介護・福祉 2021.11.04
「日本は世界の介護をリードする存在になれる」――加藤忠相さんのあゆみ
株式会社あおいけあ 代表取締役 加藤忠相様
介護保険制度施行の翌年2001年に神奈川県藤沢市に介護事業所「あおいけあ」を開設し、自立支援を前提とした本質的なケアを行いながら、地域に開かれた多世代が集う居場所作りにも力を注いできた加藤忠相(かとう ただすけ)さん。「あおいけあ流介護」と称されるその一貫したケアの形を見てみたいと、国内外から視察が絶えません。同事業所を開設するまでのあゆみや当時の思い、現在感じていることを伺いました。
祖父の期待に応えようと福祉の道へ
生まれはここ神奈川県藤沢市です。祖父は社会福祉法人の保育園を経営していました。私は本家の長男でしたが保育園の経営にはあまり興味がなく、歴史が好きで将来は史学科に進もうと考えていました。高校生のとき、祖父に「歴史が好きだから○○大学に行きたいけど、歴史じゃ飯は食えないから花屋にでもなろうかな」と軽く相談すると、祖父は烈火のごとく怒り出したのです。「お前が継ぐと思っていたのに何を言うのだ」と。私はあまり他人の意見を聞くほうではないのですが、おじいちゃん子だったこともあり祖父の期待に応えようと考えを改めました。
ただ、当時の私は福祉の勉強をするのにどうしたらよいかまったく知りませんでした。そこでとにかく福祉と名の付く大学を候補に挙げてみたのです(今思えば、大学名に福祉と付かなくても、大学の福祉コースや福祉科というものもあったのに……)。そして学生数や環境など調べ、自分の希望にもっとも近い東北福祉大学に進みました。
既存の介護・ケアのあり方に疑問を持つ
祖父は私が大学在学中に他界しました。その後は父が理事長を継いだのですが、親戚の中でお家騒動が起こりました。私が地元に戻り「さあ準備万端」という頃に父から「お前の仕事がない」と言われてしまったのです。保育園を継ごうと思っていた私は、急にニートになってしまいました。
「うまくいかないなあ」と意気消沈し、思い切って半年ほどはニート生活を送りました。ちょうど当時は就職氷河期といわれる時代。世の中全体があまりうまくいっていないような感じもありました。「今自分で何か始めても難しそうだ」と感じ、その後、縁があって特別養護老人ホーム(以下、特養)で働くことに。
福祉系の大学に通ってはいましたが、高齢者介護の分野にはあまり触れてきていませんでした。老人ホームで働くのは初めてで、最初はおじいちゃん・おばあちゃんとお茶を飲みながらお話しするようなほのぼのとした職場を思い描いていたのですが、実際はその正反対でした。細かい日課が設定されており、トイレの時間は固定で、合わせられない人はオムツを付けさせられているような環境でした。そのとき抱いたのは「ああ、人は人生の終わりにこんな思いをしなきゃならないのか」という絶望にも似た感情です。大きなショックを受けました。
「グループホーム」を自ら作ろうと決心
半分投げやりな気持ちになりながらも、3年ほどは勤めました。ある春のこと、利用者さんに庭の桜を見せてあげようと思い「休憩時間に連れて行ってもよいですか」と施設長に提案したところ「きりがないからやめなさい」と言われてしまいました。それでさすがにもう無理だと思い、その職場を辞めたのです。
特養を辞めたのが1999年、介護保険制度が始まる1年前です。何かヒントはないかと本を立ち読みしていたときにグループホームの基礎知識を解説している本に出合い「これなら自分にもできるかもしれない」と思いました。そして地元の藤沢市に自ら介護事業所を作ることを決心しました。
事業所2階からの風景
事業所の設立から20年、感じる社会の変化とは
設立から20年がたち、社会が少しずつ変化していることを感じます。たとえば介護事業所での利用者さんの過ごし方に関して、以前はもっと閉鎖的で「あれはだめ」「これはだめ」という禁止事項やとがめる声が多かったように思いますが、今は比較的自由になり、本人らしい生活を送ることをよしとする文化が徐々に広がっています。実際、10年ほど前は利用者さんがお酒を飲んでいたりたばこを吸っていたりする写真をホームページなどに載せるのに少し勇気が要りました。しかし、今ではそんなことはありません。
スタッフの子ども連れ出勤もOK
日本は世界の介護をリードする存在になれる
日本は1970年に高齢化社会となり、今や超高齢社会となりました。その高齢化率は世界でもダントツです。ただ、将来的な動きを見るとアジアでも高齢化が急激に進み、さらにスピードは遅いけれどヨーロッパでも高齢化が進んでいく見込みです。
そのような中で、私たちが昔と変わらない「お世話介護」「面倒を見るケア」を続けていくのか、それとも「最先端で本質的なケア」を行うことで幸せな社会を作り上げるのか、その分岐点に今いるのではないでしょうか。私たちがよいケアを追究することは、未来の世界のケアを先導することにもつながるのです。日本が介護・ケアのあり方を作り、世界をリードする存在になるのは夢ではないと思います。