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大塚宣夫先生が考える「高齢者医療」と「非マジメ老後のすすめ」

医療法人社団 慶成会 会長 大塚宣夫先生

医療法人社団 慶成会は、1980年から続く青梅慶友病院での高齢者医療・介護の経験をもとに、2005年によみうりランド慶友病院を開設しました。病院でありながらも、医療的管理を最優先にせず、第一に患者様の生活・人生を考え、心穏やかに最晩年を過ごせる空間とサービス提供体制の確立を目標に掲げています。「最晩年を豊かにする看取りのプロでありたい」と語る大塚宣夫先生に、高齢者医療にかける思いを伺いました。


第一に患者様の生活・人生を考え、心穏やかに最晩年を過ごせる病院−そのあり方

よみうりランド慶友病院では、入院している方の平均年齢は87歳、高齢になり病気や障害が重篤となり、人生の最終局面で治療よりも療養を目的として入院される方が中心です。人生の残された時間をできるだけ穏やかに過ごすための場所として機能しています。

 

「生きている時間を少しでも豊かにするためには何が必要か」という発想を持てば、ケアの方向性は自ずと見えてきます。もっとも優先するべきは医療的管理ではなく、医療よりも介護、介護よりも生活の部分だと考えています。必要となるのは、快適に過ごせる空間があり、食べたいものが食べやすい形で提供され、好きなときに家族と会えるといった環境です。対応方針の軸となるのは、患者様に「大事にされている」と感じてもらえること。それを通して、患者様もご家族も幸せでいられると考えています。

 

このような考え方に沿って、私たちの病院では、患者様に残された能力を見極めたうえで、不要なチューブや検査、投薬といった医療的管理をできる限り減らします。ご家族とも24時間いつでも面会でき、お部屋によっては、ご家族と一緒に宿泊していただくことも可能です。さらに、お酒を飲むことも原則自由です。


大塚先生が高齢者医療にかける思い

人の最晩年を豊かにする「看取りのプロ」でありたい

人が生まれてくるときには安全な出産をサポートする専門家がいますし、人が病気になったら治療するための専門家がいます。それらと同じように、人の最晩年を豊かにする専門家がいてもよいでしょう。言うなれば、看取るプロです。私たちは、そのような「看取りのプロ」でありたいと思っています。


時代が移り変わるなかで、医療提供に関する価値観も変わるべき

医師に限らず医療専門職は、医学教育のなかで2つの価値観を教わります。1つは、正常から外れた心身の状態をいかに正常に戻すかという価値観。もう1つは生物学的な死を敗北と位置付け、治療によって一瞬でも死を先延ばしにしようとする価値観です。このような価値観は、乳幼児あるいは若年者の死が日常的であった時代のなかで形成されたと考えられます。

 

しかし、医学と医療技術が進歩し、治療できる病気が増え、我が国では生を享けた多くの人が80歳過ぎまで生きる時代になりました。

高齢になれば、心身の機能は自然と衰え、いろいろな病気や障害を抱えることがあります。進歩したとは云え、高齢化による機能低下に対して医学は無力であり、いずれ全員が死亡することは誰でも知っています。高齢者に対し、惨めさと苦痛を伴う医療管理優先の対応が患者さんや家族に幸せや豊かさをもたらすとは思えないのです。

 

既存の高齢者医療のあり方に疑問を抱くようになったのは、1988年頃、「老人の専門医療を考える会」の海外研修で、欧州の高齢者施設を視察したことがきっかけです。その研修では、オランダとイタリアの高齢者向け福祉施設を訪問し、イギリスでは老人医療の実情に関するセミナーを拝聴しました。

 

高齢者向け福祉施設の見学では、当時「ヨーロッパでは寝たきりの高齢者がいない」と言われていた背景を知ることになりました。1つは、朝になったら利用者の全員が着替えをして、車椅子や椅子に座って1日を過ごすこと。もう1つは、口に入れてもらった栄養分、水分を自分で飲み込めなくなったらそれ以上のことはしないという対応がなされていたことです。これらの対応が社会的な合意のうえに成り立っていました。

その背景となる哲学「人間には、死ぬことよりももっとつらいことがある。それは、自分の能力を超えて生かし続けられることだ」という言葉を聞き、私は衝撃を受けました。

 

もちろん、国が違えば文化や価値観、社会福祉制度などが異なりますから、そのまま日本の医療現場に取り込むことはできません。しかし、私は、高齢者医療に携わる者として、よりよい最晩年の過ごし方というものを追究し続けたいと考えています。


高齢者の生き方と、高齢者を取り巻く社会−大塚先生の考え方

老後は自由に生きていい!−「非まじめ老後」のすすめ

ある程度の歳になったら、「したいことだけして、したくないことはしなくてよい」と思います。多くの方は、何十年間、仕事や子育てに奔走し、たくさんの義務や責任を果たしながら生きていきます。ようやく自由になったのだから、周りに気を使いすぎずに、適当に生活したらよいのです。


社会的に「高齢者」を再定義するタイミングに差し掛かっている

現在、日本では、高齢者の定義を「65歳以上」としています。しかし、この定義は生物学的な理由から決められたものではなく、19世紀末にプロイセン王国(現・ドイツ北部からポーランド西部にあたる場所)のビスマルク首相が年金制度を開始する際、政治的な理由で決められたといわれています。それから時代は大きく変容し、平均寿命が延伸するなかで、未だ同じ定義を当てはめていることに、疑問を抱かずにはいられません。

 

特に日本人は働くことに人生の意義を感じる比率が高いようです。仕事をしている高齢者を対象とした内閣府の調査によれば、「あなたは何歳頃まで収入を伴う仕事をしたいか」という問いに対し、「65歳くらいまで」と答えたのは13%ほどで、一方、42%が「働けるうちはいつまでも働きたい」と回答しています。「70歳くらいまで」もしくはそれ以上という回答と合わせれば、8割ほどの方が高齢期にも就業意欲を持っていることが言えます。この調査結果等も考え併せると、今、私たちは「高齢者」を早急に定義し直すべき時期に来ていることは確かです。

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