介護・福祉 2023.05.24
災害時に車椅子利用者を守るための装置の開発――中村 正善さんのあゆみ
株式会社JINRIKI 代表取締役社長 中村 正善さん
車椅子に棒状のフレームを取りつけ人力車のように前から引くことができる車椅子移動支援具“JINRIKI”は、“てこの原理”によって車椅子の前輪を持ち上げ、段差のある悪路や坂道も楽に移動することを可能にします。この装置を開発した株式会社JINRIKI代表取締役社長の中村 正善(なかむら まさよし)さんは、災害が起きたときに「より多くの人たちの命を救いたい」という思いから、車椅子利用者の行動範囲を広げる手段となる車椅子移動支援具の製品化に心血を注いだといいます。“JINRIKI”を開発した経緯や、車椅子利用者の生活を支えることへの思いについて伺いました。
JINRIKI
車椅子移動支援具“JINRIKI”の構想から開発まで
幼少期――弟が乗る車椅子を押して過ごした
まず、私が車椅子移動支援具“JINRIKI”を開発することになったきっかけからお話ししましょう。私の弟は車椅子を利用していました。幼少期、弟の車椅子を押してはいろいろなところへ遊びに出かけていたものです。
段差に引っかかってうまく進めないときは、前輪を持ち上げ、大きな後輪だけで移動していました。自転車を思い出していただくと分かると思いますが、大きな車輪はある程度の段差でも乗り越えられるのです。弟の車椅子をよく押していた経験から、小さな前輪さえ持ち上げれば一緒に走って遊ぶこともできるということを体が記憶していました。
会社員時代――観光地誘客の施策として誕生した車椅子移動支援具の原案
画像:PIXTA
会社員として働いていた頃、長野県の上高地に人を集め活性化させるプロジェクトを担当しました。「もっと来訪者を増やすにはどうしたらよいか」と考えたとき、まず思い浮かんだのは“上高地に来たくても来られない人たち”でした。上高地は美しい自然に溢れた観光地です。しかし、山岳地帯ですので車椅子利用者が気軽に散策できるスポットではありません。また、国立公園および国の特別名勝・特別天然記念物に指定された地域のため、環境保護の観点からバリアフリー化することも難しいのです。
そこで思い出されたのが子どもの頃の記憶です。「大きな後輪だけなら段差のある上高地も車椅子で移動できるのではないか」と考えたのです。しかし、前輪を持ち上げるには大きな力と練習が必要で簡単ではありません。そこでテコの原理を利用し前輪を持ち上げる方法を思いついたのです。これなら軽い力で前輪を持ち上げ、残りの力と体重を前進する力に変えれば大きな力となり、人力車のように安全に車椅子を引くことで移動が可能となります。単純な原理ですから、すでに販売されているのではないかと思い調べてみたのですが、当時そのような商品は存在しませんでした。その頃の私は、ものをつくったことも販売したこともなかったため、「商品化されていないなら仕方がない」と、諦めざるを得なかったのです。
東日本大震災を機に起業、一度諦めたものづくりの道へ
自分で商品化するのは難しいとあきらめていたときに起こったのが、2011年3月11日の東日本大震災でした。約1万5千人以上の方が犠牲になられたのです。被害に遭われた方の多くは障害のある方や高齢者で、障害のある方の死亡率は障害のない方の約2倍だったと総務省から発表されています*。実際には1人の避難困難者と共に逃げ遅れた方や、逃げるのは無理だと避難を諦めた方もいたことでしょう。
東日本大震災の報道を受け、「私にも何か皆さんのお役に立てることがないか」と考えたとき、思い出されたのが車椅子移動支援具のアイデアでした。一度は頓挫したあのアイデアを実用化できれば、多くの命を助けられるかもしれないと思ったのです。
その頃の私は、福祉のことも、ものづくりのことも何も知らない状態でした。しかし、東日本大震災から1か月後には会社を退職し、約1年半後には株式会社JINRIKIを起業していました。福祉業界やものづくりの原理などの現実を知っていたら、このプロジェクトを始めていなかったかもしれません。当時の私は何も知らなかったうえ、“棒を車椅子につけるだけ”というシンプルなアイデアだからこそ、なんとかなると思ったのです。
*総務省消防庁による『平成30年版 消防白書』によれば、「被災地全体の死者数のうち65歳以上の高齢者の死者数は約6割であり、障害者の死亡率は被災住民全体の死亡率の約2倍」と推計されている。
試作品開発の日々
