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アメリカと日本の理学療法士の違い――資格取得までの道のり、仕事内容など

島の病院おおたに 副院長 大谷ひろみ先生

医療法人社団 大谷会 島の病院おおたに(以下、島の病院おおたに)は、広島県江田島エリアを守る病院のひとつとして、近隣のみならず市外の人々にも幅広く医療を提供しています。同院の副院長を務める大谷(おおたに) ひろみ先生は、高校卒業と同時に渡米し、アメリカで理学療法士の免許*を取得して長年にわたり活躍されていました。本記事では、大谷先生のアメリカでのご経験やアメリカと日本の理学療法士の違いについて、お話を伺います。

*アメリカでの理学療法教育について:国内で大まかな教育制度は共通ですが、州ごとに教育システムと資格制度が異なります。本記事は、ニューヨーク州にて理学療法士免許を取得し勤務されていた大谷 ひろみ先生のご経験に基づき、作成しています。


アメリカで理学療法士の免許を取得するまでの道のり

高校3年生の頃、海外で仕事をしたいという夢を抱き、理学療法士(以下、PT)の資格を目指すと決意したことが私のキャリアのスタートでした。なぜ理学療法士だったのかというと、 “自分の中にある力を引き出す”という部分に魅力を感じたから。たとえば外科医は手術を通じて、薬剤師は薬を通じて、というように患者さんを治す過程にはあらゆる方法がありますが、中でも理学療法士には患者さんの持ちうる機能や能力を回復・維持する役目があり、私はそれを担いたいと思ったのです。振り返れば、日本にいた頃、リハビリテーションに力を入れていた父に連れられて体に麻痺のある方と一緒に雪山へスキーに行った思い出がありました。そのような出会いの中で、リハビリで回復していく人の姿を見たときの驚きや喜びが心の奥深くに残っていたのかもしれません。

 

夢を叶えるべくアメリカでPTの勉強をすると決めたものの、実はとても難しい挑戦でした。というのも、アメリカでは一般大学を出てから大学院で理学療法士になるための教育を受ける必要があり、実際に臨床現場で働くまでに長い道のりが待ち受けているのです。

 

高校を卒業後、海外進学プログラムを利用して最初に入学したのが、ワシントン州のコミュニティ・カレッジ(2年制の大学)です。最初の1年間は英語を集中的に学び、それから普通クラスで授業を受けました。GPA(Grade Point Average)と呼ばれる成績評価値が大学院入学まで影響すると聞き、よい成績を取るために必死に勉強しました。

 

その後、カリフォルニア州のサンフランシスコ州立大学へ。ここで苦労したのが、州をまたぐと無効になってしまう単位があったこと。それにより取り直さなければいけない単位があり、さらに、ESL(English as a Second Language:英語を母語としない生徒用の英語学習プログラム)のクラスをカリフォルニア州であらためて受講する必要が出てきたのです。クラスの登録は順番制で、新しく来た私に番が回ってくる頃には希望のクラスが埋まっていることもありました。ワシントン州での時間が無駄になったような気がして、涙が出そうだったのを覚えています。そのときは同じような道を行く先輩を知らなかったので、結局自分で道を見つけて遠回りでも歩いてゆくしかありませんでした。

 

写真:Pixta

 

サンフランシスコ州立大学では、運動学を専攻。専攻科目に加えて、理学療法士になるための大学院入学に求められる必須科目を受講し、空いた時間で理学療法に関わるボランティアをしました。とても大変な日々でしたが、なんとか必要な条件を満たし、ニューヨーク大学大学院への進学が決まりました。なぜまた州をまたいだのかというと、ニューヨーク大学大学院でのカリキュラムに興味を持ったのと、多様性に寛容なニューヨーク州は将来仕事したり居住したりするのに向いていると思ったからです。

 

大学院では3年間、相当の単位を取り、実習をこなして、ようやくPTの試験を受けることができました*。試験に合格すれば晴れてPTの免許を取得することができますが、私にとっては本当に長い道のりでした。

*国家試験を受けるにはCAPTE が認定した学校でPTの学位を取得しないといけません。2020年現在、アメリカ全50州においてこれから理学療法教育を受ける場合、DPT(Doctor of Physical Therapy)という博士レベルの教育水準しかありません。

 


アメリカと日本の理学療法士の違いとは?

資格を取得するまでの過程

日本でPTの資格を得るためには、国家試験に合格する必要があります。国家試験の受験資格としては、大学入学資格を有し、文部科学大臣が指定した学校または都道府県知事が指定した理学療法士養成施設において、3年以上理学療法士として必要な知識および技能を修得したものとされています。つまり専門学校、短期大学、4年制大学のいずれでも受験資格が得られるのです。

一方、アメリカでPT資格を取得するためには、CAPTE(accredited physical therapist education program:理学療法教育認定委員会)が認定した理学療法士養成学校でPTの学位を取得し、州免許試験を合格しないといけません。2020年現在、全てのPTの学校は大学院で博士レベルのDTP(Doctor of Physical Therapy)しか取得できません。大学院に入るために必要な必須科目は大学によって異なります。私は12校受験するために各校が指定する必須科目を取り、かなりの時間を要しました。GRE(Graduate Record Examinations)という大学院進学に必要な共通試験も必須で、その成績も影響しますし、学校によってはボランティアの経験(たとえば200時間以上いくつかの施設にてボランティア活動を行うことなどと指定される)も必須要件でした。

