医療倫理 2021.10.08
大切な存在を失うことによる悲嘆・苦悩――「グリーフ」はどう癒えるのか
上智大学大学院実践宗教学研究科死生学専攻 教授 伊藤高章先生
あなたは人生の中で、自分の大切な人やものを失ったことがありますか。生きていれば時にグリーフ(喪失、深い悲しみ、悲嘆、苦悩)に直面することがあります。それはたとえば家族や友人などかけがえのない存在との死別――特に災害や事故、自死など予期せぬ別れは人に深い喪失感をもたらします。「失ったものが大切であるほどその喪失感や悲しみは大きいが、グリーフを全て取り去る必要はない」と伊藤高章先生(上智大学大学院実践宗教学研究科死生学専攻教授、上智大学グリーフケア研究所所員)はいいます。グリーフとの向き合い方、グリーフケアが必要になる場面についてお話を伺いました。
「グリーフ」――喪失や悲嘆、苦悩
グリーフとは喪失や悲嘆、苦悩を意味する言葉で、自分にとって大切な人・もの・事柄を失うことで起こるさまざまな感情です。家族や友人、恋人など大切な人との死別は大きな喪失になり得ますが、そのほかにも、災害による家屋・家財の喪失、失業(経済的な危機)、ペットの死、病気や障害、手術で体の一部を失うことなど幅広い事柄が含まれます。
ただし、グリーフは必ずしもネガティブなものばかりではありません。卒業や結婚などポジティブな面を持つ人生の大きな転機もまた、グリーフをもたらします。卒業や結婚の場合は、その先に期待する明るいものに目が向くため、喪失にはあまり注目しません。しかし私たちは、次のライフステージに進むときに何かを得ながら、同時に何かを喪失しているのだと思います。
ご自身の歩みを振り返って、人生の節目に何かを「置いてきた」経験はないでしょうか。そういうものが案外、ご自身の価値観や人生観に大きな影響を与えているかもしれません。
グリーフケアとは――その必要性
グリーフケアとは、人生で起こるさまざまな喪失の経験や感情をしっかりと振り返るプロセスです。一般的にはより狭義に、グリーフを抱える方の危機的な状況に他者が介入しケアを試みることを指します。しかし私はより広義に、ご本人が経験や感情を振り返り、理解を深めることも含めて「グリーフケア」あるいは「スピリチュアルケア」と呼んでいます。
写真:PIXTA
現代社会を生きる私たちは効率や生産性を重視して、前へ前へと進んでいます。ですから、手放したものをそのまま置いてきてしまう――そんな状況は多々あるでしょう。しかし、ご自身の歩みをきちんと振り返り、何を手放してきたのか、何を優先し、何を心の奥にしまい込んできたのかを理解することは非常に重要なプロセスです。それは自分の中にうごめいているダイナミズム(力強さ)や無意識の選択の根拠を知り、自己を理解することにつながるはずです。
たとえば親子関係で何らかの課題を抱えながら、あるときそれを振り払って違う人生を歩き出したとします。しかし自分が結婚して家族をつくるときに、過去の親子関係がふと頭をもたげるかもしれません。あるいは、壮年期や更年期に何となく感じるメランコリー(憂鬱)の根底に、自分がかなえたくても実現できなかったことや何かを手放したことで傷ついた記憶があるかもしれない。そういう自分自身の経験や心の動きに目を向け、振り返ることこそがグリーフケアの意味であり、価値であると考えます。そのプロセスは豊かな人生に必要なものなのです。
経験や思いを言語化する――「語り」の重要性
私たちは普段、どのようにグリーフを受け止めているのでしょうか。
通常、グリーフは時間の経過とともに自然と和らいでいくものです。ただし、喪失の経験や思いを自分の中に組み込んでいく過程で、うまく調和が取れないケースも存在します。中には深く激しい喪失感・悲嘆によって精神症状が現れたり、社会生活に支障をきたしたりする場合があります。これはグリーフが複雑性悲嘆(急性期の悲嘆反応が長期に強いまま継続した状態)あるいはトラウマ(心的外傷:非常に強い心的な衝撃を受けたときにその体験が過ぎ去った後も体験が記憶に残り、精神的な影響を与え続けること)という形で残っていると捉えることができます。
グリーフを自分の経験としてうまく組み込むために必要なものは、経験や思いを言語化し整理する「語り=ナラティブ」のプロセスです。たとえば誰かに自分の経験について話すとき、頭の中で整理され準備された内容が語られるわけではありません。相手との対話の瞬間に、自分がどんな経験をしたのか、そのとき何を感じたのかを、その都度頭の中で再編集して表現し伝えているのです。その過程で経験や思いは言語化され、整理される――これこそが「語り」のプロセスなのです。語りをとおして、その人の心は徐々に変化します。
語りを聴く際の大切なポイントについては、こちらの記事をご覧ください。
グリーフを全て取り去る必要はない
少々逆説的なことをいいますが、私はグリーフを全て取り去る必要はないと考えています。大きな喪失感を感じているということは、それほど自分にとって豊かなものを失ったということです。失ったものが豊かであるほど、その悲嘆や苦悩は大きいのです。
もしグリーフを避けたければ(それは不可能なことですが)、誰も・何も愛さない、誰にも愛されないようにすればよいのです。そうすれば悲嘆はありません。現実には、あなたが人生の中で人を愛し経験を大切にしていれば、それが失われたときに大きな喪失を感じるのです。喪失感は、失った人やものがいかに素晴らしかったか、大切だったのかを示す“勲章”なのだと思います。無理にグリーフの全てを取り去ろうとする必要はありません。
写真:PIXTA
ただし、先ほどお伝えしたようにグリーフが複雑性悲嘆やトラウマという形で残っている場合は心身・社会的なエネルギーを消耗してしまうため、グリーフケアや医療的・心理的介入などをとおして適切なサポートを受けることが重要です。
悲嘆や苦悩をポケットにしまって生きる
グリーフケア人材の教育で伝えていることがあります。「グリーフケアのゴールは、悲嘆や苦悩をポケットに大切にしまい、必要なときに取り出せるようになること。自分のポケットにグリーフが入っていることを意識しながら、自分自身のペースでグリーフを味わいながら日々を生きていくこと」――何かを喪失することは悲嘆や苦悩につながりますが、十分に悲しみ、嘆き、その経験を語ることで、その感情とうまく付き合えるようになることが理想的だと思います。大切な人が亡くなって、それから毎年その方のお誕生日には一緒に過ごした日々を思い出して涙する。そんな「付き合い方」もあるでしょう。
精神分析学の父ジークムント・フロイトの知見に従うならば、「きちんと向き合えていない感情はそのうち発酵して異臭を放つかもしれないし、爆発するかもしれない。しかしきちんと風通しした感情はあまり悪さをしない。感情を隠そうとしたり押さえつけたりせずに、できるだけ風通しをよくしておくことが重要だ」――これはグリーフとの向き合い方にも通ずる考え方ではないでしょうか。
次の記事では、国・文化によるグリーフへの向き合い方の違いについてお話しします。