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働く環境を整える役割に徹する覚悟を決めた――光風園病院 梅崎亜希子さんのあゆみ

光風園病院 看護部長 梅崎亜希子さん

山口県下関市にある光風園病院において、看護部門の管理業務を担う梅崎亜希子さんは、看護師になる前は百貨店の販売員として働いていました。転機となったのは結婚後の出来事で、子育てしながら看護師を目指すことを決心したのだといいます。現在はスタッフの働く環境を整える役割に徹し、同院の看護部長として活躍している梅崎さんに、これまでのあゆみや、看護部長としての今後の展望について伺いました。


専業主婦の夢から看護師の道へ

”女性は働くべき”という考え方に影響を受け、人生が変わった

私は、看護師になる前は北九州の百貨店に勤めていました。22歳のときに夫と結婚し、当時は寿退社をして専業主婦になることに憧れていました。しかし、義両親が”女性は働くべき”という考えを持っていて、主人からも「仕事は辞めなくていいよ」と言われたことに刺激され、産後も職場に復帰して仕事を続けることにしました。そして、働きながら子育てするにはサポートが必要だと、長男を産んですぐに義両親と同居を始めました。

仕事と子育ての両立に奮闘していたある日、義母から「これから先、夫に何か起きたとき、あなたは1人で子供を育てられる?」と聞かれました。一体どういうことだろうと思っていると、「1人で子供を育てていけるように女性も自立しないとね」と言われたのです。最初は、その言葉の意味をなかなか飲み込めずにいましたが、少しずつ、手に職をつけて経済的にも精神的にも夫に頼るのではなく、職業人として自立しなさいという意味ではないかと考え、今から何ができるか考えるようになりました。「夫と同じ教員になるのは難しいだろうな」などと考え始めていたなかで、転機となったのは、次男の産休中のことでした。

 

看護師たちの働く姿を見て下関看護専門学校を訪問

当時、長男のアトピー性皮膚炎の治療のため総合病院に通っていました。そのとき、看護師たちがテキパキと働く姿を目の当たりにして、「看護師になるのはどうだろうか」と興味を持ちました。帰宅後、義母にそのことを話すと、「素敵な仕事じゃないの」と賛成してくれました。しかし、看護師になるとは考えたこともなかった私には、看護師になる方法がまったく分からなかったのです。

そこで私は、病院で長男の薬の受け取りを待っていたとき、近くに立っていた看護師に声をかけました。「看護師って、どうやったらなれるんですか?」と尋ねると、相手は「えっ?」と驚いた様子でしたが、私の話を聞いて、看護師の専門学校が近所にあると教えてくれました。私は、その日のうちに下関看護専門学校を訪れ、募集要項を受け取りました。今になって考えると、自分でも驚くくらいの行動力だったと思います。

 

光風園病院の面接を受け、看護師としてあゆみ始めた

入学に必要な書類をそろえるため、高校時代の担任を尋ねた際、「すごいな。大丈夫なのか」と、先生は少し心配そうでした。下関看護専門学校は、働きながら看護の勉強をする体制の学校だったので、子育て中の私には通うのが大変だと思ったのかもしれません。

私は、母の知人のアドバイスを参考に、できるだけ自宅に近くて通いやすい病院を探しました。そのとき、ちょうど近所の光風園病院が学生の募集を行っていることを知り、急いで電話をかけましたが、すでに募集は終わっていました。しかし、諦めずに「そこをなんとかなりませんか」と頼み込むと、現在の総務部長に話が伝わり、何とか面接を受けさせてもらうことができました。


