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人々の“ものがたり”に向き合い、生きた証をこの世に残す――佐藤 伸彦先生のあゆみ

医療法人社団 ナラティブホーム 理事長 佐藤 伸彦先生

高齢者の死を病院で看取ることが当たり前だった時代に、人生の最期を自由に過ごせる場所として開設されたナラティブホーム。2020年には地域の人々が集まれる「ものがたりの街」がオープンし、より開放的な空間に生まれ変わりました。人生の最終段階における、人々の“ものがたり”を大切にする佐藤 伸彦(さとう のぶひこ)先生(医療法人社団 ナラティブホーム 理事長)に、ご自身のあゆみや思い、今後の展望について伺います。


薬学部を卒業後、医学部へ

私の父は小説家であり、物心がついた頃から本に囲まれた生活を送っていました。幼少期からたくさんの本を読み、理由ははっきり覚えていないものの、なぜかその頃から医師になりたかったことを覚えています。

 

しかし、小学校から高校までサッカーに夢中になり、勉強はあまりせずに過ごしていました。父親が早くに亡くなり母子家庭だったこともあり、経済的に私立大学に行くという考えはなく、合格できそうな国立大学に的を絞った結果、薬学部と医学部を受けることに。医学部は落ちてしまい、浪人もできない状況だったため薬学部に進みました。そして一度は卒業したものの、やはり医師になりたいという思いが残っていたので受験をし直し、無事医学部に入ることができました。

 

本をたくさん読んでいた影響でもともと人間の考え方に興味があり、在学中は精神科を希望していました。しかし当時の精神科は、脳内の物質などを対象とした科学的なアプローチという要素が強く、自分がやりたい医療とはかけ離れていました。私は人間の哀しさに対して、哲学的な観点からアプローチしたいと思っていたのです。一方で学生時代は、人を全体的に診る漢方学にも興味を持ち勉強していました。そして卒業後は精神科ではなく、富山大学の和漢診療学講座へ進みました。

 

サッカーに打ち込んだ学生時代の佐藤先生(写真右)


医学的な正しさだけで人は救えない――高齢者医療に進んだきっかけ

医師になって3年目、成田赤十字病院で勤務していたときに起きた事件が、私にとって大きな転機となります。

ある日、客室乗務員の女性が肺炎と細菌性髄膜脳炎(さいきんせいずいまくのうえん)で救急搬送されてきました。何とか一命は取り止めたものの、退院時には車椅子を必要とする状態に。しかし私は、命だけは助けられたことに安堵していたのです。しかしその後警察から電話があり、患者さんがご主人を殺害して自殺したとのことでした。そしてその時、先輩が私に言ったのが「1人助けたのに、2人亡くなってしまったね」という言葉でした。

 

その言葉は私の心に重くのしかかりました。医学的に正しいことをして救ったつもりでいても、結果的には誰も救えなかった――。その時から医学への嫌悪感が芽生え始め、医学の世界から離れるようになってしまいました。

 

一方で、人間の思考をさらに深く知りたいという思いが強くなり、宗教学を学んでいた時期があります。私自身は無宗教ですが、いろいろな宗教の考え方を知る中で、人間とはどのようなもので何を考えて生きているのかなど、人間観について深く考えるようになりました。人間らしさというものは人生の最終段階でこそ現れてくるものだと感じ、その頃から終末期医療に携わりたいと思い始めたのです。ならば高齢者医療の道へ進むべきだろうと思い、今の私があります。

 

イメージ:PIXTA


人生に影響を与えてくれた3人の先生

これまで多くの人に助けられながらここまで来ましたが、特に大きな影響を与えてくれた先生が3人います。

 

1人目は、臨床倫理学を専門とされている清水 哲郎(しみず てつろう)先生です。清水先生と出会った2000年頃、私は胃瘻(いろう)*を作ることに対して一般的な考えとは異なる意見をもっていました。食事ができなくなった患者さんに対して胃瘻を作るのが当たり前だった時代に「胃瘻の造設は本人や家族と相談して決めるべきで、作らずに看取る選択肢もある」と考えていたのです。周囲からは非難の声を浴びせられ「本当に医者なのか」と言われることもありました。人生の最終段階における医療において、どのように意思決定していくのがよいのかを思い悩み、清水先生の下で長きにわたり臨床倫理学を学ばせてもらいました。

 

2人目は哲学者の森岡 正博(もりおか まさひろ)先生です。森岡先生は「自分を棚上げしない」ことをポリシーとされています。つまり、何かを考えたり問題に向き合ったりするときに「自分ならばどうか」という視点を常に持っているのです。その考えに強く共感し、よくお話しをさせていただいています。

 

3人目は、民俗学を専門としている新谷 尚紀(しんたに たかのり)先生です。一般的な民衆がどのように人の死を見送ってきたかを研究されていて、死と向き合う立場として多くのことを学ばせていただきました。新谷先生からは「時代はそのときに必要な人を生む。佐藤先生のような先生がいるのも、終末期医療のあり方が変わりゆく今の時代が呼び込んだからだと思うよ」というお言葉をいただいたことがあります。

身に余る言葉だと感じながらも、とても腑に落ちる感覚がありました。確かに私1人がただ頑張っただけでは、それが時代にそぐわなければ意味がありません。自分のやりたいことと時代のニーズがマッチして、ものがたりの街のような場所を作ることができたのだと思っています。

 

*胃瘻:口から食事ができなくなった患者さんに対して、胃に栄養を直接注入するための経路を作る方法。


人々の生きた証をこの世に残したい

最期を迎える患者さんやご家族に「色々あったけど、そう悪くない人生だった」と思ってもらえる瞬間は、今の仕事をしていてよかったなと感じます。全員が全員、幸せな死を迎えられるわけではありません。複雑な思いを抱えたまま亡くなり、ご家族がそれを受け止めながら自分の人生を歩んでいきます。患者さんの思いや生き様は残された人の心に残り、次の世代へと受け継がれていくのです。

自分が生きた証をこの世に残そうと最期まで一生懸命生きている人々を見ていると、本当に素晴らしいなと感じます。これからもたくさんの人々の生きた証を残していきたいです。


今後の展望

人の死を生活に戻すために、地域に対して開放的な場所「ものがたりの街」をオープンしましたが、今後はこうした取り組みを、砺波以外の各地域にも広めていければと考えています。現在は秋田県由利本荘市、北海道当別町、鹿児島県伊仙町、沖縄県宮古島市など、私の活動に共感してくれた友人たちが同様の取り組みを行っています。また、終末期の方や障害を持った方の旅をサポートする「ものがたりの旅」という旅行会社や、宮古島にはものがたりの畑もあります。

また、海外に住んでいる在留邦人の方々を支える仕組みも作りたいです。認知症になると第二言語から忘れていくといわれており、英語が堪能でも話せなくなってしまう方は多くいらっしゃいます。住んでいる場所の言葉が分からなくなり、母国である日本で最期を迎えたいと思ったとき、自然が多く安らげる場所にそうした方を受け入れる場所を作れたらなと思っています。

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