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大阪緊急連携ネットワークとは? 平時からの体制構築がもたらす有用性

平成医療福祉グループ 診療本部長 井川誠一郎先生

奈良県では2006年、分娩中に意識不明となった妊婦が受け入れ先の病院が見つからず亡くなり、また翌年には妊婦健診未受診のために受け入れられる病院がなく妊婦が死産するという痛ましい出来事がありました。これを契機に国内では救急患者の受け入れ困難例、いわゆる“たらい回し”が問題となりました。そのようななか、日本慢性期医療協会(以下、日慢協)は東京と大阪で急性期病院と慢性期病院の連携(急慢連携)の構築を開始。その際に大阪で運用が始まった「大阪緊急連携ネットワーク」は現在も機能し、有用性を発揮しています。当初からコーディネーターを務める井川 誠一郎(いかわ せいいちろう)先生(平成医療福祉グループ診療本部長)にその過程と重要性について伺いました。

 


救急患者の受け入れ困難例が社会問題に

2006~2007年に起こった事案を受けて、救急患者の受け入れ困難例が社会問題となりました。厚生労働省は2007年に「救急医療の今後のあり方に関する検討会」を開き、その中で救急医療の現状について調査とヒアリングを行いました。救急車が実際どのように運用されているのか、三次救急医療機関(患者が生命の危険に瀕しており、専門的な治療よりも重篤な身体状況の管理が最優先される場合に対応する病院)にどのような患者が搬送されているのかなどを把握するためです。

その過程で、まず救急搬送者が全体的に増加しており、その内訳として軽症の高齢者の占める割合が増えていることが分かりました。また、患者が介護施設から搬送されてきた場合、発熱などの軽症であってもすぐに施設に戻れずに入院を余儀なくされるケースがあるという問題も浮き彫りになったのです。これを受け、日慢協は東京と大阪の2拠点で連携ネットワークの構築を開始。私は任命を受け、大阪エリアでコーディネーターを務めることになったのです。

 

写真:PIXTA


既存の医療資源を生かすべく連携ネットワークを構築

まず東京と大阪それぞれの地理的特徴や医療資源の分布状況などを踏まえてモデルケースを作ることになりました。大阪では古くから、1967年に設立された大阪大学医学部附属病院の「特殊救急部」が大阪エリア中心部の救急医療を担っていました。その後、大阪府全体をカバーする救急医療機関が必要になり、三次救急を担う独立型の救命救急センターが大阪市外に複数作られたのです。たとえば、高槻市の「大阪府三島救命救急センター」や吹田市の「千里救命救急センター」もその1つです。

独立型の救命救急センターは病床数がそれほど多くないため、軽症者が運ばれてしまうと容易に病床が埋まってしまいます。すると、早急にトリアージ(緊急度や重症度に応じて適切な処置や搬送を行うために傷病者の治療優先順位を決定すること)しなければならない中等症・重症の方の対応ができません。このような状況を回避するために私たちは、いずれかの救急救命センターが埋まる前に急性期病院から要請を受け、近隣の慢性期病院に軽症患者を移す連携システムを2008年に構築しました。それが「大阪緊急ネットワーク」です。


急性期病院と慢性期病院が「顔の見える関係」に

大阪緊急連携ネットワークを構築するなかでコーディネーターとして初めに試みたのが、三次救急を担う急性期病院と後方支援を担う慢性期病院が、お互いの実態を理解できるようにする体制作りです。具体的には、まず慢性期病院に調査票を配布して各病院の医療提供体制を詳細に洗い出しました。それらの情報をまとめることで、急性期病院から要請があった際にどの慢性期病院に患者を移せばよいかを迅速に判断できるというわけです。

また、各病院の代表者を集めてフェイス・トゥ・フェイスで話し合える会合を定期的に設けました。そのおかげで病院同士が「顔の見える関係」となり、連携を取りやすい体制が整いました。この会合は現在でも3か月に1回のペースで開催しています。