 

私が通っていた大学院では、夏休み期間を含む3年間のプログラムでした。単位数もかなり多く、研修は短期と長期が計4回ほど組み込まれていました。大学院を卒業するために必要な単位や成績も厳しく、ただ授業に出席していれば卒業できるわけではありませんでした。自分は卒業できるのか、乗り越えていけるのか自信をなくすときも多々ありました。また、卒業後の国家試験自体もかなり長時間で難しく、大変だった記憶があります。

 

大学院の卒業式にて

 

理学療法士の診療範囲、社会的地位

2015年には、アメリカ全50州で理学療法士が医師を介さずに独自に診断や治療ができる“Direct Access”という権利が認められました(ただし権限の条件が州によって異なります)。ですから、理学療法士として鑑別診断や、診療範囲を超えているかの判断が重要になってくるので、それらの教育はたくさん受けてきました。また、アメリカでは理学療法士がクリニックを持つことができます。ですから大学院ではビジネスに関する授業や開業理学療法士の見学などがカリキュラムに組み込まれていました。このような傾向は、日本とアメリカの理学療法士の大きな違いかもしれません。

 

なお、PTの業務範囲は州ごとに異なります。たとえば私が働いていた当時、ニューヨーク州ではPTがドライ・ニードリング(dry needling:細い鍼を用いて疼痛と運動障害のマネジメントを行う方法)や画像検査のオーダーを行うことはできませんでしたが、州によっては認められているところもありました。

 


大谷 ひろみ先生が歩んだ理学療法士としてのキャリア

理学療法士免許を取得後、Hospital for Joint Disesases(現 NYU Langone Orthopedic Hospital)に勤務しました。そこは主に整形外科疾患と脳疾患を扱う急性期病院で、学生時代に8週間の実習研修を実施した病院でした。その際に指導してくださった先輩方が魅力的で入職を希望しました。オランダ、ポーランド、コロンビア、フィリピンなど、さまざまな国の出身者がいる多様性の高さも決め手のひとつでした。

 

Hospital for Joint Disesases勤務時代、同僚の理学療法士たちと

 

その病院では5年ほどローテーションをして、計10年間ほど勤務しました。さまざまな部署を経験するなかで、外来の仕事、特に手術後のリハビリやスポーツ疾患を持った患者さんのリハビリに大きな魅力を感じるようになりました。

 

その後、新しく整形外科中心施設(NYU Langone Orthopedic Center)と外来クリニックの開設が決まり、そこへの異動とプロモーションを希望して、帰国までの5年間を過ごしました。その施設にはSports Performance Centerがあり、そこで理学療法士(クリニカルスペシャリスト)兼Sports Performance staffとして活動しました。なかでも印象的だったのは、ランニングクリニック(現 Running Lab)の立ち上げに関われたことです。ランニングクリニックではさまざまな経験を持ったSports Performance staffがコラボレーションをしてランナーを分析し、けがの予防、パフォーマンスの向上、そして一生走り続けていくためのアドバイスをします。雑誌に取り上げられたり、ランニング医学・リハビリテーションの学会で発表したり、とても楽しくやりがいがありました。

 

ランニングクリニック立ち上げ後、PTアワードを受賞した際の写真

 

2016年、ランニングクリニックのメンバーと

 

また、2018年に日本へ帰国するまでの2〜3年は、マネジメントやスタッフ教育に携わり、講演会の演者を務めるなど、幅広い業務を行っていました。日本に帰国後はPTとしての業務ではなく、副院長として病院の経営に携わり、リハビリ部門の総括者としての仕事に専念しています。

*大谷ひろみ先生の現在の取り組みについては記事2をご覧ください。


アメリカでの経験を振り返って

チャレンジし、達成することの喜び

私は、チャレンジすることが大好きです。苦手なことはもちろんありますが、一度「やります」と言ってしまえば実行するしかありませんよね。だから気づくと手を挙げています。挑戦することで自分が成長できると心のどこかで分かっているからかもしれません。

振り返れば、アメリカで理学療法士として働くこと自体がものすごいチャレンジでした。そのぶん多くのことを学ぶことができましたし、何にも代えがたい経験をさせてもらいました。一つひとつのチャレンジをやり遂げたときの達成感が、今日までの私を支えているように思えます。

 

患者さんがよくなっていくのを実感できることが、大きなやりがいになる

アメリカでは、主に整形外科疾患の患者さんを診ていて、日々よくなっていくのを実感できることは、理学療法士としての大きなやりがいでした。患者さんから感謝の言葉や、「つらかったけど、ひろみのおかげですごくよくなった」という手紙をいただいたときには、本当に嬉しかったです。

また、患者さんを一緒に担当した医師から「あの方はここまでよくなったよ」と数値で示して褒めていただいたり、次の患者さんも担当してほしいと指名されたり、そのような形で嬉しいフィードバックをもらうこともありました。自分の仕事が認められたことを実感できましたね。アメリカでの経験は、全て今につながっています。

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