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“オープンダイアローグ”によるこころの支援――水平な立場で開かれた対話を

ゆうりんクリニック 医師/特定非営利活動法人TENOHASI 理事 森川 すいめいさん

日本では、精神疾患を抱える患者さんの人数は多く、世界的にみると長期入院になる人も非常に多くいます。精神医療におけるさまざまな課題に対して“対話”しながらその答えを見つけていこうとする考え方の1つに“オープンダイアローグ”というものがあります。ゆうりんクリニックで医師を務める森川(もりかわ) すいめいさんは、医師として初めてトレーナー資格を取得した方のうちの1人で、日本でオープンダイアローグを実践しています。フィンランドで生まれたオープンダイアローグの成り立ちや、オープンダイアローグとの出合い、日本でオープンダイアローグが発展するために必要な考え方などについてお話を伺いました。

(写真:百代)


フィンランドで生まれたオープンダイアローグ(開かれた対話)

かつての精神医療では、精神の問題を抱えている本人を隔離することで問題が解決するとしていました。しかし、1950~1970年代に精神医療は世界的によりよい方向へ変化しはじめます。

その頃フィンランドでは精神の病は本人にだけ付随するのではなく、その人をとりまく人間関係に関連するのではないかという考え方が注目されます。たとえば「家族の中で力の強い人が弱い人の言葉を奪っているのではないか。病を抱える本人を隔離しても解決にはつながらない。問題に関係する人たち全員で話をしていこう」という動きが生まれます。

 

オープンダイアローグの発祥の地であるケロプダス病院では、精神の病を抱えている人と家族が話をする中で、さまざまな課題がみえてきました。たとえば、家族の中でもっとも力の弱い人が本当に言いたいことが言えない、医療者が入ると専門的な知識を持つ医療者がどうしても力を持ってしまうなどの課題です。さらにその結果、家族が抱える問題やニーズを医療者の都合で選び取ることができてしまうという課題も明らかになっていきました。

 

こうした気付きから、水平な立場で対等に話し、誰にとっても開かれた対話を行う取り組みの必要性が注目されるようになっていきました。そのために “本人のいない所で本人のことを話さないこと”、“スタッフ側は(力が一人に偏らないよう)少なくとも2人以上が参加すること”の2つを決まりとして大切にしました。こうしてオープンダイアローグが生まれたのです。


“声が届かない”経験を経て出合ったオープンダイアローグ

オープンダイアローグに出合う前、私は本人の声を聞かない医療構造に疑問を持っていました。特に精神科病院の入院中では、医療者の指示どおりに行動できない患者さんは“病識がない人”とみなされ、本人の意思を無視して隔離や拘束が行われる現実を目にしてきました(全ての病院がそうだということではなく、私が見た病院ではそうでした)。

 

研修医時代、隔離が必要と判断された患者さんがパジャマに着替えてくれないという場面がありました。看護師数人が囲み、医師からは拘束指示が出る直前でした。私はその人のことをよく知っていたので「着替えていただかないと場が収まらなくて……」と伝えました。するとその人は「たばこを吸わせてくれたら着替える」と交渉してきました。私は、一緒にたばこを吸いに行きました。そして、部屋に戻るとその人はパジャマに着替えてくださいました。

本人の意思ではないのに入院、隔離が進められ、着たくないものを強要されているという状況の中で、考え得る最大限の抵抗だったのだなと思います。しかし、私の行動は病院として間違ったものとみなされ、そういうことが積み重なったある日、上司たちに呼び出されることになります。会議に行くと、私の話を聞いてくれるかのようにも見えましたが、どうやら私の処遇は事前に話し合われた様子でした。病院で力のない私の話も、パジャマに着替えてくれた患者さんの話も、聞かれることはありませんでした。

 

オープンダイアローグの存在を知ったのは、この後のことです。オープンダイアローグ発祥の地であるフィンランドでは、精神病状を持つ患者さんの約8割が回復し、学校や職場に復帰していると聞き、衝撃を受けました。私はすぐにフィンランドへと向かい、オープンダイアローグを学び始めました。


フィンランドで感じたこと、知ったこと

早速フィンランドに向かった私は、現地ではきっと魔法のような何かがあるのだと信じていました。しかし、いざ見学をするとそこにあったのは、ただただ立場を水平にして対話を行う活動でした。仕組みを知ろうとして訪れた私は驚きましたが、対話の中には立場を水平にするためのさまざまな工夫があり、何十年もかけて作り上げられた仕組みと工夫だということを知りました。

 

フィンランドのケロプダス病院では、オープンダイアローグの取り組みが行われて最初の10年くらいは失敗続きだったと聞きました。試行錯誤を重ね、隔離や拘束をしない代わりに患者さんの家に医療者が寝泊まりするなど、過酷な労働をした時期もあったといいます。こうした経験を重ねながら、いかに本人が安心して安全な環境で話せるかに焦点が当てられ、対話性を高めることに注力していったのだといいます。それにより、今は残業するスタッフはほとんどいない組織構造ができています。

 

そうした背景を経ながら、オープンダイアローグでは対話の初めにはどのような言葉かけをするとよいか、挨拶は何回するか、などの細かな経験が積み重なっていきました。オープンダイアローグは日々変化を続けています。オープンダイアローグが生まれたケロプダス病院では、入院を必要とする患者さんが減少しました。これにより精神科病床に空きができ現在は総合病院と合併しています。


日本での発展には“声を聞くこと”から

フィンランドでオープンダイアローグが発展した重要な要素は、“本人たちの声から始めたこと”でしょう。どのような助けが必要か、その答えをもとに組み立てられた施策だからこそ、需要に合い予算の使い方も合理的です。

 

日本では机上に上ってきた情報に基づいて、机上で作られた制度を現場に下ろしていく仕組みとなっているため、声を出せない本当に助けが必要な人に支援が届かないことが多くあると思います。日本でも“本人たちの声から始める”ことを、時間をかけて実践することで、支援が届くようになると思います。特に精神医療の現場では、診察は短時間で済ませ、苦しみを薬だけで解決しようとする構造が存在します。構造というのはそうしないと病院経営が成り立たないということです。薬ではなく“対話”で抱える課題の解消を助け、回復に向かうことができれば、受診の頻度は減り、医療費削減にもつながるのだと思います。


オープンダイアローグの実践に関心がある人へ

私にとってオープンダイアローグは、誰にとっても開かれた対話の場を作る“活動”です。対話の場において、参加者全員の位置と役割をいかに水平にするか、私がどのような言葉を場に置いたら皆は話したいこと話せるだろうか、と考えを巡らせています。オープンダイアローグにはまったくといっていいほど同じケースというものは存在しません。対話の中で話したいことを話し合ってお互いの誤解が解けたり、安心で安全な環境の中で日々が過ごせるようになったりする場面に立ち会うことができると、毎回胸がいっぱいになります。

 

一人ひとりの人生には、それぞれのタイミングでさまざまな困難がやってくると思います。オープンダイアローグ、開かれた対話の場は、“今この瞬間のつらさ”を話したり聴いたりすることのできる拠り所になるでしょう。開かれた対話の場を皆で作っていきましょう。

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