙を極めた日々

神経系、特に脳そのものに興味があり、脳神経外科の道に進みました。なぜ外科を選んだのかといえば、やはり自分の手で診断・治療を行い、患者さんを治したいと思ったからです。当時の脳神経外科はとても忙しく、週末にしか自宅に戻れないこともしばしば。一日中患者さんを診療して夜は病院に泊まり込む、という多忙な日々でしたが、自分にとっては非常に刺激的でやりがいのある時間でした。もちろん難しい手術はありますが、できるだけ後遺症を残さずに、とにかく“患者さんが自分で歩いて自宅に戻れること”を目標に治療にあたっていました。患者さんが元気になって退院されるときには、大きな達成感を感じたものです。

 

先日、嬉しいことがありました。昔、脳の手術を担当した方が当院に入院してきまして、そのお子さんのお名前が“翼(つばさ)”だったのです。担当医であった私の名前から翼という漢字をとってお子さんにつけてくださったそうです。手術したのは随分昔のように思いますが、巡り巡ってこのような形で患者さんの思いを感じ、本当に嬉しく、ありがたい気持ちになりました。


恩師から教わった“患者第一”の精神を胸に

私にとっての恩師は、北海道大学 脳神経外科で初代教授を務めた都留 美都雄(つる みつお)先生です。都留先生は、北海道における脳神経外科診療を飛躍的に発展させた方です。いつも“患者第一”の精神を説かれていました。この精神は、私が目指してきた医師としてのあり方に多大な影響を与えています。脳神経外科医として臨床の現場にいたときも、定山渓病院に入職して“抑制廃止”に取り組んだときにも、心の奥には“患者第一”という信念がありました。患者さんを第一に考えれば、不必要に体を拘束したりベッドに縛り付けたりして自由を奪うなどということは決してできないはずです。


急性期医療から慢性期医療の世界へ

脳神経外科医として昼夜を問わず働き、20年以上が経過。臨床に力を注ぐ一方、脳虚血に関する大学での研究業績をまとめた書籍『脳虚血~基礎と臨床~』(A4版、全318ページ、にゅーろん社)を発行し、脳神経外科の分野で反響を呼びました。この時期、自分の中で1つのけじめがついたような気がしました。大きな仕事を終えたことで、その後、新しく何をすればよいか見えない状態だったのです。

悶々としているとき、医療法人渓仁会 理事長(1995年当時)の加藤 隆正(かとう たかまさ)先生に「定山渓病院を活性化してほしい」とお声をかけていただきました。それまで脳神経外科医として急性期医療の分野で走り続けてきた私にとって、慢性期病院はまさに新しい世界。2週間ほど時間をいただき考えるなかで「新たな場所で挑戦をしよう」と思い至り、要請を引き受けることにしました。

 

定山渓病院に移ったのは53歳の頃。定山渓病院での経験によって、慢性期医療という新しい視点から医療を考えるようになりました。高度急性期医療では、1~2週間ほどしか患者さんに関わる時間がありません。ところが慢性期医療の場合は、急性期治療を終えた患者さんに長く関わり、ときに一生を支え見守ることもある。さまざまな形で患者さんの人生に関わり、人生を支えることのできる慢性期医療は医療者にとって非常にやりがいのある分野だと思います。今思うのは、“治す医療と、治療しても治しえない方を支える医療のどちらも大切”ということです。


定山渓病院での“抑制廃止”の取り組み

当院は1999年7月に“抑制廃止宣言”を病院内外に公表し、抑制ゼロを目指して取り組んできました。1995年に定山渓病院に就任して初めて慢性期医療の世界に触れ、抑制については疑問を抱きつつも、最初の頃は「もしかしたら抑制は慢性期病院では必要なのかもしれない」と考えていました。しかし徐々に、現場で働く看護・介護スタッフにも「不必要な抑制をやめたい」という思いがあることが分かってきたのです。このとき私は、病院一丸となって抑制廃止に取り組まなければと確信しました。そして、まずは病院全体の意思を共通にすることに努め、院長として責任を持つことを宣言し、皆が安心して積極的に課題解決に取り組めるよう環境を整えました。

*定山渓病院における“抑制廃止の取り組み”について、詳しくは記事1をご覧ください。


定山渓病院から全国へ――抑制廃止の啓発活動

当院では2000年頃から、抑制廃止の取り組みに関する講演・講義を全国で行っています。現在では看護部から講師として参加してくれる者もおり、心強い限りです。医療者向けの研修会などはもちろん、大学の看護学部や看護学校など、未来の医療者に向けた教育という観点でも啓発活動を続けています。

現在、社会的にも抑制廃止への意識が高まりつつあるのを実感しています。私たちは院内での抑制ゼロを継続するとともに、全国の医療者に向けて抑制廃止の啓発活動をこれからも精力的に実施します。抑制廃止に取り組もうと考えている方々は、ぜひ研修会や勉強会などに参加いただければと思います。

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