キャリア 2025.11.11
愛情を持って患者さんの人生に関わる――言語聴覚士・名古 将太郎さんの思い
千里リハビリテーション病院 言語聴覚部門コーチ 名古 将太郎さん
言語聴覚士は、患者さんの“話す”、“食べる”といった機能の支援を行う仕事です。千里リハビリテーション病院で言語聴覚部門のコーチを務める言語聴覚士の名古 将太郎(なご しょうたろう)さんは、言語聴覚士とは患者さんの人生に関わる仕事だと語ります。今回は、名古さんがリハビリを進めるなかでの患者さんとのエピソード、仕事をするうえで大切にしていることなどについてお話を伺いました。
※名古さんのインタビュー前編はこちらのページをご覧ください。
大切なことに気付かせてくれた患者さんとの出会い
患者さんが話したり、食べたりできるようになるのは言語聴覚士として、とてもうれしいことです。しかし私はそれ以上に、症状を見せていただいて「どうしてそういうふうになるのだろう」と考え、課題や検査を選択していく過程自体にとてもやりがいを感じます。この患者さんはどのような人物なのかと深く掘り下げながら、ゴールへの道のりを考え一緒にリハビリテーション(以下、リハビリ)を進めていくことは、とてもやりがいのあることです。
これまでのキャリアを振り返ってみると、思い出深い患者さんが3人いらっしゃいました。1人目は、言語聴覚士になったばかりの頃に出会った40歳代の患者さんです。徐々に、食べることや話すことが難しくなっていく患者さんに、ご家族がずっと付き添っていらっしゃいました。娘さんはもう思春期でしたから、お父さんと一緒に外出する機会もあまりなかったそうですが、お父さんが病気になり、家にいることが増え、徐々に介助が必要になってくる生活の中で、娘さんも傍で一緒に寝転がってテレビを見たり、本を読んだりして過ごしたそうです。そうしたときにふと娘さんが「お父さんが病気になってよかった」とおっしゃったそうです。奥さんが驚いて理由を尋ねたところ「もし病気になっていなかったら、こんなに近くで一緒に過ごさなかった」と答えられたとのことでした。
「病気になったことは大変ですが、娘と夫がこのように近い関係になったことはよいことだったかもしれません」と、奥さんがそうおっしゃったのがとても印象的でした。
私は病気やけがをすることは、単にしんどくて苦しいものだと思っていましたが、その言葉を聞いたとき、そうとは限らないのかもしれないと考えるようになりました。もちろん、大変なことはさまざまあることと思います。しかし、価値観はさまざまですし、私の狭い尺度に収めることのないように注意して少しでも幸せだったと思っていただけるよう、よい関わりができるように努力する必要があると考えるきっかけとなりました。
2人目の患者さんは、在宅でのリハビリに従事していた際に出会いました。重度の障害がありましたが、ご家族との関係も良好で、リハビリに熱心に取り組んでいらっしゃいました。周囲の人たちもその患者さんに対して友好的に接していらっしゃる様子からその人のこれまでの生き方が見えてくるようで、“私もこのような大人になりたいな”と思いました。十分に話せなくても歩けなくても、その人の本来の人間性や雰囲気は損なわれるわけではないのだと感じました。
その人の持つ人間性を大切にしながら、そのときできることに合わせて人生を歩んでいけるよう支援していくことが大事なのだと思いました。
この2人の患者さんとの出会いを通じて、患者さんの人生に関わっていくことが言語聴覚士という仕事が持つ意味ではないかと教えてもらったのです。
答えの出ない問いが仕事を続ける理由の1つ
「うちで受け入れます」
3人目は、10年ほど前に地域連携室で働いていたときに出会った患者さんです。当時の体験を通じて生まれた問いには、今も答えを出せずにいます。
地域連携室は、病院間の入院や退院調整の橋渡しの役割を担う部署です。ある日、とある急性期病院のソーシャルワーカーから1人の患者さんの受け入れについて地域連携室に電話がかかってきました。その患者さんは、急性期病院から回復期リハビリテーション病院へ転院したものの、再度状態が悪化したため急性期病院に再入院されたようです。その後、再び回復期リハビリテーション病院に戻る話になったとき、奥さんが「別の回復期リハビリテーション病院に打診をしてほしい」とお願いされたとのことで、当院の地域連携室に連絡があったのです。
しかし、紹介元の病院のソーシャルワーカーによると奥さんの依頼に則って電話をしただけであり、こちらが断ることを前提としていたようです。電話口で「こういった患者さんの受け入れは無理でしょうから断ってください。他の病院にも相談したということをご家族に伝えなければいけないので……」とのことでした。
私は「まず一度ご本人の状態を直接確認させてください」と申し上げ、紹介元の病院に伺いました。患者さんは車いすには何とか座れるものの手足は曲がらず、明らかに症状の悪化と廃用を引き起こしていらっしゃいました。覚醒は保たれていましたが発語はできず、奥さんともどもとても重苦しい雰囲気だったのをよく覚えています。このまま元の医療機関へ戻られればどのようになってしまうのだろうと不安に苛まれました。病状的に致し方ない状況があったにせよ、明らかに医療側の対応により引き起こされてしまった現状をどうしても見過ごすことができずに、私はその場で「(当院で)受け入れます」と伝えてしまったのです。
