控えめに言っても、開拓者たちは致命的な病気の数に関して十分な不安を抱えていた。だが、特に彼らに強い影響を与えたのはコレラで、赤痢、山岳熱、麻疹、天然痘、肺炎、壊血病といった病気よりも多くの移民の死亡を引き起こした。
コレラは、コレラ菌で汚染された水を飲んだり、汚染された食物を摂取したりすることによって腸に感染を起こす病気である。
1998年のアメリカ臨床気象学会のTransactions誌の記事によれば、開拓者にとって衛生は必ずしも優先事項ではなかった。水源は掘り抜き井戸、川、湖から得られ、彼らは廃棄物を便槽や水源の近くの小川へと排出してしまい、利便性のためにそれらの水源の近くに設置していた。この結果、水源は汚染され、飲み水の味や匂いにも影響が出た。このような条件下で、コレラが開拓者の間で急速に広がったことは容易に想像できる。
現代では、コレラに感染した多くの人は軽症または無症状だが、当時は症状が開拓者に異なる影響を及ぼした。コレラに罹患した開拓者は重い下痢、嘔吐、腹痛、痙攣に苦しみ、中には発症からわずか12時間で亡くなるケースもあった。残念ながら、当時はコレラの治療法が確立されておらず、感染を防ぐにはほとんど役に立たない鎮痛薬や咳止め薬に頼るしかなかった。
1800年代にはコレラのパンデミックが発生した
コレラのパンデミックはインドで始まり、貿易ルートを通じて世界の他の地域へと広がった。19世紀には北アメリカで1832年、1849年、1866年の三つの大波が現れ、これらの波が国の主要都市に住む人々の死者のうち5%から10%を占めたと推定される。もちろん、その当時は水系感染症に関する知識がかなり限られていた。例えば、コレラを感染症として捉えない時期さえあった。コレラは空気感染性の病気だという説や、上位の力の怒りの結果だという説さえあった。その結果、治療法は疾病に適合していないことが多かった。
1830年代には、医師はコレラ治療の一環として、ヒルを使って血液の一部を抜く瀉血を処方した。治療の背後にある考えは、肺や心臓への負荷を減らし、体が病気と戦う際にそれらの機能をより良く働かせることだった。残念ながら、病気の最初の二つの波は研究者に「コレラとは何か?」という正確な答えを導く手掛かりを与えることができず、適切な治療法や予防策の発見にも至らなかった。結局、その病気に関する情報不足が19世紀の大草原における平均寿命に大きく影響した。