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島を愛し、島の人々を守る――“島の病院おおたに”の歴史と院長の思い

島の病院おおたに 院長 大谷まり先生

広島港より高速艇で30分、悠然と広がる広島湾に浮かぶ江田島(えたじま)。その風景に溶け込むように佇む“島の病院おおたに”は、1943年の発足以来、病床機能を少しずつ変えながら島の人々の医療を支えています。患者さんやスタッフがより寛げる空間を目指し、2017年に島内で新築移転した同院のこれまでの足跡を、院長の大谷 まり(おおたに まり)先生に伺いました。


島の病院おおたにのあゆみ

祖父が療養を目的に江田島に滞在したことが縁の始まり

当院の歴史は、1943年、祖父が病院を発足させたことに端を発します。千葉大学医学部を出て外科医をしていた祖父は、自身の療養を目的に江田島にやってきました。島で多くの人たちにお世話になった経験から、船で渡ることのできる広島市内で病院を開業しようと考えていましたが、島の人々に「ぜひ江田島に残って欲しい」と熱望され、病院を始めたと聞いています。

 

祖父は県会議員となり、その後を継いだ父

当時の大谷病院は、一般病床と結核病床で構成されていました。祖父は島の人々に医療を提供し続けていましたが、その後、文部大臣を務められていた江田島市出身の灘尾 弘吉(なだお ひろきち)先生の志を継ぎ、県会議員となりました。祖父は灘尾先生のことをとても尊敬しており、市民からの「灘尾先生の地盤を継いでくれ」という要望に応えることが自身の責務だと考えたのかもしれません。

祖父が病院経営の一線を退くことになり、東京の大学で医師になった父が江田島に戻ってきました。父は数年だけ手伝うつもりで戻ってきたのですが、祖父が県会議員として本格的に働き出したことで、父はそのまま島に残ることになりました。診療や日々の生活を通じて徐々に“島を支えること”の素晴らしさを感じ、後を継ぐことを決意したそうです。

 

 

社会や地域情勢の変容に伴い、病床機能の転換を行う

1988年に父が院長に就任。当院は一般病院から特別許可老人病院、そして療養病棟となり、訪問診療の開始やデイケア施設の開設などの新しい取り組みを経て、2003年には病院の名前を“大谷リハビリテーション病院”に変更しました。その背景には、社会や地域の情勢が移りゆくなかで、地域における医療ニーズの変化と一般病床で病院を維持するのは難しいと感じ、病院のあり方を考え直したことがあったようです。父が整形外科医で元々リハビリテーションに並々ならぬ思いがあり、病院にとっての転機につながったともいえます。

 

父から院長を引き継ぎ、地域の医療を守り続ける

私は父と意見の相違でぶつかるため、同じ診療科に進む決断はせず、違う診療科に進みました。いつかは絶対に島に帰ると決めていました。

35歳のときに島へ戻ったのですが、そこから2〜3年は本当によくぶつかりました。父と私はどちらも譲らない性格なので、会議ではよく喧嘩しましたね。父は「わしは30年間、一人でやってきた。お前は何も分かっとらん」などと言うので、私は「またその話なら、いつでも九州に帰るわ」という具合に反論していましたね。

 

2008年には、回復期リハビリテーション病床を36床設置。そのとき父は自分の足でリハビリスタッフを探しに出かけ、おかげで順調に人材も集まり、病院全体でリハビリに取り組む活気が出ました。そのような理事長としての父の働きぶりに、感服したことを覚えています。

 

そして、3年ほど経ったとき、突然「院長になれ」と言われたのです。時期尚早だと思ったのですが、父の意向を汲んで院長になりました。そこから、困ったときには意見をくれますが、そのほかは一歩引いて、私に全てを任せてくれるようになりました。その姿を見て、あらためて父の偉大さを実感しました。

今思えば、父との喧嘩は世代交代の“生みの苦しみ”とも言えるものだったのかもしれません。あの時間があったからこそ、その後の引き継ぎがスムーズに進んだように思います。


病院新築移転への思い

お世話になった島の人たちに恩返しをしたいと思い、2017年、江田島の能美町中町に病院を移転し、開設しました。この病院で最期を迎えられる患者さんもいらっしゃいます。誰もが落ち着いた気持ちで治療やケアを受けられる環境を整えたいと思い、また、病院のスタッフが気持ちよく働ける環境も大切であると考えたのです。

 

