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赤字病院を地域に欠かせない病院に――江角悠太先生の挑戦と思い

志摩市民病院 院長 江角悠太先生

国内の病院数のうち10%にあたる公立病院は、民間病院の立地が困難なへき地医療や不採算・特殊部門を担い、地域医療を支えています。中でも中小規模の病院の多くは慢性期的な赤字に陥っている場合も多く、その経営改革は社会的な課題とされてきました。2016年、閉院寸前の状況にあった志摩市民病院。多額の赤字を抱えていた同院長に、当時34歳の若さで就任したのが江角 悠太(えすみ ゆうた)先生です。江角先生が院長に就任してから間もなく、志摩市民病院は地域に必要不可欠な病院へと生まれ変わります。病院が復活を遂げた経緯や当時の思いについて、江角先生にお話を伺います。


「全ての人を幸せにする」 志摩に来た理由

私には、医師として生涯追い続けると心に決めている目標があります。18歳のときに立てた「全ての人を幸せにする」という目標です。それから約20年、これを達成すべくトライ&エラーを繰り返しながら走り続けてきました。

どうすればその目標を実現できるのか、これに対し自分自身で出した答えが「人が助けたがらないようなところに手を差し伸べること」でした。自力で幸せになれない人を助けることで、全体を幸せにする。そして、そのためには誰もが選びたがるような専門領域や地域に行く必要はない。ならば、日本の田舎がよいだろうという結論に達したのです。

また、日本の田舎が直面している少子高齢化・人口減少問題は、今後世界のどの地域でも起こり得る問題です。医療という手段を使って、この問題の解決方法や、住んでいる人全員が生き生きと暮らせる地域を作る方法を見出せれば、都心部で同じ問題が起きたときのモデルケースとなるでしょう。そうした意味では、日本の田舎にこそ「最先端の医療」があると思っていました。

志摩を選んだのは、大学時代を過ごした三重県に強い愛着があったことが理由です。当初から、5年、10年で解決できる問題ではないと思っていたため、2014年に志摩市民病院に来たときには、ここに腰を落ち着けて一生かけて解決策を探そうと決意していました。


医師の一斉退職、スタッフのモチベーション低下…… 院長就任当時の病院の状況

志摩市民病院に赴任した当時、病院の経営状況は悪く、巨額の赤字を抱えている状態でした。スタッフのモチベーションも非常に下がっていたために、患者さんからの評判が悪く、収益も減少する。そしてさらに、スタッフのモチベーションが低くなる……といった悪循環に陥っていたのです。当時の院長は、地域や病院に強い愛着を持っておられた方で、何とか病院を立て直そうと必死で頑張っていました。しかし、最後は「もうコントロールがつかない」と言っていました。看護師は毎年10人ほど退職していき、2015年には私以外の医師が全員退職してしまいます。そして医師として唯一残った私が、院長に就任することになりました。

写真:PIXTA


初年度に結果が出せないと意味がない――「絶対に断らない」を徹底

病院を再建させるために私がやったことは「患者さんを絶対に断らない」――ただそれだけです。それ以外、特別なマネジメントは一切していません。初年度に結果を出せなければ、「任せたけれどやっぱりだめだった」と判断され、閉院や診療所への転換を余儀なくされるような状況でもあり、当時のマネジメントはトップダウン方式でした。

ただし1人で理念を掲げてもうまくはいかず、やるなら全員で覚悟を決めて実行しないと意味がありません。ほかの病院でも患者さんを断らないというスタイルを貫いてきたのですが、合意がない状況では1人で突っ走っても結果的に病院にとって不利益になる可能性があることを学んでいました。そのため院長に就任したとき、スタッフ全員に対して「患者さんを断らずに診つづければ必ず収益が上がる。だからついてきてほしい」と明示しました。

もちろん、決して簡単なことではなく、ボイコット騒動が起こったこともありました。負担が突然増えるのですから当然です。思い返すと当時のマネジメントが強引すぎたことに反省もしています。しかし、病院に愛着があり、何とか立て直したいという気持ちを最後まで持ち続けたスタッフたちが、本当に頑張ってくれました。患者さんを断らずに診つづけたことで病床の稼働率は上がり、必然的に収入も増えていったのです。


学生がスタッフや患者さんにもたらした影響

当時の殺伐とした病院の雰囲気を変えてくれたのは、実習に来ていた学生たちでした。

院長に就任する前年の2015年から医学生の実習は受け入れていましたが、ちょうど退職者が相次いでいる最中で、スタッフのモチベーションも一番低かった時期でした。「なぜこれ以上負担を増やすのだ」と院内中から非難の声が上がっていたため、全て私が1人で受け持つと約束し、医学生を受け入れることにしたのです。

私の実習は厳しいことで知られていたので、集まるのは気概のある学生ばかりでした。毎日深夜までナースステーションで勉強する姿など、学生の頑張りをスタッフが見ているうちに、だんだんと反対していたスタッフの見方が変わってきました。また、スタッフの手が行き届かないところの患者さんのケアを学生がしてくれたため、患者さんにもよい影響を与えました。あのときの学生たちが、病院全体の雰囲気をよい方向に導いてくれたのです。

学生の実習はこれまでに年間100~150人ほどを受け入れており、累計すると700~800人ほどになります(2022年2月時点)。その中には、志摩市の住民や土地に思い入れがあり、毎年この場所を懐かしみに遊びにくる人もいます。そして、志摩市で働くために自分はどんな能力をつければよいかを考えながら研修してくる、いわゆる“志摩市を助ける専門医”のような形で、ここに帰ってくるのです。初年度に受け入れていた学生がようやく医師5年目になり、その中には当院で働きたいと言ってくれている医師もいます。


病院まつりで魔法がかかった

住民からの評価がガラリと変わったのが、初年度に企画した病院まつりでした。住民に信頼してもらうためには、まずはこちらが裸になって全てをさらけ出す必要があるというのが私の考えでした。そのための手段として企画し、どんな人が働いているか、どんな設備があるのかなど、ソフト/ハード面を住民に向けて全て公開することにしたのです。院内では子どもが楽しめるように、縁日を開いたり、りんごやドロップ缶をレントゲンで撮影したり、看護師の格好をさせてあげたり、リハビリテーションの体験をしてもらったりなど、さまざまなイベントを行い、院外では住民も巻き込んで10店舗ほどの売店を出したりしました。

結果、私たちが想像していた以上の住民が集まり、各ブースには大行列ができて、売店で販売していた食事も1時間で売れ切れてしまうほどでした。この大盛況ぶりには住民もスタッフもよい意味で驚き、想定を甘く見積もっていただけに圧倒的に感動しました。そして、その場にいた人たちが、「この病院はまだ必要なんだ」と実感することができたのです。まさに魔法がかかったようでした。

フィナーレのじゃこっぺ総踊り

写真左 江角先生

 

これまで悪い評判しかもらえなかった病院が、たった1日で「この病院はすごいね」と言われるようになる。すると、これまで自己肯定感が下がっていたスタッフたちが、何とか病院を立て直したいと思い始めるようになったのです。中には、病院を立て直すために信頼する知人を招き入れるスタッフもいました。それが結果的に、初年度の人材確保にもなりました。そこから志摩市民病院に来てくれる患者さんはだんだんと増え、地域に必要とされる病院へと復活していきました。

病院まつり実行委員会の皆さん

 

次ページでは、現在の志摩市民病院が抱える課題、今後の展望についてお話しします。

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