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日本における医療DXは遅れている?――諸外国との比較

キヤノングローバル戦略研究所 研究主幹 松山幸弘先生

今、世界では医療DX(デジタルトランスフォーメーション*)が積極的に進められています。日本でも2017年より厚生労働省がデータヘルス改革を推進し、2020年の新型コロナウイルスの感染拡大によってオンライン診療の規制緩和が話題となりました。しかし、世界と比して日本の医療DXは遅れをとっているようです。日本の現状について、松山 幸弘(まつやま ゆきひろ)先生(キヤノングローバル戦略研究所 研究主幹、豪州マッコーリー大学オーストラリア医療イノベーション研究所 名誉教授)にお話を伺いました。

*デジタルトランスフォーメーション:人々の生活のあらゆる面でデジタル技術が引き起こしたり影響したりする変化のこと


なぜ日本ではデジタルヘルスの進歩が遅いのか?――諸外国との比較

新型コロナウイルス感染症を契機に、諸外国でデジタルヘルスの本格的な社会実装が始まりました。日本でもオンライン診療に関する規制緩和の恒久化が議論になっています。しかし、目先10年ほどは日本で諸外国と同レベルのデジタルヘルスが普及することはないでしょう。そう考える理由は3つあります。

 

技術を社会実装するに至っていない

第1の理由は、政府がデジタルヘルス関連のさまざまな施策を掲げていますが、政策立案にあたりTechnology(技術)とTransformation(変革)の区別がついていないからです。欧米諸国のデジタルヘルス計画では、両者を明確に区別しています。Technologyが生み出すのは新しい単品のツールです。これに対してTransformationとは、新しいツールを社会実装すること、または社会実装を加速させるインフラ・社会的仕組みを構築することです。ところが日本の政府はこの区別をできておらず、Technologyを社会実装する段階に至っていないのです。このことは、マイナンバーカードの社会実装が一向に進まない現状を見れば自ずと理解できると思います。

 

画像:PIXTA

 

政府の医療情報化推進策の目玉はPHR(Personal Health Record:健康状態や服薬履歴などを本人や家族が把握し、日常生活改善や健康増進につなげるための仕組み)です。PHR計画の欠陥は、診療録データベースを管理する組織の中心を“民間事業者”としたことです。国民の立場になって考えれば、最大のプライバシーである診療情報を安心して預けられるのは、主治医が所属する医療機関のみです。診療録データベースを使ってビジネスをする民間事業者、IT企業に自分の診療録を預ける人は、海外でもいません。

他国の例でいうと、オーストラリアの場合、2018年時点で公立病院が693、民間病院が657です。このうち公立病院は2011年の医療改革によって地域単位で経営統合され、地域医療介護福祉ネットワークのプラットフォーム事業体になりました。その翌年の2012年にPHRサービスを希望する人に提供する形でスタートさせました。その普及率が25%になった2017年に法改正を行い、2018年から全国民が原則PHRに登録する制度に変更したのです。ただ、感染症の履歴や特定の病歴について知られたくない人には、PHR登録しない権利が与えられています。2020年11月時点のPHR登録者数は2,286万人であり、普及率は89%となっています。

 

診療情報を共有するためのプラットフォーム事業体の不在

第2の理由は、広域医療圏単位で診療情報を共有するためのプラットフォーム機能を担う組織が日本には1つも存在しないからです。たとえば、日本では大学附属病院や地域中核病院であっても、診療情報共有プラットフォーム機能を果たしているところは1つもありません。つまりデジタルヘルス遂行にあたっては“組織化”が課題ということです。

一方、海外の例を見てみると、人々の対面診療選好が強かったため、デジタルヘルスのインフラがほぼ整っていたところでも2019年まではオンライン診療はあまり人気がありませんでした。しかし、それがコロナ禍で一変し、オンライン診療の利用件数が急増しています。大切なポイントは、海外ではオンライン診療を対面診療の代替と考えるのではなく、オンライン診療と対面診療を“医療にアクセスする手段”として平等に位置づけ、診療内容ごとに患者さんと医療機関両方の視点でどちらが適切なのかを検証し始めたこと。その中では特に、慢性疾患患者におけるオンライン診療の有効性がコロナ禍で確認されたようです。

このような議論ができるのは、主治医である開業医とプラットフォーム機能を担う事業体が連携し、オンライン診療の質の評価を行っているからです。さらに、医療現場がデジタルを基盤とした医療制度の時代の到来を実感したことから、海外では医学教育も大きく変革されることになるでしょう。

 

画像:PIXTA

 

保険者と医療機関が対立する構造の医療制度――全体最適化の難しさ

第3の理由は、日本の医療制度は保険者と医療機関が対立する構造になっているからです。デジタルヘルスという技術革新の社会実装が進んだとき、その経済的メリットの大部分を最初に享受するのは保険者です。したがってデジタルヘルスの初期投資コストは全て保険者が負担すべきものですが、日本ではそのような発想は出てきません。

 

現在世界でもっともデジタルヘルスを実践しているのは、米国カリフォルニア州に本部を置くKaiser Permanente(以下、カイザー)です。カイザーは1,200万人超の保険加入者に医療を提供する世界最大のIntegrated Healthcare Network(統合ヘルスケアネットワーク)で、8.5兆円の収入(2018年)を誇ります。2020年10月、カイザーが「心臓発作の治療後の患者に心臓の動きをモニターできるスマートウォッチを無料で提供し、予後管理する」と発表しました。このように政府が規制緩和しなくてもデジタルヘルスの社会実装が進むのは、カイザーが保険部門と医療提供部門を連結経営する事業体であり、常に患者さんと医療従事者双方の視点を持ち、財源と医療の質を全体最適化するための方法を模索・実践しているからです。

また、英国、カナダ、オーストラリアなどの医療制度は、財源確保と医療提供体制が共に“公”が中心で連結しています。その事業構造はカイザーと同じですから、デジタルヘルスの投資コストを全て政府が拠出することに躊躇はありません。デジタルヘルスの将来に関して、2020年6月マッキンゼー社が「潜在市場は外来・在宅ケアの医療費の約20%」という旨のレポートを発表しました。また、2020年11月には米国保健省が「医師による遠隔指導下で看護師が急性期ケアを患者の自宅で提供する仕組みを開発する」と発表しました。このような各国のデジタル化の動きを見ると、日本以外の先進諸国において10年後には医療アクセスの構造が大きく進化していると予想されます。

*松山幸弘先生による「コロナ禍と医療イノベーションの国際比較」についてはこちらをご覧ください。

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