こうした取り組みによって病院同士の連携が深まり、コーディネーターが間に入る必要がないケースも増えました。現在では要請がある際に急性期病院が慢性期病院に直接電話をかけ、対応している例も多々あります。

 

写真:PIXTA


加盟病院の増加でネットワークは着実に拡大

発足当初の加盟病院は急性期病院が5つほど、慢性期病院は20ほどでした。それが現在では16の急性期病院(国立循環器病研究センターを含む)と39の慢性期病院が加盟するまでに拡大し、大阪府の救命救急センターのほぼ全てを網羅しています。慢性期病院の参加は全体の半分ほどですが、大阪府内に満遍なく加盟病院があるので連携先を探すのに大きな不便はありません。


病院同士の信頼関係が高まるという“副効用”も

連携体制の構築に向けて会合を重ねるなかで、それまではお互いに「遠い存在」となっていた病院同士の理解が深まりました。たとえばAIDS(後天性免疫不全症候群)など感染症の患者に対応する機会が少ない慢性期病院は、そのような患者の受け入れをためらいがちであることが会合をとおして分かり、急性期病院が率先して講習を行いました。慢性期病院が正しい知識を得ることで、安心して患者を受け入れられる体制ができたのです。

また、毎回行うカンファレンスでは「転院患者の経過」を全て報告しており、急性期病院が転院先の患者の様子を伺い知る貴重な機会となっているようです。経過報告は全ての患者が退院あるいは亡くなるまで行われますから、入院期間が長い患者の場合は10年ほどになることもあります。急性期病院としては転院後の患者の様子を知ることで安心でき、慢性期病院への信頼が深まるようです。

このように、病院同士がお互いを理解し信頼し合うという結果は、大阪緊急連携ネットワークを構築した“副効用”といえますし、このような連携体制は共同で地域を守り続けるためにたいへん重要なものだと感じています。


平時からのネットワークが有事にも生かされる

コロナ禍という有事においても、大阪緊急連携ネットワークは有用性を発揮しました。というのも、感染拡大の兆しが見えた時点で加盟病院のメンバーが対策に動き始め、2020年春から半年ほどの間に慢性期病院が20数例のポストコロナ患者を受け入れることができたのです。ポストコロナ患者の受け入れについて不安を抱く慢性期病院もあったようですが、会合の中で情報を共有し、病院同士で話し合うことで理解や一体感が高まり「皆でポストコロナ患者を受け入れよう」という流れが生まれました。

これは、平時からの強固な連携体制が有事の際にも高い有用性を発揮し、迅速かつ的確な対応を促すことを示すよい例ではないでしょうか。


地域ごとの課題や状況に応じたネットワーク構築を

これまでお示ししたのはあくまでも大阪のモデルケースであり、このパターンがあらゆる地域に当てはまるわけではありません。たとえば東京の場合、三次救急は大学附属の病院が主に担い、そのほとんどが23区内の都心部に集中している一方、慢性期病院の多くは23区外の離れた場所にあります。すると病院同士の連携の取り方や、病院を移ることに対する患者の負担や印象も異なるはずです。また、地方によっては慢性期病院がほとんどないエリアもありますし、あるいは公立病院が急性期から療養まで担う完結型の経営をしており、慢性期病院に患者を移そうと思うと車で数時間かかるエリアもあります。

このように都市部であっても状況はさまざまですし、地方都市にもそれぞれの事情があるのです。緊急連携ネットワークを構築する場合には、地域ごとの課題や状況などを十分に理解し、各都道府県の地域医療構想を考慮して進めていく必要があるでしょう。

ただ1ついえるのは、急性期病院と慢性期病院が共に話し合い「顔の見える関係」を構築しておくことが非常に重要であり、それが濃密な連携と地域医療を守ることにつながるということです。これはあらゆる地域に当てはまることではないでしょうか。

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