島の病院おおたにの社員食堂

 

院内には会議用の部屋やブースを随所に設け、人が集まる場所に困らないように工夫しており、“おおたにホール”という広い会議室は、朝礼はもとより、市民公開講座などにも活用しています。

また、トイレにはこだわりました。以前の病院でトイレの不便さがとても気になっていたのです。“トイレは最後までできる限り自分の足で”という思いがあり、水まわりには特に力を入れました(実は北九州にある本社に赴くほど、TOTOの大ファンなのです)。リハビリトイレを含めて院内のトイレの数を豊富に設け、さらに用途に応じてさまざまなデザインを施しています。また、においが気にならないよう、病室にも水洗式のポータブルトイレを導入しました。

 

島の病院おおたにのポータブルトイレ

 

父と「絶対に海の見えるところに移転しよう」と話していて、結果的に素敵な場所を見つけることができました。新病院を建てるにあたり、デザインや小物選びなどを含めてかなりこだわりました。大切にしたコンセプトは、“ホッとする空間”です。病院に行くというネガティブな気持ちや抵抗感をなくしたいため、病院らしくない病院で、気持ちが少しでも安らぐ場所にしたいという思いがありました。治療をされる方はもちろん、リハビリを行う方、最期を迎える方、さまざまな状況の患者さんがいらっしゃいますが、皆さんが気持ちよく癒される空間で心穏やかに過ごせることを目指しています。

 

 

病院の移転と同時に、“大谷リハビリテーション病院”から“島の病院おおたに”に名称を変更しました。病院名の変更にあたり、“大谷”という名前を残すかどうか迷いました。なぜなら、個人の名前がついた病院よりも、“江田島市民病院”や“江田島記念病院”といった市中病院らしい名称のほうが新しく採用する医療従事者に馴染みやすいと思ったからです。

そこで、スタッフ全員にアンケートをとりました。すると、驚くことに7〜8割のスタッフが“大谷の名前を残すべき”という意見をくれたのです。その理由は“たくさんの患者さんが大谷という名前で病院を呼んでくれている”、“大谷で働いていることが嬉しい”といったものでした。このように、スタッフが病院に対して強い思いを持っていることを知り、非常に嬉しかったです。

 

島の病院おおたに周辺からの眺望


今後の課題は、広い江田島をカバーする在宅診療医の人材確保

当院は、外来や入院での診療に加えて、訪問診療や訪問リハビリ、訪問看護などの在宅サービスを行っています。また、地域の病院と輪番制で救急患者さんを受け入れており、在宅で診ている患者さんの急性増悪に対しても救急で受け入れて、迅速に対応できる体制を整えています。

このように地域の在宅と救急の一助になれるよう努めており、江田島全ての住民にできる限りのサービス提供を心がけていますが、同時に往診の要請があった場合には、ご自宅に伺うまでお待たせしてしまう可能性があります。また、島に住む若手医師が不足していることと、夜の在宅医療体制が手薄であることが課題です。夜間に患者さんの容体が急変することは多々ありますので、そこをカバーできる体制を整えたいと思い、さまざまなところに協力を仰いでいるところです。

 

地元で在宅医療をするのは、とてもやりがいがあります。江田島には路線バスが走っていますが、そのような公共交通機関を使えない患者さんもいらっしゃいますので、お家に訪問するだけで患者さんが安心してくれるのを感じることもあります。私自身は中学校まで江田島で育っているので、患者さんは皆家族のように思っていますし、患者さんも私を家族のように慕ってくれますね。今後、この江田島で勤務希望される若手医師がいるならば、毎日とはいわず週に1〜2回でもよいので、ぜひ在宅医療を担っていただけると嬉しいです。


これからも島を守りながら、病院という枠組みを超えて地域に貢献したい

祖父、父、私とこの病院をつなげてきました。3人の中で共通するのは“地域のために貢献する”という思いです。皆、江田島で生まれたわけではないのですが、縁あって住むことになり、ずっと江田島を愛してやみません。

私たちは、島を守る病院として良質な医療の提供に努めるのはもちろんこと、病院という枠組みを超えて、地域と共に生きる取り組み、たとえばお祭りなどの行事への参加、ケアカフェや人生会議(ACP)のワークショップの開催など、地域の方々と協働すること、地域がよりよい形であるよう働きかけることを続けていきます。そして、地域の方々にいつまでも望まれる病院であることを目指します。

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