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グリーフケア実践のポイント――医療者はどうグリーフに向き合うか

上智大学大学院実践宗教学研究科死生学専攻 教授 伊藤高章先生

自分にとって大切な人・もの・事柄を失うことで起こるさまざまな感情を「グリーフ」といいます。必ずしもグリーフの全てを取り去る必要はありませんが、自らの経験や思いを誰かに語り、言語化し整理する「グリーフケア」のプロセスはとても重要です。近年、高齢化の進行や要介護率の上昇に伴い、その必要性が高まっています。その社会的背景と経緯を、上智大学グリーフケア研究所の伊藤高章先生(上智大学大学院実践宗教学研究科死生学専攻教授)に伺いました。


グリーフのプロセスは人によって千差万別

大切な存在を失ったときに心身や社会性にどのような影響があるのか、その過程は人によって異なります。以前は「キューブラー・ロスの死の受容」(死期を目前に控えた人は一般的に否認、怒り、取引、抑うつ、受容という5段階の感情を経験するという考え方)をグリーフケアに活用していたこともありますが、現在はあまり使われていません。一般的なプロセスを前提とするグリーフケアではなく、非常に個別的な一人ひとりの心の動きに焦点を合わせるケアが重要視されるようになってきました。


グリーフケアの実践――「話せる存在」になる

グリーフケアにおいてまず大切なのは、相手に「この人になら話せる」と思ってもらうことです。これが最初の入り口です。次に、裁かない・排除しないこと。たとえば「実は、あの人がいなくなってほっとしている」と話す人がいたとします。そこで聴き手が自分の価値観に照らし合わせて「そんなことを言ってはだめですよ」と否定しないように注意してください。自分の価値観と異なる考え方であっても「どうしてそう思うのですか」と本人の思いに寄り添い、フラットに話を聴く姿勢が必要です。

そのほかに、自分らしく話を聴く「個性的な傾聴」もポイントです。相手に気に入られようとしたり、過度に気を遣ったりする必要はありません。語り手の思いを聴き手が深く味わわないままでの表面的な慰めは、かえって語り手を苦しめます。自分らしく、じっくりと話を聴いてみてください。もし「どうしてそう思うのだろう」という疑問が湧いたら、素直に質問するのがよいと思います。

まずは話せる存在になって、話を聴くときには裁かず・排除せず。そして自分らしいスタイルで相手と向き合うことが、グリーフケアで重要なポイントです。

 

写真:PIXTA


「テクニック」に頼らない傾聴の姿勢

グリーフケア研究所のケア人材育成講座では、2年かけて傾聴の教育をします。初回の授業で私は受講生に「ここでは傾聴のテクニックは一切教えません」と伝えます。ケア人材に必要なことは小手先の技術よりも、「ケアされるとはどういうことか」をしっかりと理解することです。

授業では7〜8人のグループを作り、順番に自分自身の感性や気持ちが込められた話をしてもらいます。1人のワークの時間は40~50分。語りの経験をとおして、どんな聴き方をされると話しやすいのか、話しにくいのかを実感しながら学びます。たとえば、大切な方を亡くしたという話したとき、ご主人・お子さんを亡くすことはつらいですね、と「普通は」「大抵は」「皆さん」という知識に基づく一般論ではなく、聴き手が心を揺らしながら語りを聴いてくれ、語り手をちゃんと知りたいという気持ちで深く聴いてもらう経験が、何よりの学びになります。


「中動態」――心が癒えるプロセスを支える

最近、福祉・ケアの分野では、「中動態」という考え方が大切にされるようになっています。中動態とは、〜するという「能動態」と、〜されるという「受動態」と異なり、誰が誰にはたらきかけたかではなく、さまざまな関わりの中で事柄が立ち現れることを大切にする物事の理解の仕方です。

