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人生の最期を自分らしく過ごせる場所「ナラティブホーム」――その構想から完成まで

医療法人社団 ナラティブホーム 理事長 佐藤 伸彦先生

富山県砺波市にある「ナラティブホーム」。高齢者など終末期にある方が望む最期を自由に過ごせるよう、在宅系医療・介護サービスが介入した賃貸住宅として2010年に開設されました。今のようなサービス付き高齢者住宅といった概念がなかった時代に、高齢者の住まいを先駆けて作ったのが医療法人社団 ナラティブホーム 理事長の佐藤 伸彦(さとう のぶひこ)先生です。設立の経緯や思いについて佐藤先生にお話を伺います。


ナラティブホーム構想

ナラティブホームの計画を始めたのは2002年頃です。末期がんとエイズの患者さんに緩和ケアを行う場所としてホスピスがありますが、当時はそれ以外の疾患の方が緩和ケアを受けられる場所はありませんでした。内科医として多くの高齢者を病院で看取る中で「がん/非がん患者さんにかかわらず、何らかの形で高齢者や終末期の患者さんをきちんと看取れる場所を作りたい」という思いを強く持っていた私は、その思いを実現させるためにナラティブホーム構想を練り始めました。

 

作りたかったのは、病院のような安心感と自宅のような自由さを併せ持つ仕組みです。今でこそサービス付き高齢者住宅といった場所もありますが、当時はそうした概念がありませんでした。また、私は当初“ホスピホーム”と名付けていましたが、単に最期を看取るだけでなく、患者さんの“ものがたり”を考える終末期医療を実践したいという思いがありました。そして、“ものがたり”を意味する「ナラティブホーム」と名付けることにしたのです。


“ものがたり”に向き合う理由

救えなかった“いのち”

患者さんの“ものがたり”を考え始めたのは、ある事件がきっかけです。医師になって数年後、救急医療の現場で働いていた時に、客室乗務員の女性が肺炎と細菌性髄膜脳炎(さいきんせいずいまくのうえん)で救急搬送されてきました。何とか一命は取り止めたものの、重い後遺症によって耳はほとんど聞こえなくなり、車椅子を必要とする状態となってしまいました。しかし私は、命だけは助かってよかった、と安堵していたのです。

すると退院後しばらくして、警察から電話がありました。その患者さんがご主人を絞殺し、ご自身は飛び降り自殺をしたというのです。そしてその時、先輩の医師が言ったのが「1人助けたのに、2人亡くなってしまったね」という言葉でした。

 

それから私は、2種類の命について考えるようになりました。生命体としての“命”と、多くの経験とともに生きてきた一人ひとりのものがたりとしての“いのち”です。私はその患者さんの“命”は救えましたが、“いのち”を救うことはできなかった。人はいつか必ず死んでしまうので、生命体としての“命”を完全には救うことはできません。しかし、ものがたられる“いのち”なら救えるのではないかと思っています。

 

医療にあるのは、語りの循環により生まれる“ナラティブ”

私が、ナラティブを“ものがたり”とひらがなで表現しているのにも理由があります。

一般的に物語と訳される“ストーリー”や“ナラティブ”は、本来ならばそれぞれ違う意味を持つと考えています。まずストーリー(story)の語源はヒストリー(history)で、1つの出来事を表す名詞的なイメージを強く持ちます。対してナラティブ(narrative)の語源はナレート(narrate)であり、 語るという動詞的なイメージがあります。

医療にあるべきなのは、聞き手と語り手が想定された“ナラティブ”です。医師と患者の間で語りが循環することで、ナラティブは生まれていきます。それは、すでにストーリーが存在しているインフォームドコンセント*のような、一方通行のやり取りではありません。

すでに筋書きのある物語がストーリーならば、ナラティブはどう表現したらよいのだろうか。そう考えた結果、ひらがなの”ものがたり”を使うことにしました。

 

*インフォームドコンセント:医師などから診療内容について説明を受けて、理解したうえで患者さんが診療内容に同意すること。

 

イメージ:PIXTA


ナラティブホームの誕生――実現できたポイント

ナラティブホームは「ものがたりの郷」として2010年に開設しました。患者さんの自由度を高めるために制度上は賃貸住宅(居宅)として運営しているため、どなたでも入居が可能です。そこにナラティブホームが運営している訪問診療、訪問看護、訪問介護などのサービスが介入することで、必要なときに必要な医療・介護が受けられる体制になっています。

ナラティブホーム構想の実現への道のりは、決して平坦なものではありませんでした。当時は前例がなかったため「佐藤が無認可の病棟を作った」と揶揄(やゆ)されながらも、どうにかして違法でも脱法でもないサービスを展開するために、厚生労働省とは何度も議論を重ねました。

実現のために一番大切だったポイントは「医」「食」「住」を分離することです。医療、食事、住居を提供する事業がそれぞれ独立して利害関係をもたないことが、居宅として認められる条件でした。これら3つを同じ事業から提供すると、賃貸住宅ではなく有料老人ホームのような形態になってしまうのです。

 

結果的に、在宅系の医療サービスに必要な訪問看護ステーションやヘルパーステーションを新たに開業することにしました。住居については、JAとなみ野が提供する高齢者向けのアパートを使わせてもらうことになり、食事を提供するサービス業者も確保しました。こうして、ナラティブホームは賃貸住宅としての開設に至ったのです。


本人が望むように、その人らしい最期を迎えられる場所に

私を含めナラティブホームのメンバーは、最期を過ごす場所は自宅が一番、という考えは持っていません。しかし病院では実現できない最期を本人が望んだ場合に、それを実現するためにナラティブホームのような場所が必要だと思ったのです。ペットを飼いたいなら飼ってもよいし、お酒を飲みたければ飲んでもよいのです。もちろん家族の出入りや宿泊も自由です。

 

一方で運営する中でみえてきた反省点は、自由度は高いものの病院とさほど変わらない空間になってしまっていることでした。人の死を生活の中に戻したくて開設したのですが、地域にとっては閉鎖的な空間のままだったのです。そこで、地域の人を巻き込んだ開放的な空間づくりをするために、2020年の秋に「ものがたりの街」をオープンしました。

 

次ページでは、ものがたりの街についてお話しします。

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