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いつまでもあなたらしく――“本人の意思”に寄り添い続ける城東病院・院長 佐藤 仁美さんの思い

城東病院 院長 佐藤 仁美さん

医療・介護の現場では、“本人の意思”に基づいて支援が決定されるのが大前提です。しかし、必ずしも全員がはっきりと意思疎通できる状態とは限らず、家族の意向が優先されることも多いのが実情です。そのようななか、山梨県甲府市にある城東病院は“いつまでもあなたらしくいられるために”という理念を掲げ、40年以上にわたって地域の高齢者と向き合ってきました。今回は、城東病院の院長である佐藤 仁美(さとう ひとみ)さんにこれまでの歩みややりがい、同院で重視している“その人らしさ”についての考え方などのお話を伺いました。


一人ひとりの患者さんが育ててくれた“医師である自分”

医師になったきっかけは、今でもよく分からないなというのが正直なところです。身内に医師は1人もいませんでしたし、もともと山梨県には医学部のある大学がありませんでした。ところが、1県に1医大を創設する国の方針が掲げられ、私が中学に入学した頃、山梨県にも医科大学が開設されたのです。地元にいても医師になれると当時は大きな話題になり、「せっかくなら私もそのコースに進んでみようかな」と思ったのが最初です。医師を目指すにあたって何か特別な動機があったわけではないのですが、もともと人の話を聞いたり、コミュニケーションを取ったりすることは好きでしたし、なんとなく“自分に合うかも”とは感じていました。

それから歩みを進めるなかで、さまざまな患者さんと接してきました。高齢の人や寝たきりの人も多くいました。一人ひとりと丁寧に向き合うことで、一見困難と思われた患者さんも元気になっていく。この喜びを本人・周りの人々・一緒に働くスタッフと共有できたことが、医師としての自覚を芽生えさせてくれたのだと思います。高齢の人は複数の病気を患っていることも多く、全体を診なくてはなりません。多面的な関わり方をあれこれやってみたり生活にも入り込んだり……その積み重ねで今に至っています。自ら医師になったというよりも、関わった全ての患者さんに医師にしていただいたという感覚が近いですかね。


生活を共有し、共に歩めることこそが慢性期医療のやりがい

慢性期医療では患者さんと長いお付き合いになることもしばしばあり、“一緒に生きている”と感じられることが私のやりがいです。診察の際は医学的な所見などをカルテに入力しますが、それと同時に私はその患者さんとのやりとりも記録するようにしています。「○○へ出かけた」「久しぶりに孫の顔を見られた」など、患者さんがしてくださったお話の記録が私のカルテにはたくさん残っています。お話するなかで一緒に大笑いするようなこともありますし、反対につらいことに共感することもあり、喜怒哀楽を分かち合えることは慢性期医療ならではの魅力だと感じます。やりとりの中から、患者さんの望みや人生観などがみえてくることもあり、一緒に人生を歩ませていただいている気持ちで日々診療を行っています。

また、患者さんの最期や、その瞬間のご家族の温かな表情に寄り添えることも慢性期医療ならではだと感じます。大切な人が亡くなることは誰しも悲しいことです。ただ、医師として最期の瞬間に立ち合い、時刻を告げた後ご家族は涙を流しながらも微笑み、「お父さん、いい顔してるね」「今ごろ何を思ってるかな」など温かな表情を浮かべられるのです。ご家族と一緒に思い出話をすることもあり、大変尊い経験をさせていただいていると感じます。ご本人とご家族が過ごされてきた期間に比べれば私たちが関わった時間はわずかなものですが、笑顔でお見送りができるようにすることは私たちの役割であり、今後もご本人の尊厳や生活も全て含めて支え続けていきたいと思っています。


できうる限り最期までその人の“意思”を導き出すのが私たちの使命

ケアをする中で当院が何よりも大切にしているのが、理念にもある“その人らしさ”です。介護では“本人を中心としたケア”が理想とされますが、実際はそう簡単ではありません。初めてお会いしたときにすでに意思疎通が難しい人もいれば、ご家族を思いやる気持ちなどから本音が言えない人も多くいらっしゃいます。これまでも当院ではアドバンス・ケア・プランニング(ACP)を大切に考える風土はできていました。ACPとは、将来の医療およびケアについて、本人を主体に、そのご家族や近しい人、医療・ケアチームが、繰り返し話し合いを行い、本人による意思決定を支援する取り組みのことです。しかし“ご本人の本当の気持ち”を汲み取る難しさから、医療者がついご家族の意向をご本人の意向として捉えてしまうことが多くありました。これはケアの在り方として正しい形ではない――そう考えた私たちはACPの本来の意味を考え直すことにしました。

たとえ健康な人と同じように意思疎通ができない人であったとしても、生きている限り意思は持っていて、どこかで必ず意思表示をしているはずです。たとえば、ケアの中で入所者さんが手を出すことがあった場合、これは単なる介護拒否ではなく、「嫌だ」という立派な意思表示ではないでしょうか。「私たちはこれらの“意思”を見逃していたのかもしれない」と考え、あらためてSOAP*の“S”(subjective data:主観的情報)を積極的に記録することにしました。この取り組みを始めてから、カルテには「今日は声をかけたら笑顔を返してくれた」「今日は苦しそうな表情をしていた」など患者さんの日常の様子がこれまで以上に記録されるようになりました。これらをもとに「こう思っているのでは?」などとご本人の気持ちやご希望を想像してみたり、ご家族の思いを含めて全員で話し合ったりすることで、可能な限りご本人の意思を導き出すよう努めています。

 

*SOAP……医療介護の記録方式の1つ。「S(subjective data):主観的情報」「O(objective data): 客観的情報」「A(assessment): 評価」「P(plan): 計画」の4つの項目に沿って記載し、患者さんの抱える問題点やよりよい治療・ケアのプロセスが明確になる。


その人らしさを失わずにいつまでも元気に過ごせる場所でありたい

近年では、根拠に基づいたケアが期待されています。いずれ“こういう人にはこういうケアをすれば回復が期待できる”というガイドラインのようなものもできるかもしれませんが、今はまだデータの蓄積段階です。まずは現在あるデータを参考にしながら質の高いケアに取り組み続け、“その人の思い”をかなえるために皆で考えながらよりよい道を見いだせるような組織にすることが私の理想です。私自身は「医師として・院長として」というよりも、組織の一員としてそれぞれ専門性を持つ職員たちがより能力を発揮できるよう調整する“コーディネーター”のような存在でいられればと考えています。

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