個人で判断してしまったことに不安を抱えながら当院の入院判定会議にこの患者さんを挙げさせていただきましたが、案の定あまりよい返答をもらえませんでした。困り果てましたが、個別に医師や病棟管理職と相談させていただき、なんとか受け入れてもらえる病棟が確保できて、お受け入れすることができました。
患者さんの人生に向き合うということ
当院への転院時には、手足の関節などに拘縮が強く認められ、日常生活は全介助、食事を口から取ることも呼吸や発声の調整も難しく、声を出すこともままならない状態でした。幸い意識は清明でリハビリに対しての受け入れは問題がなかったので、重度の後遺症を認める患者さんではありましたが、段階的に治療を進めることができました。
リハビリを続けることで徐々に食事ができるようになり、車いすでの移動や一部歩行も可能となりました。そして最終的にはご自宅へ戻ることができました。「何とかご自宅へ退院することができた。でも、まだまだ介護やこれからの生活を考えると障壁はたくさんありそう……」「患者さんの人生に何らかのよい影響をもたらせただろうか」と退院された後も考えることがありました。
そうしていると退院されてしばらくされてからご家族よりご連絡があり、レスパイト入院中に体調を崩され、再び急性期の病院に入院されたとのことでした。よくお話をお伺いすると食事や日常生活の対応が入院先の医療機関では難しく、統一を図れていないことが原因だったようです。
急性期病院へ転院されてからの治療はあまりうまく進まず、再び転院の相談を受けたのですが、病状が重く当院で再度受け入れることが難しい状況でした。院内/院外の医療スタッフにも相談させていただきながら、対応を検討していましたが、どうしてもよい答えを見つけることができないまま、意を決してプライベートでその患者さんのお見舞いに伺うと満面の笑みでお迎えいただけたことを印象強く覚えています。その後も病態は悪化の一途を辿り、最終的にはお亡くなりになられたとご報告をいただきました。
「あのときはどうするのが正しかったのか……」と今でも時折考えます。再びお受け入れができたとしても結果は同じだったかもしれません。ご自宅へ退院されるときの対応は適切だったのか、日常生活の対応は本人やご家族だけでなく介入するさまざまなスタッフにとっても受け入れられる内容だったのか、どうすることが正解だったのかなど、いまだに答えが見つけられずにいます。
ある医療機関での治療が終了し、急性期から回復期、さらに在宅医療へと移行していくなかで、十分な対応や支援ができなければ、患者さんの状態は悪化するリスクがあります。情報の申し送りが適切に行われない場合や、受け入れ側が必要な基準を満たす対応ができない場合には、アクシデントが発生する可能性があります。こうした見誤りや医療・福祉・介護レベルのばらつきによるもどかしさを日々感じています。標準的に行っているケアが、転院後も当たり前のように継続できるとは限りませんし、だからといって再び病院に戻ることは制度的に困難なことが多いのが現状です。結果として、患者さんがその狭間で不利益を被ることがあるのです。
この件については、今後もずっと考え続けていくでしょうし、それも仕事を続ける理由になっていると思います。
患者さんに“愛”を持って接することがよりよい支援につながる
リハビリの専門職について中堅になりましたが、学生や後輩などから「どのようなことを臨床では大切にしていますか?」と尋ねられることがあります。そんなときに私は「仕事では、患者さんを“好きになること”を大切にしています」と答えています。
病気や病状を含めて患者さんのことを診ていくと、専門的にも色々なことが気になり調べていくことになります。そうすると患者さんのことをよく考え、もっと知りたいと思うようになりますし、なぜこのような症状になるのだろう、どうして上手くいかないのだろうと深く掘り下げていくことができます。患者さんの症状に対して興味関心を持てば、その人に合った支援につなげることができるのだと思います。
私たちが普段、パートナーや子ども、友人などに対して行っていることを、患者さんに対しても自然にできるようになればよいと考えています。もちろん、患者さんと病院のスタッフという関係ですので、踏み込めない部分があるのも事実です。しかし、専門的な知識や技術を持って関わるのは当然のこととして、愛情や誠意、熱意を持って関わることが、患者さんのためにもなると思いますし、大切な要素ではないかと考えます。また、私たちが立ち止まってしまったら、そこで患者さんの歩みも止まってしまいます。愛情を持って患者さんに接しながら、常に前向きに、次へ次へと考え続けることが重要だと感じています。
医療・リハビリの現場で働く人たちへ――探究心を持ち続けて
臨床家として大切にしていることは常に探究心を持ち続けることです。評価や治療、ケアにおいても、別の方法や考え方がないかを模索し続ける姿勢が必要です。現場で疑問が生じると、どうしても教科書に答えを求めがちですが、1つの現象にも多様な側面があることを意識し、患者さんをよく観察しながら自分で考え、問い続けることが成長やスキル向上の原動力になります。
私自身、臨床経験を積んでもなお新しく知ることが多く、日々調べ、学び続ける毎日です。文献だけではなく、患者さんやご家族から気付きをいただくことで視野が広がるのはとても興味深いことだと感じています。この探究の楽しさを、ぜひ多くの人に感じていただきたいと思います。





