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現場と仕組みづくり、多角的な視点で“医療と社会”に貢献する——坂上祐樹先生のあゆみ

平成医療福祉グループ 医療政策マネジャー 坂上祐樹先生

全国100以上の医療福祉施設を展開する平成医療福祉グループは、“絶対に見捨てない”医療と福祉を目指し、患者さんが急性期の治療を終えて自宅での生活に復帰するための診療、体制、環境づくりに取り組んでいます(2019年11月時点)。同グループは、2019年9月にインドネシアの南ジャカルタに、リハビリを提供する通院型クリニックを開設しました。

海外事業部 部長の坂上祐樹(さかがみゆうき)先生は、離島医療に従事したのちに厚生労働省に入省、2017年より平成医療福祉グループに医療政策マネージャーとして入職し、病院のマネジメントやインドネシアでのクリニック運営にご尽力されています。本記事では、坂上先生にこれまでのあゆみや現在の思いを伺います。


「医師になって離島の人たちに恩返ししたい」と思い、医学部へ

生まれは長崎県です。両親が中学校の教員をしていた関係で、幼少期を五島という離島で過ごしました。五島にはたくさんの自然があり、島民の方々には本当に優しくしてもらいました。そして、五島は私の大好きな場所になったのです。

そのような背景があり、「いつか島に関わる仕事がしたい」と思っていました。そして、高校での進路指導をきっかけに、真剣に将来のことを考えました。いろいろと調べていくうちに、離島は医師不足であることを知り、「医師になって離島で診療をすれば、お世話になった人たちに恩返しできる」と考え、医学部受験を決めました。

 

五島市の眺め 写真:Pixta


ベラルーシで社会に貢献する山下俊一先生の姿を見て、視野が一気に広がった

2000年、長崎大学医学部に進学。大学時代にお世話になった山下俊一(やました しゅんいち)先生(長崎大学 学長特別補佐、福島県立医科大学 副学長)から、大きな影響を受けました。山下先生は、放射線が生物や環境に及ぼす影響の分析など、放射線科学研究の分野で顕著な業績を残された方です。

長崎大学は、1990年からチェルノブイリ笹川医療協力プロジェクトに参画し、医療協力や共同研究を推進しています。私は大学4年の頃、山下先生に同行してウクライナの隣国ベラルーシに赴き、現地での健康診断や人材教育のシステム構築などに携わりました。現地で山下先生が、人を育てたり、システムを整えたりと、さまざまな形で地域に貢献する姿を見て、「医師というのは、患者さんを診るだけが仕事ではないのだ」という衝撃を受けました。そのときに、目の前にいる患者さんはもちろん、社会全体に貢献する医師としてのあり方を知ることで、自分の視点が一気に広がっていくことを実感したのです。ベラルーシでの経験は、私の医師としてのあり方に大きな影響を与えました。


離島医療を経験し、環境や体制の課題に直面したことが厚生労働省へ進むきっかけに

大学在学中、離島医療の実習で、長崎県にあるへき地医療拠点病院のひとつ、五島中央病院に行きました。そこでの活気溢れる現場を見て、医師としての技量をしっかりと鍛えてもらえそうな環境だと思い、卒業後は五島中央病院で研修医として働きました。

当時、研修医は私1人でした。離島で医療をするなら、幅広く対応できる能力や知識が必要だということは知っていたので、私は、「早く手に職をつけたい」というような感覚で、できることには率先して何でも取り組みました。周りの人にも恵まれ、たくさんのことを教えていただきましたね。

 

研修医として働くなかで、さまざまな課題が見えてきました。離島の病院では、マンパワーが不足しているため、脳や心臓の手術をするときにはヘリコプターで本部に運ぶ必要があったり、患者さんを退院させるにしても慢性期の病院や介護施設が少ないので受け皿がなかったりなど、環境や体制の問題が浮き彫りになったのです。

そのとき、“1人の医師としての限界”を感じました。目の前にいる患者さんを診療することはもちろん大切ですが、臨床医にできることは限られている。私の心に、「仕組みやルールを変えなければならない」という使命感がふつふつと湧き上がりました。

これが、厚生労働省に進んだきっかけです。

 

 

島を離れることを五島中央病院の方々に伝えたとき、皆さん応援してくれました。はじめは「島に残って」と口にしていた方も、厚生労働省に行ってシステムを変えたいという目標をお話しすると、「離島の思いを届けてくれ!」と言って背中を押してくれました。

 

2年間の研修医期間を終え、2008年に厚生労働省に入省。

臨床研修制度の見直し、2012年度の診療報酬、介護報酬改定、検疫医療などに携わりました。臨床研修制度の見直しでは、医師の偏在を課題として、都道府県別の定数を設定するための計算式を考案、離島の人材不足を解消するために地理的条件等の加算追加など、手をつけられるところから少しずつ改革しようと努めました。


全国で医療福祉施設を展開する法人で、医療政策マネージャーに

厚生労働省で10年ほど働き、地域医療や診療報酬制度など、自分が志していた仕事にしっかり携わることができ、一区切りついたような感覚が生まれました。同時に、「国がつくった仕組みが生かされるのは、結局のところ現場なのだ」という気持ちが生まれました。次は、より現場に近く、仕組みを生かすことができる病院のマネジメントに関わるところで、地域の方々が本当に必要とする医療、ケアを提供できる環境をつくりたいと思うようになったのです。

 

じっくりと時間をかけて転職活動をしようと思っていたので、2017年に厚生労働省を辞めた時点では、次の行き先を決めていませんでした。ありがたいことにいくつかお声をかけていただき、その中で、厚生労働省時代に知り合った武久洋三(たけひさようぞう)先生(平成医療福祉グループ 代表)とのご縁で、医療政策マネージャーという役職で平成医療福祉グループに入職させていただきました。全国に医療福祉施設を展開する当グループでなら、さまざまなことに挑戦できると思いましたし、武久先生から「まあ好きにやったらええ」という懐の深いお言葉をいただいたことで、勇気が出ました。

 

入職して1年近くは、現場の感覚を取り戻すために臨床医として働きました。厚生労働省にいた間、臨床からすっかり離れてしまっていたので、最初は少し怖かったですね。それでも、指導医の方についていただき、病棟業務や当直などを担うなかで、徐々に医師として身に付けた感覚を取り戻すことができました。


目標は「慢性期医療なら平成医療福祉グループ!」と言われる組織にすること

現在は、2019年9月に開設したインドネシアのクリニック運営に携わっています(詳しくは記事1をご覧ください)。平成医療福祉グループが培ってきたリハビリのノウハウを伝え、インドネシアのリハビリの拠点となる場所をつくるべく、奔走しているところです。

 

ジャカルタの街並み 写真:Pixta

 

これからの目標としては、「慢性期医療なら平成医療福祉グループ!」と言っていただける組織にしたいですね。グループの病院を良質にすることで地域の医療もよくなるはずですし、ひいては、日本全体、世界の医療に貢献できれば嬉しいです。

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