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田中志子先生のあゆみ−「不必要な身体拘束をゼロに!」

内田病院 理事長 田中志子先生

医療法人大誠会は、沼田市にある内田病院に加え、訪問看護ステーションやデイサービスを含めた幅広い事業を展開しています。理事長を務める田中志子(たなか ゆきこ)先生は、病院を継いだ当初、人手不足によって患者さんの身体拘束が当たり前のように行われていた状況に、大きなショックを受けたといいます。しかし、苦労しながらも状況改善に努め、今に続く「不必要な身体拘束ゼロ」の礎を築かれました。


田中志子先生はなぜ医師の道を歩んだのか?

高校生のとき、父親から「医師になれ」と猛烈に説得された
内田病院は、父が立ち上げた病院です。私は長女ですが、3人兄弟のなかに跡継ぎの弟がいましたから、小さい頃は特に「医者になれ」ともいわれませんでした。

 

高校生のとき、憧れていた女性の英語教師のようになりたいと思い、文系の大学を探し始めました。しかし、そんな私の様子をみていた父が、突然「医学部に進みなさい。医学部でなければ、一切、経済支援はしない」といい出したのです。

理数系が苦手だったこともあり、最初はかなり抵抗して、いく度か喧嘩もしました。しかし父は「医者に必要なものは理数系の能力ではない。人とのつながりを大切にできるおまえは、医者に向いている。その文系的なよさが活かされるはずだ」と、根気よく私を説得し続けました。

 

父の推察どおり、私は医師という仕事に向いていた
今振り返れば、あのとき、半ば強引にでも父にこの道をすすめてもらって本当によかったと思います。父の推察どおり、私は医師に向いていました。医師という仕事がこれほどまでに楽しく、やりがいがあって、人とのつながりを大切にできるものだとは、当時の私には知る由もありませんでした。

今では、医師として大学で講演や講義をすることもあり、幸運なことに「人に教える仕事」という、かつての夢も叶いました。今は毎日がとても楽しく、不満はひとつもありません。父には心から感謝しています。


田中志子先生のあゆみ−「不必要な身体拘束をゼロに!」

急性期病院に勤めたのち、結婚を機に内田病院へ戻る
医師になってからの4年間は、急性期病院で働きました。その後、結婚を機に医局を離れて、内田病院に戻ることにしました。正直、最初は「実家の病院でアルバイト」とほんの腰掛けのつもりで戻ったのですが、現実は、そう甘くはありませんでした。

 

身体拘束が当たり前の状況に、大きなショックを受けた
医師を含めてスタッフは慢性的に不足しており、入院のフロアは「とりあえず入院させている」ような、とてもひどい状態でした。
人手が足りないので患者さんはベッドに縛られ、しかも急性期病院で使うようなトンボ針(翼状針)だけが、テープ固定1本あるかないかの状態で止まっている−。この信じられない状況に、大きなショックを受けました。

この背景には、移転増床したことや、手術と外来の対応で多忙を極めた父が内科病棟までみる余力がなかったことなどがあると思います。しかし、私には、患者さんが縛られている状況をどうしても受け入れることができませんでした。

 

ひとりで患者さんの拘束を解き続ける毎日
そこで、まず患者さんの身体拘束をとるために、朝晩の回診で病棟をまわり、点滴の固定をして不必要な拘束を解き続けました。最初の頃は、朝の回診で拘束を解いても、次の回診ではもとの状態に戻っていた、ということが頻繁にありました。私ひとりが理想を持って動いても、現場の忙しさがそれを拒むのでしょう。


くじけそうになることは何度もありました。当時、多くの看護師たちには「おはよう」と挨拶しても冷ややかな目でみられて、返事が返ってくることはありませんでした。本当に悔しくて、毎日のように悔し涙を流していたように覚えています。

 

患者さんが変化していくのをみて、熱意が湧いた
しかし、根気よく続けるうちに、意識障害と思われていた患者さんと目があったり、小さく「ありがとう」と口にする方がいたりして、驚きました。そこで、自分がやっていることは、無意味ではないと思えて、やはりがんばろうと再び熱意が湧きました。

数か月、ひとりで患者さんの拘束を解く毎日でした。悔しかったけれど、「信念を持って継続すれば、スタッフにもいつかきっと思いは伝わる」そう思い、患者さんの笑顔や「ありがとう」という言葉に救われながら、根気よく続けました。

 

現場のスタッフにも徐々に理解者があらわれる
半年ほどすると、ひとりの介護のスタッフが密かに私を呼び寄せて、「志子先生のやっていることは正しい、と思う人も増えています。がんばってください」といってくれました。嬉しくて、ふたりで号泣したのを今でも覚えています。

そこから少しずつ賛同してくれるスタッフが増えていき、とうとうその1年後には不必要な身体拘束がなくなりました。それ以来、当院は「身体拘束ゼロ」を維持しています。

 

身体拘束ゼロに。病院は明るい雰囲気に変わった
身体拘束をやめてから、患者さんの笑顔やご家族の面会が増え、病院全体が明るい雰囲気になりました。
身体拘束ゼロを達成したあとは、介護における車椅子拘束もなくそうと思い、病院全体で動き始めました。その頃には自分のなかに成功体験がありましたし、賛同してくれるスタッフも増えていたので、大分進めやすかったです。

そして、チームで取り組む医療の楽しさや、マネジメントの面白さを実感するようになり、どんどん慢性期医療にはまっていきました。


田中志子先生が考える、慢性期医療の魅力

何世代にもわたり患者さんと共に歴史を築ける
当院は、沼田市におけるかかりつけ病院として機能しています。慢性期医療は患者さんやご家族と長い時間を共にするため、きちんとよい医療を提供していると、何世代にもわたって関係が続きます。
たとえば、患者さんのお孫さんが幼稚園から小学校に上がり、予防注射で当院にきたり、息子さんが高血圧の治療に通ってくれたりしたこともあります。このように、患者さんと共に歴史を築くことができるのは、慢性期医療の大きな魅力だと思います。

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