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「患者さんとご家族、そして地域のために」瓜田純久先生のあゆみ

東邦大学医療センター大森病院 院長 瓜田純久先生

東邦大学医療センター大森病院 院長、同 総合診療・急病センター(内科)センター長を務める瓜田純久先生。瓜田先生は、ご尊父の意志を継ぎ1992年より地元青森で瓜田医院を経営されていましたが、2005年には東邦大学へ戻り、現在は、臨床・研究・教育すべてに力を注いでおられます。


瓜田純久先生のこれまでのあゆみ

  • 父の背中をみて育ち、いつか自分も「家庭医」になろうと思った

私の父は、青森県の弘前大学を卒業し、20代後半で北津軽郡鶴田町に小さな診療所を開きました。当時、父は24時間365日、雨の日も雪の日も、呼ばれればいつでも往診に出かけていきました。

 

そんな父の背中を幼い頃からみていましたから、いつの頃からか「自分も将来は医者になるのだ」と漠然と思い描くようになりました。そのとき思い描いていた医師像は、父のような家庭医、いわゆる総合診療医のようなものです。患者さんとそのご家族、さらに地域のことを広く支える存在になりたいと考えていました。

 

  • 消化器内科の道へ。父の逝去を機に、地元青森へ戻る

診療科を選ぶとき、初めは血液内科、循環器内科、小児科などにも興味がありました。しかし、いつもお昼ごはんをご馳走してくれる先輩がたまたま消化器内科で、話を聞いているうちに興味が湧き、最終的に消化器内科を選びました。

 

関東労災病院の消化器内科から大学に戻って4年が経つという頃、父が他界しました。心筋梗塞で、県議会議員の選挙応援中に突然倒れ、そのまま目を覚まさなかったそうです。

私は長男でしたから、青森に戻ることにしました。そして父の意志を継ぐようにして、33歳で「瓜田医院」を開設しました。


 

  • 地域に家族をさらして診療を行う、家庭医としてのあり方

もともと父のような家庭医になりたいと思っていましたから、瓜田医院を開設して、その思いを体現できたような気がします。

 

家庭医というものは、地域に自分の家族をさらして診療をしています。子どもたちは地域のなかで「瓜田さん家の子ども」であり、我が子の同級生にとって私は「瓜田のお父ちゃん」なのです。このように、家族とともに地域に根を張って診療をすることは、診療内容のみならず、社会的な責任を背負って生活することであり、二重三重のプレッシャーがありました。

 

当時、ありがたいことに在宅診療を含めて1日200人くらいの患者さんをみていました。この頃に、「家庭医とは何か」という問いに対する答えをみつけられた気がしますし、今の私の礎にもなっていると思います。

 

  • 瓜田医院の開設から14年目、東邦大学に戻る

瓜田医院で忙しく働くうちに14年間が経ちました。その頃、病院開業のために受けた融資の返済が終わったのですが、ちょうど同じタイミングで、東邦大学から「総合診療科ができたので、戻ってこないか」というお話をいただきました。

 

ずっと地元で地域医療に貢献したい、という気持ちはありましたし、収入は大きく減ってしまうことがわかっていました。あのまま地元に残っていれば、ある意味で安定した生活が待っていたかもしれません。それでも、47歳、これがラストチャンスかもしれないと思い、心機一転、新たな世界に挑戦することにしました。

 

東邦大学の救急医学講座に、助教として戻りました。初めの頃は4畳半一間、単身赴任でしたが、しばらくして家族もこちらに移ってきました。戻ってから4年間で、助教から講師、准教授、教授と、たいへんスムーズにキャリアアップさせていただいたことに感謝しています。

 

実をいうと、戻った当初は、平気で救急車の受け入れを断るのを目の当たりにして、衝撃を受けたものです。大学病院というのは地域の「最後の砦」たるべき、と考えていたからです。それからはとにかく、救急患者さんを断らない病院を目指して、奮闘しました。その甲斐もあり、現在は積極的に救急車を受け入れる体制が整っています。

 

  • 臨床、研究、教育すべてに携わる日々

現在、外来で患者さんをみながら、研究も行い、日本の医療に少しでも貢献するべく総合診療の面白さを伝える教育にも力を注いでいます。地元の瓜田医院は、開設当時に入ってくれた8名をはじめとして、協力的なスタッフに支えられ、今も地域医療に尽力しています。


東邦大学医療センター大森病院 院長としての思い

  • 病院の「自己組織化」を理想に掲げて

科学の用語で「自己組織化」という言葉があります。これは、複数の分子や物質が時間と共に自発的に秩序化していくことを指し、雪の結晶の美しい6角形や、DNAの二重螺旋構造といった、この世のさまざまな現象に寄与しています。

 

私は院長として、病院が「自己組織化」することを理想としています。院長があれこれと細かく指示するのではなく、個々の職員が目の前のことに一生懸命であれば、全体が1つの生命体のように同じ方向へ動いていく、そんな組織でありたいと思うのです。

 

自己組織化には膨大な時間がかかりますが、効率のよい仕事を継続していると、環境のわずかな変化によって相転移が期待でき、自己組織化の時間を短縮することができます。小さな工夫が大きな変化を生み出すことを、職員の皆さんに実感してもらえるように努力したいと思います。

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