それから、試作品づくりの日々が始まりました。車椅子は、大きな後輪が2つ、小さな前輪が2つついた形が一般的で、段差がある道や悪路を移動することを想定して作られてはいません。車椅子の構造上、海岸や山、雪道を進むことは難しいのです。段差を乗り越えるためには小さな前輪を持ち上げる必要がありますが、介助者は後ろから押しているわけですから、前輪を持ち上げるのは大変です。人力車やリヤカーのように大きなタイヤだけで前から引くことができれば、力の弱い人でも“てこの原理”で前輪を持ち上げ、スムーズに車椅子を介助し進むことができるのではないかと考えました。
そこで、ビニールハウスのパイプ用に販売されている金属棒を購入し、それを曲げて試作品1号機を作ったのです。見た目は不格好で、商品化できるような状態ではありませんでした。しかし、車椅子に取りつけて引っ張ってみたところ、雪道ではびくともしなかった車椅子が動いたのです。この1号機によって、自分の考えは間違っていないという確信が持てました。1号機は、今も私の宝物です。
その後、チェアスキーの選手の皆さんに協力してもらいながら試行錯誤を重ねていきました。チェアスキーの日本代表チームが長野県の白馬村で合宿をしていると聞き、飛び込みでお願いに行ったのです。彼らは快く協力してくださり、「チェアスキーにも取りつけられるようにしてほしい」という意見もいただきました。そこから、ワンタッチで装着できるタイプの“JINRIKI QUICK”も生まれました。
車椅子はたくさんの種類があるため、微妙な違いのある各機種にマルチで取りつけられる器具を開発するのはとても困難なことでした。何度もこのまま開発を諦めようかと思いながらも改良を重ね、国内特許・PCT(国際特許に準ずる)を取得する製品を作ることができたのです。
JINRIKI QUICK
開発に全力を尽くすと決意させてくれた車椅子利用者の言葉
“JINRIKI”を開発するにあたって、実は自身の資産を売却し資金に充てていました。そこまでしても商品化にこぎつけたいと思ったのは、三重県で行われたある避難訓練で、車椅子利用者の方からかけられた言葉がきっかけでした。
台風や津波など災害が起きたときには高台への避難が必要です。しかし、急な坂道や段差の多いその地域では、周囲の方が介助しても車椅子利用者の方はなかなかうまく避難できないという課題がありました。そこで、“JINRIKI”の試作機を持って行ったところ、車椅子利用者の方もほかの方々と変わらないスピードで山頂まで避難することができたのです。
そのとき、「あなたは私たち家族の恩人です」と手を握りながら感謝の言葉をかけられました。その方は常日頃、「もし津波が来たら自分のことは置いて避難してくれ」とご家族に話されていて、津波が来たらそのときが命の終わりだと諦めていたのです。「たったこれだけの坂道ではないか」と衝撃を受けた私は、「この方たちの命を救えるのは私しかいない」という強い思いを胸に抱きました。その日から、本当の意味で製品の開発が始まったのです。
画像:PIXTA
車椅子利用者は雨が降ったら外に出ない?
単純な仕組みにもかかわらず、なぜこれまで車椅子移動支援具が製品化されなかったのかという理由を探るため、車椅子メーカーの方々にお話を伺うことにしました。すると、「車椅子を利用している人たちは、天気が悪い日は外に出ないから必要がない」というのです。しかし、本当にそうだろうかと私は思いました。自分の意思で“出ない”のと“出られない”のでは大きな差があるのではないでしょうか。“出られない”のであれば、その問題を解決しないといけません。
そこで、車椅子利用者の生の声を聴くため、“国際福祉機器展”で6小間も借りて試作品を皆さんに体験してもらうことにしたのです。試作品に対しては大きな反響があり、“出ない”のではなく“出られない”のが事実だと知りました。バリアフリーの場所にしか行けないがため、行動範囲を狭めるしかなかったのです。
災害が起きたときの避難においても同じことがいえます。これまで多くの場面において、避難するかしないかは、避難できる人が判断することであり、避難できない人は最初から諦めるしかなかったのです。
車椅子利用者の命を守るために大切なこと
私たちは、避難したくてもできない人を助けるにはどうしたらよいのかを、これからもっと考えていかねばなりません。
車椅子利用者の方々がいざというときに命を守るためには、車椅子を体の一部のように動かすことができるようにしておく必要があるのではないでしょうか。いざ災害が起きたとき命を守る行動につなげるために、避難訓練以外でも日常的に海や山などいろいろな場所に出かけて移動に慣れておくことが大切だと考えています。その際に、“JINRIKI”が役立てば嬉しく思います。