たとえばグリーフケアでいうと「癒やす」は能動的で「癒やされる」は受動的ですが、悲嘆と共にある方の中に不思議と訪れる「癒える」という中動的な状態があります。ケアは外部からのはたらきかけだけでケアは完結しません。ご本人が癒えるプロセスをいかに見極めるかという点が大事なのです。癒えていくプロセスをいかに支えるかが、グリーフケアを実践する者にとって必要な視点だと考えています。


医療者の視点――グリーフにどう向き合うか

医療の現場は常に生死と隣り合わせです。少し前まで、看護教育の中で「泣いてはいけない=感情を動かしてはいけない」ということがいわれていたようです。もしかしたら今でもその教えを守っている医療者の方がいるかもしれません。

しかし私たちが考えているのは、医療者も人間であり感情は動くということ。人として患者さんに心を込めて向き合っている場合は特に、感情の動きが大きくなって当然だということです。たとえば自分の父親と同じ病気で終末期を迎えておられる患者さんのケアへの思いが特別なものになることは理解できます。

医療の提供やケアではもちろんどんな患者さんにも平等、が基本ですが、医療者自身にとって意味のある患者さんとの触れ合いの意味を自覚し、訓練を受けた聴き手に語ることは、医療者へのグリーフケアとして重要だと思います。

今後の形として、たとえばデスカンファレンスの時間にテクニカルな問題を振り返るだけでなく患者さんへの一人ひとりの思いや意味を共有するなどして、医療者のグリーフケアが日常的にできるようになるとよいと考えます。そうすることで、感情に蓋をしたまま耐えきれなくなってバーンアウトしてしまう医療者を減らすことも可能だと思います。


医療者に必要な「ナラティブ・コンピテンシー」とは

私たちが行っている医療者向けのトレーニングでは、医療者が患者さんの語りを聴くための「ナラティブ・コンピテンシー=物語の能力」を高める教育を行っています。患者さんが語ることを深く理解し、寄り添う力をつけることが重視されています。ナラティブ・コンピテンシーを高めるためには自分自身の感情にも敏感でなければなりません。自分の中に湧き上がる喜怒哀楽をキャッチできる感性が必要ということです。

どうしたら感性を豊かにできるのか。それには、よい小説を読み、よい映画を観て、美術館やコンサートに出かけ、感情を動かすことです。すると、患者さんの心の機微を感じられるようになるはずです。

 

写真:PIXTA


当事者同士で語り合うことはグリーフケアになり得るか

同じような経験をした人々が集まり支え合う自助グループや当事者の会、というものがあります。このような活動において意識していただきたい大切なことがあります。それは、「その人の経験はその人だけのもの」という前提を忘れないことです。

当事者同士が集まって話をするとき、語り手や聴き手は互いに共通点や似たような経験を無意識に探します。それは相手に親近感を持とうとするゆえの思考回路ですが、少し注意が必要です。なぜなら「私も」という聴き手の姿勢は、語り手の世界を侵してしまう可能性があるからです。一方、語り手は自身のグリーフを理解してもらおうと周囲との共通点を探して話すことがありますが、無理に共通点を探す必要はありません。たとえ条件が同じでも人それぞれ感じることは違います。どんなに共通点があっても、一人ひとりの経験はその人だけのものです。

ですから「この人は自分と似たような経験をしているけれど、その味わいは私と同じではない」という前提を忘れずに、自らの経験を語り、そして誰かの経験を聴いてみてください。この前提を忘れてしまうと、当事者のグループは徐々に細分化していきます。たとえば家族を亡くした当事者同士なら、それが親なのか、子どもなのか、配偶者なのか。さらには子どもなら何歳頃だったのか、配偶者なら夫か妻か、というふうにどんどん細分化してしまいます。

経験の共通点が重要なのではありません。一人ひとりの経験の独自性を忘れなければ、語り手の世界を侵さずにその方のグリーフに寄り添うことができるはずです。共感とは、相手と自分の思いの微妙な差異を大切に味わうことです。

次の記事では、グリーフが必要とされている社会的背景についてお話しします。

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