正看護師として光風園病院に勤め、管理業務に徹する覚悟を決めた

「光風園病院でお世話になった恩を返したい」

下関看護専門学校に入学して5年、29歳のときに看護師の資格を取得し、私は無事に卒業を迎えました。同じく卒業を控えた看護師たちが、急性期病院などへの就職活動を始めるなかで、私も、「急性期病院に勤めるなら今だろうな」と思っていました。今後のキャリアのことも考えて、他院への就職を、悩みながらも決めかけていました。ある日、スタッフステーションで仕事をしていると、入職した当初からお世話になっていた前看護部長に声をかけられました。話をしていると、突然肩をぽんとたたかれ、「うちに残るよね」と聞かれました。そのとき、びっくりして「あっ、はい」と返事をしてしまいました。声をかけられたことで、もう一度進路について考え直しました。「お世話になった恩を返さなくては」と急に気持ちが落ち着き、家族のことを考えたら、やはり当院で勤め続けるのがよいだろうと、はっきり気持ちが固まったのです。私のことをずっと見てくれていた前看護部長に肩をたたかれたことをきっかけに、「一生お世話になろう」と覚悟を決めたことを覚えています。

 

環境を整える役割に回ることを決心

卒業後は、すぐに看護主任を務めることが決まりました。その後、病棟科長に就任することになったときは、現場で働いた経験が少ない私に務まるだろうかと不安でした。私以外の病棟科長は、急性期病院に勤めた経験がある方など、キャリアを積んだ看護師ばかりだったのです。

しかし、「私が管理者を務めてよいのでしょうか」と、先輩の病棟科長に相談すると、「管理業務は誰でもできることではないよ。それはあなたの優れた才能だから、自信をもってやりなさい」と、褒めてくださいました。その言葉に励まされた私は、「現場で看護の業務を担うのは部下の仕事、私は働く環境を整える役割に回ればいい」と、決心することができました。


看護部長として自らの姿勢を振り返る日々

 

スタッフが1人ずつ病院を去る不安を抱えて

光風園病院が近隣のケアミックス病院と合併した翌年の2013年、私は当院の看護部長に就任しました。急なことでしたが、病院が合併するタイミングで業務手順や文化をそろえていく必要があり、そこに力を入れていくために仕事を任せてもらったのだと思います。

看護部長になったばかりの年は本当に大変で、した。1週間が経つのが遅く感じました。とくに、統合に伴って移籍してきた職員から退職したいという声があがってきたことに対し、管理者として不安は募るばかりでした。

私は、退職を考えている職員のところに足を運び、時間をかけて面談し、とにかく対策を講じてスタッフを引き留めなければという思いでした。私が退職しようとしている職員の職場に顔を出し、話をしていると、その姿を見た光風園病院のスタッフから呼び止められ「移籍してきた職員の話ばかり聞いて、光風園病院の職員の話は聞いてくれない、私たちのことはどうでもいいのですか」と言われたことがありました。そのときは思わず「そんなわけないじゃない」と言ってしまいましたが、あの頃の私の発言はスタッフに不安を与え、私の行動はスタッフに対して不公平だと受け取られたのだと気づきました。そのとき、私の発言や行動はスタッフに大きな影響を与えてしまうのだと分かりました。

 

冷静に物事を考え、スタッフのために行動する看護部長でありたい

この経験から私は、自らの姿勢を常に正し、冷静に物事を考えるよう心がけています。退職の意思を伝えられても、引き留めようとして慌てて動くのではなく、落ち着いて構えていようと思ったのです。私が慌てて動くと、スタッフたちを不安にさせてしまいます。そのため、「いつもスタッフのために行動する」ということが、私の仕事に対する考えの根幹になっています。

看護部長は、患者さんを直接ケアする機会はほとんどありません。だからこそ、患者さんによいケアを受けてもらうためには、スタッフの働く環境をしっかりと整える必要があるのだと、考え方が変わった出来事でした。


看護部長としての今後の展望

今後は、さらに多くの看護師が当院に入職していただけたらと考えています。患者さんによりよいケアを提供し、その質を常に向上させていくためには、働く方の人柄や能力が重要です。それらを併せ持った看護師の活躍を期待しています。

また、私自身、前看護部長に育てていただいたことから、今後は後任の看護師に仕事を引き継いでいきたいと考えているところです。当院のよさを理解したうえで、新しいことにチャレンジしていける看護師に、後任として頑張ってもらいたいと思っています。

当院が提供するケアの質を維持、向上させられる環境づくりを目標とし、後任の看護師の育成にも、引き続き力を注いでいきたいと思います。

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