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富家隆樹先生のあゆみ−「高度先進慢性期医療」を目指して

富家病院 理事長 富家隆樹先生

埼玉県ふじみ野市にある富家病院。理事長の富家隆樹先生は、1999年にご母堂より富家病院を継ぎ、これまで「高度先進慢性期医療」を目指して、積極的に重度の患者さんを受け入れてきました。


富家隆樹先生のこれまでの歩み

  • 母が苦労して富家病院を開設

富家病院は、母が開設した病院です。当時は、女性が社会進出するには障壁が高い時代でした。医師ではない母が三重県から上京し、病院を設立するまでには、私の想像ではおよばないほどの苦労があったと思います。子どもながらに、その苦労は十分すぎるほど感じていました。長らく無理を重ねたことも影響したのでしょうか。母は、59歳という若さで他界しました。私が医師を志したことには、母の存在が大きく影響しています。

 

医学部6年生の頃、国家試験の準備の息抜きに、と手に取った『白い巨塔(山崎豊子 著)』が、私の進路を決めました。手術という限られた時間に集中して人の命を救う財前五郎に憧れ、外科医になろうと決意したのです。

 

  • 「患者さんと長くかかわれる医療を」との思いで病院を継ぐ

このようにして、私は外科医の道に進みました。しかし「いつか自分が病院を継がなければいけない」という思いから、とにかく早く技術を身に付けようと、休日を返上して病院で過ごす日々を過ごしました。

 

研修医時代を過ごした大学病院の外科病棟には、次々と患者さんがやってきては、手術を終えて帰っていきます。あるとき、指導医の方が「患者さんの顔は覚えていないけど、自分が切った傷は覚えている」と口にしました。きっとその方はよい意味でそういったのでしょう。しかし、私はどうも腑に落ちませんでした。

 

患者さんがまるでベルトコンベアに乗せられた部品のように次から次へと運ばれてきて、医師たちは一人ひとりの顔を覚えることもないまま、とにかく治療して退院させる。そのような日々を過ごすうちに、私は、徐々に「もっと患者さんと長くかかわっていける医療に携わりたい」と思うようになりました。そして、母の病院を継ぐことを決意したのです。

 

母の病院は、いわゆる「老人病院」でした。

当時、大学病院の上司に「お前の病院は、死んでいく人ばかり入院しているのだろう?」とひどいことをいわれました。私はそれがとても悔しかった。死んでもよい患者さんがいるわけがない。慢性期医療は、そんなふうにバカにされるような医療ではない。社会になくてはならない医療なのだ、と。

 

病院を継いだとき、まず「当院でしかみられない患者さんをみていこう」と考えました。医療の必要性が高く、施設ではみることが難しい方でも、きちんと受け入れることのできる場所をつくりたい。この思いが「高度先進慢性期医療」につながっているのだと思います。

 

  • 慢性期医療は楽しくてやりがいがある

富家病院は「高度先進慢性期医療」を目指して、重度の患者さんを数多く受け入れてきました。慢性期医療に携わるなかで、少なからず苦労することもありますが、それよりも楽しさややりがいのほうが格段に多く、あのとき病院を継いで本当によかったと思います。

もしあのとき違う選択をしたとしても、きっとどこかのタイミングで慢性期医療に転身していたでしょう。

 

先述のとおり母は59歳という若さでこの世を去りましたが、当院で看取ることができました。今でも、「物語の階段」に写真を飾っています。自分たちで母の看取りをできたことを、とても幸せに思います。


臨床家として−印象的だった患者さんについて

  • 患者さんの「最後の10年」にかかわるということ

あるとき、当院に10年入院されていた患者さんが亡くなり、スタッフと共に葬儀に参列しました。会場に集まったのは、ほとんどが患者さんのご親族と病院のスタッフでした。

それが、「患者さんの人生のある時期、そのほとんどを病院で過ごせば、自ずと病院が居場所になり、人間関係も病院のなかに凝縮されていく」ということを、初めて実感した瞬間です。

 

患者さんが入院されてから亡くなるまでの時間、人生における「最後の10年」ともいえる時間に、私たちはかかわっていたことになります。

そのとき私は、患者さんとそのような深いかかわりを持てる慢性期医療に携わることができて幸せだと思い、同時に、患者さんやご家族にとっての大切な時間を私たちが共につくっていくのだという意識を強く持ちました。


経営者として−富家先生の思い

  • 「富家病院でしか診ることができない患者さんを診ていく」

病院を継いだときから変わっていないことは「富家病院でしか診ることができない患者さんを診ていく」という信念です。医療の必要性が高く施設では診ることができない方や、ほかの病院で断られてしまうような重度の患者さん、あるいは在宅でみることが難しいケースであっても、当院がきちんと受け皿になろう。そう決めて、さまざまな取り組みを行ってきました。


当院は、地域医療においても、救急病院で重度の患者さんを救命したあと、安心して当院に患者さんを送っていただけるような存在になりたいと考えています。結果、地域医療のなかで「最後の砦」のような存在に思っていただけたらとても嬉しいです。

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